Hide and Seek
 
  寒の戻り――というのだろうか、この寒さは薄着にはこたえる。
 
 それならば意地をはらずに上着を羽織ればよいところだが、その手間も惜しいらしく、
 青年は文字通り無造作にひらいた開襟の釦も止めようとしない。

 今にも降り出しそうな鉛色の空。
 湿り気を帯びた風が襟元をかすめていくのも気にとめず、
 彼の足はひたすら、ある方向へ向かっていた。
 
 
 
――――――――――――
 
「上がるぞ」

 梯子の下から声をかけてみたが、反応がない。
 …………もしや、どこかへ雲隠れでもしたのか。それは困る。
 大いに困る。


「…………おい!! うわ」

 登りかけて、降ってきた砂埃に顔をしかめる。
 通いの家政婦が掃除をしているんだろうが、母屋はともかく
土蔵の隅までは手がまわらないらしい。
 もっとも、その土蔵の主が一日中寝そべっていたり、物を食っていたり、
思い出したように何か書いたりしていて
 邪魔で仕方がないということもあるかもしれないが……それにしても。
 
 まったく、無頓着なのにも程がある。
 ため息をつき、伸びあがって階上に人の気配がないことを確認する。

 文机の上には…………目当てのものはない。

「まさか本当に……――!!」

 どこかへ逃げ出したか、という言葉は皆まで言わせてもらえなかった。
 
「何をす……――!」

 危うく、梯子段を踏み外すところだった。
 無防備な足首を、冷たい手に掴まれたのだ。

「そういう君こそ、何してるんだい? 金子君」

「………………あのな!!」

「ああ、夜這いのつもりなら、残念だったねえ。……また次回」

 冗談とも本気ともつかぬにやけ顔で答えたのは、言わずと知れた土蔵の主。
 
「ずっとそこで潜んでいたのか?」

「まさか。いくら僕だって、この寒い中そんな酔狂はしないよ。
 厠の帰りに、ちらっと見たら君がいたから、ちょっと悪戯してみたくなっただけ」

「………………」

「もっと上の方でもよかったんだけど、いかんせん手が届かなくてねえ。
 あ。待てよ。梯子段の裏側から手を伸ばせば……」

 難しい顔をしつつ、怪しげな手つきをしてみせる。

「いい加減にしろ!」

いつもなら、ここで「相手にしてられるか、帰る」とでも言って
きびすを返すところだが――。
 今日はそうできない理由がある。
 その強みが、このにやにや顔に表れている…………分かっているだけにしゃくだ。

「ああそう。じゃあ帰れば??」

 そらきた。

「……………………………………」

「ん〜〜〜〜〜〜?」

「あのな」

「何何?」

「この俺が!
 今にも降り出しそうな辛気くさい空の下!
 こんなところまで訪ねてきたのは何でだと思う!!」

「さあねえ?」

「いいから出せ」

「やだね」

「〆切が明日なのは分かってる。
 珍しく筆が乗って、俺の勘ではもう書きあがってるはずだ」

「ふうん。
 でも、そんな頼み方する子には見せたくないねえ」

「………………」

「見せて下さい、って――、あ、『お願いします』もつけようか。
 そうやってちゃんとお願いしたら、見せてあげなくもないよ??」

 意地の悪い笑みが、追い討ちをかけた。
 ここまで言われると、逆に死んでも言いたくなくなる。

「ん? どうする? 金子君」

「……………………………………………………探させてもらう」

「ご自由にどうぞ」

ご丁寧に、あの忌々しい教授の口真似までして、
抱月は慣れた足取りで梯子段を上がっていった。
 
 

 
 何としても探してやる。こうなったら意地だ。
 本棚。
 木箱。
 菓子壷の陰。
 文机の抽斗。
 思いつくところは、端からひっくり返してみる。

 当の抱月はというと、座布団を枕に長々と横になって、面白そうにこちらを見ている。

「どう? 見つかったかい?」

「うるさい!」

 我ながら、意固地だとは思う。
 仮にも、昔から憧れていた作家その人に、こんな暴言を吐いている……のは自覚しているが。
 
「その分じゃどうやら、見つかりそうにないねえ」

「日が暮れちゃうよ」

 挑発めかしてそんなことを言われたら、意固地にもなろうものだ。
 …………待てよ。
 抱月は厠の帰りと言っていなかったか?
 
 
 母屋だ。
 そうくれば、隠す場所もそう多くない。
 蓄音機の陰。

 目指すものは、そこにあった。
 用心深く、5枚組の音盤のぶ厚い化粧箱の中に隠してあった。
 2つ折にされ、いつもの封筒に入っている原稿。
 この重みを待っていたのだ。

 この場で読むのもいいが、やはり。
 そう思って、土蔵の梯子を駆け上がった。

 姑息な隠し方をしてあったが、この俺にかかればこんなものだ。
 抱月の前に、戦利品を見せつける。

「あれ。見つかっちゃった」

 残念そうな顔。知ったことか。

「ふん」

 喜々として封を開ける。
 そして。

「………………………………なんてね」

 目に飛び込んできたものは、待望の新作の題名などではなかった。
 
        「ハズレ」

 これでもか、と墨で大書されていた。

 唖然とする俺を尻目に、仕掛け人は腹をかかえて笑っている。
 
「あのさ。金子君。
 ミス・ディレクションって知ってる?」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

 愚問だ。そして、またしても不覚。
 厠から帰ってきた、といかにも外から来たように見せたのは、この伏線だったのだ。

「探偵小説の基礎の基礎。
 まさかこんな手に君がひっかかるとはねえ」

「…………認めるのは甚だ不本意だが!」

「ん?」

「悪かった。だから本物を出せ」

「どこにあるか見当はついたかい?」

「皆目わからん!!」

「あはは。いっそすがすがしいね」

 抱月は、先ほどの爆笑の名残がまだおさまらないらしい。
 どうしてやろうかと思っていると。

 抱月が、座布団を投げてよこした。
 今の今まで、昼寝の枕にされていたものだ。

 何をする……と言おうとしたが、どうも手触りがおかしい。
 薄い綿の感触と、もっとがさがさする何か。

 慌てて座布団の覆いを外すと、今度こそ求めているものがあった。
 見つからないわけだ。
 梯子段からのぞいても、目の前で枕にしていても。
 そこにあって何の不思議もないものだったのだから。

 
「君のことだからきっと真っ先にここに来ると思ってね。
 僕が居たって居なくたって、まず原稿を探すよねえ。
 でも、その目当ての原稿が無かったらどうする……?
 そうしたら、原稿が上がってないと思って僕を探すだろうね。
 いっそ、原稿を持ったままどこかに隠れてもいいかと思ったんだけど、
 さすがにそれは意地が悪いと思って――」

「こんな小細工をして、待ち構えていたわけか」

「ご名答〜〜〜〜!!」

「まったく」

「思ったよりずっと楽しかったねえ」

「………………うるさい。とりこみ中だ」

「あのねえ。金子君。
 君が今、食い入るように読んでるそれは、
 何を隠そう、この僕が書いたものなんだけどねえ。
 君ときどき忘れてないかい?? 別にいいけどさ。
 何かどうもすっきりしないんだよねえ。
 聴こえてるかい? 
 ……………………お〜〜〜〜い…………か・ね・こ・く〜〜〜ん?」


 雑音は聴こえないふり。
 全身全霊をかけて邪魔してくる図体のでかい子供も無視。
 この戦利品の魅力の前には――。
 だが。

「さてと。次はどこに隠そうかな」

「……それだけは勘弁してくれ」

「あれ。聴こえてた?
 でもねえ。そう言われると、やりたくなっちゃうんだよねえ」

「…………ぐっ」

「……ごめんなさいは?」

「死んでも言うか!」

「あ。そういうこと言うんだ」

「いい大人がふて腐れるな!! 見たくもない」

「ガキには言われたくないね」

「何??」


 『喧嘩をするほど仲がいい』。
 そんな出まかせを言ったのはどこの誰だ。
 出てきて、責任をとって欲しい。

 
END