Out of my life

 
こちらへ、上がって来ませんか――。

天鵞絨をおもわせる、独特な艶のある声。

今日の名残りの黄金の光が、眼に刺さる。
手をかざしながら見上げると、そこには彼の姿があった。

 

「どういう、風のふきまわしだい?」

相手の意図をとらえかねて、軽口をたたく。
さすがに、いつものようには、口は滑らかに動いてくれない。
これでも随分とましになったほうなのだけれど。

「……さあ。どうでしょうね」

さらりと躱される。

「どうぞ。砂糖は、多めに入れておきましたよ」

「すまないね」

こうしていると、学生のころに戻った心地がする。

幹彦は、珈琲。
僕には、昔と同じ甘めのミルクティ。
                   

「美味しいね。このお菓子も丁度いい甘さだ」

「それはどうも。……要君が喜びますよ」

「え……? これ、要君が作ったのかい?」

「厳密には違いますが。要君に教えて貰ったんです」

驚いた。

「お前が菓子を作るなんて……」

「意外ですか?」

「物凄く」

「化学の実験と似たようなものです。
 定められたとおりの量で作れば、定められたとおりのものができる。              
 できなければ、何か原因があるものです」

「化学の実験……ねえ。作ってる姿がまるで想像できないけれど。
 やってみると、楽しいものかい?」

「さあ。どうでしょうね」

やはり。
感情の揺れ幅がほとんどないのは、昔とかわらない。

幹彦が興味を持った、というだけでも、まあいい兆候ではあるのだろう。

「楽しい……。そうかもしれませんね。
 うまくできると要君が喜んでいますから、きっとこれは、楽しいことなのでしょう」

「幹彦」

「何ですか?  レイフ」

「お前は以前、要君は五感だ、と言ったけれど」

「はい。言いました」

「――――何でもない」

よそう。言葉で説明できるものではない。

かわりに、幹彦の傍に寄り、頭にそっと触れた。

ずっと昔、まだいろいろなものが壊れてしまう前。
触りたがりの僕は、気軽に幹彦の頭を撫でた。

わざとくしゃくしゃにしてみたこともある。
幼いやり方で、彼との繋がりを持とうとしたのかもしれない。

今も。
決して届かないことは判っている。

僕などでは決して、彼の欠落を埋めることができないことも。

もしここで、あの時のように接吻してもよいかと尋ねたら。

彼は拒みはしないだろう。

でも、幹彦には何も響きはしない。永遠に、届きはしないのだ。

日向要……彼を通してのみ、この世界と繋がっているのだから。

「レイフ――? どうしました?」

「…………ああ。すまない……何でもないよ」

泣きたかったのかもしれない。

だが、涙が出ない。

僕の中にある何かが、涸れてしまっているのだ。

これが、僕の欠落――。

                     

扉の向こうに響く、聞き慣れた足音。

妙に冷えた心でそれを聴きながら、思っていた。

どのような形であれ、最後まで見届けるしかないのだ。

たとえそれが、決して届かない幻であったとしても――。
 

END