いつもながら、何てわかりやすいんだろう……と思う。
卓袱台の上の灰皿は、吸い殻の山。
買ってきたばかりという音盤も、彼の耳には入っていないようだ。
定位置になっている座敷の壁の一角にだらしなくよりかかり、ぱらぱらと落ちてくる癖のない前髪をかき上げる。
文字どおり、思いきりよくはだけた開襟からのぞく肌の白さ。
憂いを帯びた目元やら、繰りかえされるため息やらは、それなりにそそるものがあるんだけれど――。
ひとたび口を開いてしまえば見事に台無しなのだから、病的な美しさといえども、西施のそれには遠く及ばない。
とはいえ…………。
仕方ない。お望みどおりにちょっと、からかってみるとしようか。
昼過ぎに金子君が現れてから、ずっとあの調子。
おかげで、横にいるこちらも、本なんかにはまったく集中できるはずもなく。
その責任くらいはとってもらったって罰は当たらないだろう。
僕は、食べていたビスキュイの菓子皿をどけると、立ち上がった。
「不貞腐れるのは結構だけどね……金子君、僕を燻製にする気かい?」
彼は、あからさまにむっとした顔をした。
うんうん。いい反応だ。
「こう雨がひどいと、そうそう窓も開けられないし、畳まで煙臭くなっちゃうんだよねえ」
わざとらしく障子を開けて、持っていた本でばたばたと煽ぐ。
「うるさい。俺の勝手だ。だいたい寮の蓄音機が壊れたりしなければ、ここまで借りに来る必要はなかった。
奴らが手荒に扱うから――」
そこまで言うと、金子君は言葉を詰まらせた。
なるほどね。これで、だいたいはわかった。
「ふうん? でも、せっかくの新しい音盤、お気に召さなかったようだねえ。
ろくに聴いてないじゃない」
「………………」
「ぼーーっと虚空なんて見つめちゃってさ。生意気に恋わずらいかい?
何何? 十も歳上の、それも同性に恋をして?
しかも、面食いの君に見合うような、絶世の美男ときてる? あはは、それは困ったねえ」
「いい加減にしろ、きさ――…………?!」
顔を上げ、こちらを睨みつけた瞬間を狙って、咥えていた煙草をむしりとった。
そして、一服。
金子君は、「お前、煙草なんて吸うのか」とでも言いたげな表情で、こちらを見ている。
煙をわざと吹きつけてやって、にやりと笑う。
僕だって、煙草ぐらいは吸うさ。
嫌なことばかりを思い出してしまうから、今では吸わないけどね。
「煙草も音盤も、苛々を鎮めるにはいいらしいけど、今は効き目がないようだね」
「放っておけ。余計なお世話だ」
「察するに――」
天井に昇る紫煙をたどりながら、きりだしてみる。
「寮の蓄音機は、壊れてなんかいないね」
金子君の表情が、微妙に変わった。
「当たり……だね? 僕らの時代に、あんな猛者どもが扱っても壊れなかった代物だ。そう簡単に壊れるはずはないさ」
「……………………」
「もうひとつ、当ててみようか?
君がここに来た理由のひとつは、寮で嫌なことがあった…………それも、音盤がらみの」
「うるさい」
「おそらく、筋書きはこうだね。芸術論を戦わせていて、珍しく言い負かされた。
それも、普段ではうまいこと逃れる君が、受け流せなかったくらいだ。
おそらく、よっぽどひっかかる言葉でもあったんだろうね。
――お前の見解は青い…………とか、そんなところかな?」
「………………ぐっ」
「おや、図星かい? わかりやすいねえ、君は」
金子君は、僕の手から煙草を取りかえし、灰皿で揉み消した。
苛々がつのったのは百も承知。
もともと、そのつもりでつついたんだから。
金子君の目の前に腰をおろし、正面から覗きこんでやる。
苛々しているときにこうされるのを、彼は何より嫌うから。
「煙草にしろお酒にしろ、度を越すのは感心しないね。
もっともお酒は、ひどい目にはあうけれど、時には必要だけどね。
僕も昔は、馬鹿みたいな飲み方をしたよ。でも、あれはそうする他なかったんだ。
自分の意志とは関係なく眠らせてくれるし?」
苦い自嘲をこめて笑う。
すると、一瞬だけ、金子君が哀しげな顔をした。
おや……? と思っていると、急に髪の房をつかんで引き寄せられた。
この程度の挑発に乗るなんて、君もまだまだだね。
油断していると、拳が飛んでくる可能性もある。
ほんのちょっと警戒しつつ、こちらから仕掛けてやろうか、と思った瞬間。
そのまま、口づけられた。
深く、舌を絡められ、息苦しくなるような接吻。
いつの間にか、こんなキッスができるようになったとはね。
「…………言っておくが!
ビスキュイの欠片がついていたからだぞ。他意はない」
「へえ? それはどうもご親切に」
吹きだしそうになりながら、そう言い返してやる。
絵に描いたように真っ赤だ。
どうして、こう時々可愛らしいんだか。……それも忘れたころに。
「日頃何かと、俺をガキ扱いするが、それは裏を返せば貴様が先に歳をとるということだ。
年寄りの昔語りなど、聞きたくもない」
「…………あ。言ったね」
「言うとも。俺はせいぜい、貴様を反面教師として、貴様のようなくだらん大人にならんよう学ばせてもらう」
「前言撤回。やっぱり可愛くないね君は」
「何か言ったか?」
「なんにも?」
くだらん大人とか何とか言ってる段階で、すでにガキなんだよ――とは言わないでおいてあげよう。
それが、大人の余裕ってもの。ささやかな御礼もかねて……ね。
END
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