Just a little bit of Lxxx

 
……何か、おかしい――。

                

思考の破片をひろいあつめ、組み上げようとして……また邪魔される。

当の、疑惑の主に。

「…………止せ、……っ、あ――!!」

視界が、白く弾けた。……何度目だろう。

いつもはさんざん、焦らすくせに。

あの天邪鬼が、こうもあっさりと聞き入れてくれる、というのは逆に妙だ。

焦らしてほしい、というわけではないけれど、こんなに優しく扱われると――。

……不安に、なる。

触れあっていた熱が、離れる。肌が急速に冷えていく。

嫌だ!

「…………!  止せ、って言っておきながら……本当にやらしい子だねえ。
 こんなの、どこで覚えたんだい?」

無意識に、締めつけてしまった……らしい。

囁きに煽られ、自分でもわかるくらいに鼓動が速くなる。

「ほら、緩めないと動けないよ」

「……言う……なっ!」

「仕方のない子だね」

甘くなじる声にまで反応してしまう。

「…………や――」

握りこまれ、揺すられて……今度こそ、何も考えられなくなった。

 
――――――――
 
気絶するように眠ってしまった、年若い恋人の髪をそっと撫でる。

うすく開いた唇に、名残の口づけ。

もう何度見たかしれない、この寝顔。

起きているときにはあんなにも生意気なガキだというのに。

その白い頬を、涙がひとすじ、伝い落ちた。

 
……気づかれてしまったかもしれない。そんな思いが、胸をよぎる。

今日の彼は、確かに変だった。

妙に素直で――。

気のせいだ。

そう思うことにしよう。でないと、情けないけれど僕のほうが耐えられそうもない。

そして僕は、文机に向かった。

……短い、つらい手紙を書くために。

 
――――――――
 
…………さてと。

金子君が帰るのは見届けてきたし、手紙も文机の上に置いてきた。

久しぶりの洋装は少しばかり窮屈だけれど、仕方がないね。

さすがに、いつもの大島というわけにはいかないし。

道中が長いわりに、拍子抜けするくらい身軽だ。

使い慣れたペンと、原稿用紙の束。着替えを少しと……甘いもの。

あとは全て、置いてきた。

なにもかも。

別れを惜しむ声も、こんなに多くては喧騒にしか聞こえない。

ここにいても辛くなるだけだ。

いつか……また。この国が落ち着いたら。

そう、心の中で呟いて、早々と船室に向かった。

 
一応、要君にだけは伝えてあるけれど、彼には結局……言っていない。

怒るかなあ、金子君。

寂しい、なんて嘘にも思ってくれないんだろうな。

……我ながら、女々しい。

湿っぽくなるのが嫌だから、こっそり出てきたんじゃないか。

やめたやめた! こんなのは僕のがらじゃない。

早く船室に――。

扉を開ける。

と。

……ええ??

 
「ずいぶんと、遅かったな」

もう二度と聞けない……予定だった、すこぶる機嫌の悪い声。

「か……金子君?? どうして――」

「一体どういうつもりか、じっっっくりと、聞かせてもらおうか」

「って、もうすぐ出発の時刻だよ。君、降りないと……」

「気にするな。時間はたっぷりある」

ぴらり、と見せられたのは、僕も持っているチケットだった。

「…………君、それ……」

「ということだ。さて。説明してもらおう。
 俺に黙って、何をしようとしていたのか」

「やれやれ」

「天下の水川抱月ともあろうものが、あんなまずい文章ひとつ残して、
 一体どこへ姿をくらまそうとしていたのか!!」

「……まずい文章……。あいかわらず手厳しいねえ、君は」

「水川抱月の一フアンとしても、俺は認めんぞ。
 なんだあの、三文文士の恋文のような浮かれた文章は!!!」

悪かったね。
今まで、本気の恋文なんてただの一度だって書いたことないんだから、
仕方ないじゃないか……。
一世一代の賭けだったのに。

……という本音は、心の奥底に葬っておいて。

「それはそれは。フアンの期待に応えられなくて、すまなかったね。
 僕としては、限られた時間で出来るだけのことは書いたつもりだけれど?」

だんだん、腹が立ってきた。

「ところで金子君、君、家に帰ったんじゃないのかい?
 それに、洒落者で名の知れている君が、昨日のままの服なのはどうして?」

意地わるく問いつめてやる。

「…………それは……あんまり急だったからだ……!」

「やれやれ。あんなに黙っていてくれって言ったのに。要君に聞いたんだね?」

「…………? ちょっと待て!! 何だそれは!」

「……え? あれ? ……まさか違った?」

「貴様という奴は!! 俺には一言も言わなかったくせに、
 メート……要には言ったのか!!  どういうつもりだ!!」

しまった。墓穴だ。

しかも、よりにもよって掘ったところが地雷だった。

「……ちょっとちょっと、金子君! 痛い、痛いって!
 ちょっと待った! 謝るから! ほんと乱暴だねえ」

「誰のせいだ!!」

妬かれるのは大好きだけど、本人に妬いてる自覚がないんだから困ったものだ。

……今ちょっと、うっかり可愛いと思っちゃったじゃないか。

「……だからごめんって。でもそれなら、チケットはどうやって手に入れたんだい?」

「港の酒場で、まきあげたんだが?」

「まきあげた……ってそんなさらっと」

「自慢じゃないが、俺はカードでは負けたことがない」

胸を張って言い切る。

根っからの遊び人だ、俺は大人だ、って誇示したくて仕方ないんだろう。 

似合わないってのに…………ガキ。

「それはそれは。相手も気の毒だね」

「負けるほうが悪い。勝負はフェアだったからな」

まったく。

「勝負はフェアだったかもしれないけどねえ。……何か聞こえないかい?」

扉の向こう、廊下をどたどたと走る音がする。

そして、お世辞にも上品とはいえない怒鳴り声。

「まさか……追いかけてきたのか? 船の中まで」

「だーかーら! 君はガキだっていうんだよ、まったく」

「何だと?」

「今はそんなことでもめてる場合じゃないよ。
 ぼやぼやしてないで、さっさとそこの寝台の下にでも隠れる!」

「何で俺が――!」

「いいから早く!」

嫌がる金子君を、寝台の下の僅かな隙間におしこむ。

……さあて、お客さんだ。

金子君にひっぱられたネクタイやら、くしゃくしゃにされた髪やらを直して、と。

準備完了。

扉が、乱暴にひらいた。

うわ。こんなごつい奴だったんだ。

駄目だなあ、金子君。喧嘩ふっかける相手は選ばなくちゃ。

待てよ。そんな余裕もなかったのかな。

「おい貴様! ひょろいガキを見なかったか?!」

いきなりそうきたか。

吹きだしそうになるのを隠しながら、にっこり、と迎えてやる。

なつっこい、と定評のある笑顔で。

「聞いてるのか貴様。
 目つきの悪い、すましたガキを見なかったかって聞いてるんだ!!」

あー。はいはい。お探しの鼻持ちならないガキなら、その下にいるよ。

これは面白い。

脳みそまで筋肉でできてるかと思ったら、意外にうまいとこつくね。

ひきつづき黙って、しばらくその男の罵詈雑言を楽しむ。

うんうん、そうなんだよね。初めて会ったわりにはよくわかってる……なんて。

いけないいけない。調子にのりすぎたかな。

しびれをきらした男は、つかみかからんばかりだし、

何よりここへ金子君が飛び出してきたりしたら、何もかも台なしだ。

男が、ひととおり怒鳴り、息をついだところを見計らって。

うんと長い「溜め」をおいて、言ってやった。

「…………………………………………Pardon?」

にっっっっこり。

もし僕が相手だったら、はたき倒したくなるだろう、極上の「紳士の」笑顔。

そして、間髪をおかず、英語でまくしたてる。

僕のは、いろいろ混ざり物があるから完璧なKing’s Englishではないけど。

そんなこと、相手にはわかりゃしないだろう。

重要なのは、相手に考える暇を与えないこと。

お前は口から先に生まれてきた、と何度言われたことか。

喋りつづけることなんて、お手のものだ。

「日本語がわからないなら、先にそう言いやがれ!!!」

はい。ご苦労様でした。

おとといおいで、と上品に英語で言ってやって、丁寧に扉を閉める。

「もういいよ。出ておいで」

埃にまみれて、金子君が這い出してくる。

あーあ、色男が台なしだ。

「くそ。覚えていろ」

「あれ?  御礼のひとつもなし?  まあいいか。どうせ期待してなかったし。
 それでどう?」

「どう……って、何が」

「寝台の下で、たっぷりと間男の気分を味わっただろうから」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!
 つくづく脳がただれきっているな貴様は!!」

「非道いなあ。せっかく助けてあげたのに」

「あんなものは、船長にでもつきだせば済む。
 第一、奴が英語がわかったらどうする気だったんだ」

「英語が母国語じゃない仏蘭西人のフリ」

「……まったくお前は。仏蘭西語もわかったら?」

「うーん。独逸人のフリでもするかな?
 ほんとは、独逸語は得手じゃないんだけど」

「呆れて物もいえん。……お蔭で、ひどい目にあったぞ」

「ひどい目? どんな?」

「ネズミと、目が合った」

大爆笑。

「あはは。じゃあ、この船は大丈夫だね。安全な航海が保証されたってわけだ」

「笑い事か!  服が汚れた。着替えを貸せ」

「え……? 君、荷物は?」

「持ってきているはずがないだろう!!
 ……お前の後を追ってその足で来たんだから!!!」

うわ。

わかってるかい。それは、殺し文句っていうんだよ?

普段、つれないことばかり言ってるくせに、ふいうちをくらわせるんだからなあ。

おやおや。脱ぎ捨てた上着のポケットから、「まずい文章」の入った封筒がのぞいてるよ。

喧嘩を売るんなら、そういうものはちゃんと隠さなきゃ。

相変わらず、詰めが甘いね。

それに。

わざとらしく乱暴に、僕の荷物をあさる君の顔が真っ赤になってるのも、
気づいちゃった……んだよね。まずいことに。

「そうだ。忘れるところだったが」

背を向けたまま、当たり前のように僕のシャツを羽織る。

「え?」

「……さっきのやりとりだ。貴様も、作家なのだから言葉は正しく使え」

「…………?」

「He is all the man that I need.
 Cause he always gives me something new――He is my inspiration.
 I don’t wanna leave him behind,
 He is a part of me now…………He is mine――
 ……だったか? 他にもいろいろと、聞くに堪えんようなことをほざいていたようだが?」

参った。……非のうちどころのない発音だ。

いや、そうじゃなくって。

「あ……あれ? 君、聞いてたんだ……。君が得手なのは独逸語じゃなかったっけ?」 

「俺を見くびるな!  わからないと思って、適当なことを!」      

「あーあ……僕としたことが、しくじったねえ」

「まあ、全て聞き取れはしなかったが。
 日本語に訳すのもはばかられるような言葉やら!
 今まで耳にしたこともないような臭い台詞やら! 
 それはもういろいろとあったからな」

うわあ。これはまた手厳しい。

「はいはい。それで? どこが間違ってたって?」

「“He is mine”……俺がいつ貴様のものになった!」

「言われると思った」

「……“I belong to him” だろう! 間違うな」

ええ?

「そうくるとは思わなかったねえ」

「どうだ。参ったか」

そんなに、威張られてもねえ。

「降参、だよ。……今日のところはね。
 でも、ひとつだけ、訊いてもいい?」

「何だ」

ご満悦のところ悪いんだけどね。

残念でした。

僕にはまだ、とっておきの切り札があるんだ。

「で、金子君。
 君は何で、それが自分のことだって思ったわけ?」

「はあ?」

「僕、‘He’って言っただけなんだけど」

「……………………!!!」

はい、チェックメイト。

自慢じゃないが、僕はチェスでは負けたことがない……なんてね。

わざとらしく、金子君の顔をのぞきこんでやって、囁く。

「形勢逆転……だね?

「貴様というやつは!! どけ! 不愉快だ!」

「どこへ行く気? もう、とっくに港は出たよ」

「くそ……! 放せ! 泳いで帰る!!」

「そんな無茶な」

 
騒々しい事この上ないけれど、退屈だけはしなくてすみそうだ。

何しろ、つれなさとプライドの高さだけは誰にも負けない、
れはもう扱いにくい姫の警護を申しつかったも同然だから。

…………なんて言ったら、また怒鳴られるだろうけど。

 
END
 
とりあえず、繁ちゃん、お誕生日おめでとう。そしてごめんなさい。
こんな煮えた物を書いてしまったのも、全て愛ゆえです。
そして望月、洋楽好きなだけのただの日本人です。

…………英語、望月が作ったんで嘘っぱちです。
なので一応、日本語ver.も書いておきます。
そのままだとアレなので、わかりやすいように若干意訳。繁口調。

              「僕はね、彼がいればそれでいいんだ。
               だって、彼はいつも、新しい何かをくれるからね。
               ひらめきの源……ひらめきそのものかなあ。
               置いていくつもりなんかないよ。
               僕の一部みたいなものだから……彼は僕のだよ」

はい。
彼がいかに、こっ恥ずかしいことを真顔で抜かしていたかお解りになりましたでしょうか?
これでも控えめに訳したつもりなんですが…………。
誰も聞いてないと思って繁ちゃんったら――って、考えたのは俺だ。

恐るべし直球英語モード(笑)。
でも英語だと、こっ恥ずかしさが半減するのは気のせい…………ですね。
これ以外にもいろいろのたまっていたようですが、自粛しました。
煮えたラヴソングのようになったので……。

恋は全ての男を詩人にするのさ……ルルル(ダッシュで逃走)。