M I N E

 
……それは、冬の昼下がりのこと。

いつも、くだらぬ議論をもちかける級友たちが、絡んでこない。

珍しいこともあったものだ。

いずれにせよ、この機会を逃す手はない。

昨夜……厳密には夜明け近くまで、散々な目にあっていたのだ。

今日ぐらいは邪魔者抜きで、読書を愉しませてもらおう。

と。

……世の中は、つくづくままならないように出来ているらしい。

邪魔者……それも大物が、頭を抱えて近づいてくる。

やれやれ。

仕方ない。つきあってやるか。

 
「おい!! 金子!」

「土田? どうした? 血相を変えて――」

「来い!!」

「ちょっと待て。痛い、……ついていってやるから放せ」

「いいから来い! 馬鹿者」

腕をつかまれたまま、強引に倉庫へ連れて行かれる。

最悪にもほどがある。

「で?」

不機嫌がそのまま、形をとったような声。

「読書の邪魔、出会い頭の馬鹿者よばわり……おまけに!
 俺は放せと言わなかったか?  この馬鹿力。痣になったらどうする!」

見物人がいなくなったのをいいことに、好きなだけ怒鳴りちらしてやる。

まったく、どうして俺がこんな目にあわなければならん。

「何とか言わんか貴様。用は何だ。
 これで、メートヒェンと喧嘩した、なんていう理由なら――――」

「それだ」

「……はあ?」

「いや、違う。そういう意味ではなくてな」

「訳がわからん。お前は、言葉を端折りすぎだ」

「金子!」

「いいからとっとと用事を言わんか。俺は帰るぞ」

「だから!!  …………金子、お前、あの人を怒らせたろう」

「あの人?」

「…………その、水川――」

「人聞きの悪い。
 何もかも、悪いのはあいつだ…………待て、どうしてお前が知ってる」

「……………………」

土田は、何も言わずに小さな手鏡を渡した。

そして、やはり無言で、倉庫の端にあるひびの入った大鏡を指した。

 
……嫌な予感。

まさか腹いせに、キスマークでもつけられたか。

合わせ鏡をしてみて、愕然とする。

……………………それ以上、だった。

首すじからうなじにかけて……本人からは絶対に見えない位置に!

 
「水川抱月」
見覚えのありすぎる筆跡で、こともあろうに筆で、大書してあった。

おまけに、ご丁寧に朱肉で蔵書印まで。

多分、昨日の口論の後……、俺が眠っているすきに。

道理で、級友たちが遠巻きにしていたわけだ。

――――金子光伸、一生の不覚!!!!

 
「金子? どこへ行く」

「知れたことだ! あの馬鹿をぶん殴ってくる」

 
有無を言わせず、土蔵に踏みこむ。

階段を駆けのぼって――。

「貴っっっっっっ様!!!!!   水川抱月!!!!!」

「はあい?」

「この馬鹿!!! 何て真似を――」

「だって金子君、君、サイン欲しがってたじゃない?
 もっと喜んでくれたって――」

「………………すぐ消せ! 即刻!」

「や〜〜だ〜〜ね。
 何なら、耳なし芳一よろしく、身体中に書いてあげようか?
 耳の後ろはもちろんのこと、そんなとこやあんなとこまでびっしりと」

「黙れ!! もう貴様には愛想がつきた」

「それにしても君、いい友達いてよかったねえ。
 教えてくれる人なんて、そういないと思うよ」

「余計なお世話だ!」

「本当に消しちゃっていいわけ? せっかく、書いてあげたのに。
 ま、いいか。…………もう一箇所あるし」

繁が、にやっと笑った。

「ちょっと待て」

聞き捨てならない。

さっき鏡で見た限りでは、他にはなかった。

朝着替えるときにもなかった…………気がする。 

「…………どこだ」

「さあねえ?」

呑気に、鼻歌なんぞ歌っている。

背中か……? と手鏡に写してみるが、もちろんよくわからない。

「言え」

「お願いします、は?」

「…………はあ?」

「あ。あと、昨日はごめんなさいって言ってくれたら、教えてあげるよ」

「ふざけるな貴様」

「じゃあ教えない」

「子供か!」

「どうする?」

「…………………………………教えて………………くれ」

「ごめんなさいは?」

「悪かった! 俺が悪かったから! さっさと教えろ」

「……仕方がないねえ。え〜〜と」

ふふん、と笑う。

「………………ちょっと待て!  何をする」

「え。だから。……教えてあげるって」

いつもの調子で軽く言いながら、手はとんでもないところの釦を外している。

「おい……!」

「ここ」

腿の内側…………足の付け根のあたりに。

やはり墨で記名してある。

…………しかも。

「こっちは、蔵書印じゃないんだよねえ」

落款のように残っているそれは――――。

「〜〜〜〜〜〜〜〜!」

「僕の、って印だよ。
 ほら、持ち物には名前書きなさいって言われなかった?」

「………………あのな」

「ん? 何か文句ある?」

「――――――――――――いいから、紙に書いてよこせ」

END