Hold my hand |
年末の街は、人でごった返していた。 大きな存在を喪ったばかりで、埋まらない心を持ち寄って、要君と二人暮らしを始めた。 独りでいるよりはずっといいと思うし、それなりに会話も生まれるんだけれど、 時々、息がつまりそうになる。 僕の原稿も…………まあ、いつもどおり、はかどらないのもあって、僕らは街へくりだした。 僕たちは、直接の身内ではないけれど、新年を祝う気も起きない。 おせちやお雑煮なんかの材料を求める人の群れの中、僕たちは、年末年始をただ生きるだけのため、 最低限の食材を求めに来ている。 僕は、おかげさまで、他人様より頭ひとつ分ほどは背高く生まれついているから、 そう苦労はしないんだけれど、要君は、標準よりも……ちょっと小さめかな、くらい。 簡単に、人の渦に巻きこまれて、見えなくなりかける。 ここではぐれたら、探すのはやっかいだ。 それに、懐の財布を狙う輩もいる。 僕が護ってあげないと……と、ただそれだけを思って、したことだった。 「お待ち、要君! あまり先に行くと、はぐれてしまうよ」 てんでばらばらに、好きなことを言い合う……時折、怒号も混じる中、大きな声を出したつもりの 僕の声は、あまり通らなかった。 だから、行動に出た。 要君の手を、そっと握った。 優しく引き寄せて、彼を懐におさめてしまうと、息のかかるほど近くから要君が見上げてきた。 「…………大丈夫かい? ほら……ね? はぐれるといけないし」 「はい」 花がほころぶように、要君が微笑んだ。 僕は少し驚いた。 生のままの彼の、そうした自然な微笑みは、幹彦が亡くなってからこちら、見たことがなかったから。 僕が握った手を、要君もそっと握りかえし、商店街の雑踏をくぐり抜けた。 人のまばらな小路に入ったのに、要君はその手を放そうとしない。 まあいいか。 これが、土田君と僕なんかだったら、大の男ふたりが何を……という奇異な目で見られるかもしれないけど。 いや、今ももしかしたらそう見られているのかもしれないけれど。 僕は見た目がこうだから、「異人がおかしなことをやっている」ですみそうな気もする。 それに、僕としても悪い気はしない。 そんなことを考えていたとき。 「水川先生」 「ん? どうしたんだい、要君」 「昔の……とは言っても、そんなに昔ではないですけれど……ことを、思い出しました」 「へえ? どんなこと?」 「学院の生徒さん方と月村先生が、街で会食をすることになって、」 「うんうん」 「僕は遠慮したんですけど、月村先生がどうしてもとおっしゃって、 ご一緒させて頂いたんです」 「ふうん、珍しい。あの幹彦がねえ」 「会食はおおいに盛り上がって、最後のほうは酒盛りみたいになったんですが、 僕と月村先生は隅のほうで並んで座っていて。 そのとき、月村先生が、机の下で僕の手を握ってきたんです」 「ええ?」 「そのころはまだ……その、月村先生とはそういう仲にはなっていなくて、 僕は戸惑いました。たぶん、真っ赤になっていたと思います。なのに、 月村先生がおっしゃったんです。 『こういう時は、こうするものではないのですか?』 真顔で言われたので……何だかおかしくて」 その場面は、容易に想像がついた。 というか、僕が原因のようなものだから。 「要君、ごめん。 それ、多分僕のせいだね」 「え? どういうことですか?」 「学生時代、ほら、例の、滑稽な片恋にのぼせあがっていた僕は、 飲み会の席で、幹彦の手を握ったんだよ」 「…………!」 「幹彦は、嫌がることもなくただ黙って握られていた。 僕は、そのとき、幹彦と心が通った気がして……それから、 皆が見ているところで隠れて、っていう背徳感も手伝って……ね。 この先は……ずっとせんに話したとおり」 「……お察しします」 「幹彦は黙って、『学習』してたんだ。 それを勘違いしてる人間がいるなんて、つゆほども思わずにね。 あはは、とんだ間抜けだ!」 要君は、僕の手を強く握って、言った。 「月村先生は、僕の頭をよく撫でてくださいました。 水川先生がいつもそうしてくださるように。 そうやって、月村先生を透かしたむこうに、水川先生の姿が重なるときがあるんです。 僕は、透かした先にいる水川先生が、そのあたたかさと優しさで、 月村先生の中の何かを変えたのだと思っています。 だから、お二方とも、同じくらい好きなんです」 「そうかい。 そう言ってもらえると、嬉しいよ。 あれ、おかしいな。嬉しいのに、涙が出そうだ。 ここで、わんわん泣いてもいいかい?」 「それはちょっと……ここは一応、往来ですし」 「じゃあ、違う案を考えようか。 僕の利き手……左手と、要君の利き手、右手が、今こうしてふさがってる」 「…………? ええ」 「この手を離さないまま、どれだけいられるか、やってみようか?」 「その……厠のときもですか?」 「そう」 「お風呂のときも?」 「もちろん!」 「ええと……その」 「……そうそう、もちろん、するときにもだよ?」 「……ちょ、水川先生!」 「利き手じゃないほうを使うって、どんな感じかな? ああ、つないだ掌の間を使ってしご――」 「いい加減になさってください! 怒った僕とずっと手をつないでらっしゃるのが苦にならないならば、そうしますよ!」 「あーー! ごめんごめん、今のなし! やっぱり、前説抜きでいきなりしたほうが、刺激があっていいよねえ?」 「反省の色なしですね。 もう……せっかく、惚れ直しかけたのに――」 「じゃあ、一刻も早く家に帰って、本腰を入れて惚れ直させないとね」 結局そのまま僕たちは、手を握り合ったまま、次の朝をむかえた。 |