Eternal Flame

 
ことの起こりは、たった一枚の扉――。

街灯の灯かりに照らされた、何の変哲もない引き戸だ。

レビューの帰り、ついうっかり通りかかってしまった青年は、何の気なしに戸に手をかけた。

格子の硝子が音をたて、引き戸は難なく開く。

――ほう。たてつけが悪かったのは直したらしい。
   あれほど文句をいったからな………………だが問題は!

あの無精者め。

口汚くののしりながら、青年は母屋を大股でつっきっていった。

目指すところはもちろん、決まっている。

――――――――――
「おい」

返答がない。

構わず、ずかずかと階段を登る。

「おい、玄関の戸が開いていたぞ! 不用心だと何度言ったらわか――」

怒鳴りかけてやめた。
 

…………時間が、止まっていた。

文机の上に、光がおちている。

短くなった蝋燭の、仄かな灯かり。

ちらちらと揺れる影。

優しくてらしだされる、滑らかな白い頬。

柔らかな金の髪。

色素の薄い長い睫毛。

文机に片頬をあずけ、万年筆を握ったまま、彼は寝息をたてていた。

 
ほんの一瞬、呼吸をすることすら忘れていた。

頬が熱くなる。

――落ち着け……いつも見ている顔だろう。
   それに、目覚めれば鬱陶しいだけの男だ。
   …………………………確かに、造作は悪くないが――――。

蝋燭が、じじっと音をたて、我にかえる。

残り少なくなった蝋燭が、尽きようとしている。

このまましばらく寝かせておいてやるか。

そう思いつつも、勝手知ったる土蔵の棚から新しい蝋燭を出している。

すんなりとした形の、紅い蝋燭。

灯を移し、そっと立てる。

新しい光が、辺りを明るくてらしだした。

「…………ん」

起こしてしまったか。

そう思ったとき、薄く目を開けた繁と視線がかちあった。

「………………やあ」

「………………………………おい!!」

ふわっと笑うと、そのまま再び眠りにおちてしまう。

…………それは構わないが。

寝ぼけついでに、懐にもぐりこみ、そのまま眠るというのはどうか。

怒鳴りつけてたたき起こしてやってもいいのだが、今夜はどうもそういう気になれない。

仕方がない、と思いながらそのままでいると。

文机の上の原稿用紙が目に入った。

正確には、その中の一字。

――――――――「了」

つまり。

その一文字にひきよせられるように、文机のほうへ這いずっていった。

全体重をあずけている繁を起こさないように、慎重に。

原稿用紙を手にとり、思うさま読ませてもらう。

今出来たばかりの、文字通りの最新作だ。

「最新作が、常に最高傑作になるように」

「一篇一篇が、代表作になり得るように」

そういう心構えで書いている、といつか言っていた。

あれは、「猫と煎餅」だったか、それとも何かの記事だったか。

そう豪語するだけに、今回の出来も最高だった。

これは、フアンの欲目かもしれないが。

いずれにしろ、誰よりも早く新作が読めるというのは幸せだ。

 
原稿用紙を机に戻し、腕の中の寝顔を見下ろす。

まったく、この男のどのあたりに、こんな話の素が入っているというんだろう。

……この尻尾か?

柔らかな髪に指を絡め、戯れに編んでみる。

ふと我にかえって、あわてて元に戻す。

――何をやっているんだ。俺は。

そう思いつつも、指が勝手に、頬の輪郭をなぞっている。

「……………………あれ?」

突然、腕の中の繁が目醒めた。

「…………あれあれ?  どういうことかなあ、これは」

「知るか……貴様が勝手に――」

「あ。わかった。………………夜這い?」

「馬鹿も休み休み言え」

「馬鹿。……………………馬鹿。……………………馬鹿。」

「あのな」

「だって君が言えって。それにしても非道いよねえ君は」

「何が」

「原稿を選んだから」

「…………はあ?」

「ふふん、几帳面が災いしたねえ。原稿の表紙が上になってる」

――相変わらず目ざとい。……要らんところで。

「目の前に、こんな極上の据え膳があるっていうのにさ」

「…………………………黙れ」

「それで、どうだった?」

「………………悪くない」

「そればっかりだねえ。君は…………ん!」

それ以上のへらず口は、唇で封じた。

感想は――――――面倒なので態度で示すことにする。

束の間、土蔵の壁に火影が踊った。

――――――――
「その積荷から覗いているのは紛れもなく――点、
  芳江の血の気を失った足先――点点点、丸」

「おい!」

「黙って書く」

「なんで俺がこんなことを!」

「ああ痛いなあ! 痛い痛い!
 筋でもおかしくしてたらどうしようかな!  水川抱月の黄金の左腕!!」 

「………………わかった。俺が悪かったから、さっさと続けろ」

「やけに素直だねえ今日は」

にやにや笑っている。

………………不覚だった。

小説の感想を態度で示したあと、思わずそのまま眠りこんでしまい――。

このありさまだ。

天下の水川抱月の左腕を敷いて眠った――。

なんてことは、フアン筆頭として許すまじき所業であって。

その責任をとって、今こうして口述筆記をしている。

「熱烈なるフアンがついてて、ほんと幸せだと思うのはこんな時だねえ」

「…………おだててもその手に乗ると思うな」

「え? ほんとのことだよ。だって君の字って丁寧で読みやすいし、
 何より僕の書き癖を心得てるからね。
 編集さんなんかに頼んでごらん? 何でもかんでも、平仮名にひらいちゃって台無しだから」

こんなことでつい喜んでしまう自分が哀しい。

待てよ。

新しい原稿を読むどころか、創る現場にいる。

……それは、フアンとしては最高の体験なのではないか。

そう、自分に言い聞かせながら、至福のひとときを楽しむことにした。

 
I believe it’s meant to be,darling
I watch you when you are sleeping, you belong to me
Do you feel the same?  am I only dreaming
Or is this burning an eternal flame?

‘Eternal Flame’   by Bangles

                                  

モドル