The Pain |
――It’s not your business, その口調は、柔らかだった……僕の覚えていたとおり。 やんわりと、しかしきっぱりと言い切るところも、変わってはいなかった。 薄く碧がかった瞳。 僕より少し濃い、ブロンドの短髪。 一片の隙もなくスーツを着こなしたところも、昔のままだった。 外交官である彼は、流れるような美しい日本語を操る。 その彼が英語を択んだ。真剣なのだ。 混ざり物だらけの僕の英語などとは比較にならない、正確無比なKing’s English。 ――This is my task−no,my mission. 強調された‘my’が、決意の固さを示していた。そして何よりも。 言葉よりも雄弁に語ってくる真摯な瞳を前にして、僕はyesと言わざるをえなかった。 彼は…………父は、にっこりと微笑むと、こう言った。 ――Excellent.I’m proud of you……流石は僕の息子ですね。 すると、今まで傍で黙って見守っていた母が、静かに手招きをした。 呼ばれるままに近寄っていくと。 「つらいだろうけれど……聞きわけておくれね。繁――」 そう言って僕の頭を撫で、幼い子供にするように優しく抱きしめた。 和装の胸は、微かに白粉の香りがした。 |
結局僕は、何の力にもなれないらしい。 僕のもうひとつの祖国のために、何かできることがあれば……。 そう思っていただけなのに。 別れ際に見た、あの背中を思い出す。 戦争を終わらせるのだ――と言った、広い背中。 胸の奥が痛んだ。己の不甲斐なさに涙が出る。 前を向いて、今できることは何かを考えなければ。 そして僕は、郊外に小さな家を借りた。 あいにく僕にできることといえば、駄文を綴ることぐらいなもの。 父の国の言葉でも通用するかどうかはわからない。しかし。 せめて再びめぐり逢えたとき、彼に恥じるところのないように、と――。 |
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「土田君? ねえ、お茶が入ったよ」 「ああ。今行く」 「美味しいスコーンもあるよ。ハドスンさんがくれたんだ」 大皿いっぱいのスコーンとやらを横目で見つつ、苦笑した。 ……本当に変わっていない。 「俺はひとつでいい……茶には砂糖はいらん」 「遠慮しないでもっとお食べって。ほら! 育ちざかりなんだからさ」 「俺をいくつだと思ってる」 「いいじゃない。そんなことどうだって。 「俺もだ」 「それで? また庭いじりをしてたのかい?」 「ああ」 「随分綺麗になったねえ。やっぱり器用だね君は。 「いつまでも大家さんに任せっきりというわけにはいかないだろう」 「そうだねえ。有難う、土田君」 いつも以上になつっこい笑顔。子供のような笑みだ。 この笑顔を見ていると安心する。 持ち前の明るさと人あたりのよさで、すでに近所の人々の心もつかんでしまっている。 言葉が変わろうと、場所が変わろうと問題ないらしい。 繁はこちらでも、文を綴って暮らしている。それなりに人気もあるようだ。 俺はここに、繁の母方の親戚として暮らしている。 「男の恋人」など、ここでは決して許されないからだ。 英国の郊外で、ひっそりと暮らし、隣で眠る。 これだけのことが、まるで奇跡のようだった。 絵に描いたような、幸せなひととき…………ただひとつのことを除いては、だが。 |
――…………土田君? 頬に触れる手の温もりで目が覚めた。 しまった。 繁が眠るのをみはからって眠るようにしていたのに……どうやら、しくじったらしい。 「起こしてごめんよ。……随分、うなされていたようだから。 薄暗がりの中、白い裸身が浮かび上がった。 空色の瞳が、心配そうにこちらをみつめている。 「何でも――――…………っ!」 何でもない、と言おうとしたが、声にならなかった。 雷に打たれたような痛み。 「…………! 大丈夫? 医者を呼ぼうか……それとも――」 「いらん。どうせすぐおさまる」 「でも」 「いらんと言っている」 「じゃあせめて、痛み止めの薬だけでも……どこが痛い?」 「――――――」 「土田君。隠さないでお言いったら」 「左腕――だ」 「え……」 「失くしたはずの左腕が、時々こうして痛む。 「ううん。信じるよ」 「………………?」 「聞いたことがある。Phantom Pain……幻肢痛、っていうらしいね」 「あんたは、妙なことを知っているな」 「こう見えても、物書きのはしくれだからね」 繁は、寂しげに微笑んだ。 そして、吐息までが触れるほどに近づいてきて、そっと頬に触れた。 細く長い指が髪を撫で、そのまま抱き寄せられる。 滑らかな肌の温もりを、鼓動を直に感じた。 「君の身体が……心が、失った一部のことをまだ、覚えているんだよ。 「覚えて……いる?」 「うん」 戦地での記憶。 共に朝飯を喰ったばかりの仲間が、隣で動かなくなっている。 ひとり減り、ふたり減り……。 いつもすぐ傍らで、死が待ちわびていた。 それでも俺は、死ぬわけにはいかなかったのだ……決して。 頬に、熱いものが落ちてきた。 「おい…………泣いているのか?」 髪を撫でる手が止まる。 腕をそっと解き、顔を上げると。 必死に涙をこらえようと、天井を眺めている繁がいた。 「ばれちゃったね……ごめん。 「どうしてあんたが泣く」 「嬉しかったからだよ」 「嬉しい?」 何がだ、と問おうとすると、繁は俺の左肩にそっと唇を寄せてきた。 「いとおしくてたまらないんだ……この左腕が」 「………………?」 「これは、証拠だからね。 「嬉しいか、そんなことが」 「うん。嬉しいよ」 まだ涙の光る笑顔。 繁は、肩口から虚空に唇を滑らせた。本来なら、左腕のある辺りに。 「何をしている」 「君の左腕に、御礼」 繁はなおも、虚空に接吻を続ける。 幻の左腕に沿うように。 幻の指の一本一本が、熱い舌になぞり上げられる。 本当に触れられ、愛撫されているような感覚が、ひたひたと伝わってきた。 もうそこには、何もないはずなのに。 「もう…………よせ」 「痛みは、どう? 少しは和らいだ?」 言われて気づく。 ……忘れていた。 というより、繁の唇が触れていくにつれて、痛みが消えていったような。 あとには、直に唇でふれられたような、甘い疼きが残っているばかりだ。 「もう大丈夫だ」 よかった、と安堵のため息をつき、繁は唇を重ねてきた。 「ねえ。土田君」 「何だ」 「何もかも、独りで背負うことはないんだよ。 「そんなことはない……が」 「が?」 「いや……何でもない」 「弱みを見せることは、罪なんかじゃないよ。 「そう……させてもらう」 「おや。素直だね」 「あんたが今、そう言った」 「あはは。そうだった」 「……まったく」 「いつになるかはわからないけど――」 「ん?」 「一緒に、日本に帰ろう。 「ああ……そうだな」 「今度は、僕が君に何か作ってあげるよ。繕い物だって覚える」 「…………有難いが、それは遠慮しておく」 「ええ? どうして」 くすぐったい声で抗議してきた繁を、抱き寄せる。 そして、そっと唇を重ね、抱きしめた。 俺の幻の……左腕で――――。 |
END |
I'll be your cloud up in the
sky I'll be your shoulder when you cry I'll hear your voices when you call me I am your Angel And when all hope is gone, I'm here No matter how far you are, I'm near It makes no difference who you are I am your Angel I'm your Angel――
君の空を漂う雲に すべての望みが消えはてても、僕がここにいるよ 「I'm your Angel」 by R.Kelly |