P.Y.T

 
「これでよし、と。
 終わったよ。待たせて悪かったね。…………って、あれ?」

かねてから温めていた小篇を書き上げ、万年筆を置いてふりかえると。

なんとも可愛らしい小動物が、寝息をたてていた。

「まったく。ちょっと静かだなあ、と思ってたら。
 待ちきれなかったんだね」

柔かい猫っ毛に指をからめ、くしゃっと撫でてやった。

寝ぼけて何かむにゃむにゃ言いながらも、頬をすりよせてくる。

――また少し、背が伸びたかな?

このくらいの歳の子にしては、彼――あずさ君は小柄なほうだ。

でも、こうしてほとんど毎日見ていると、その成長の早さには驚かされる。

うかうかしていると、あっという間に大人になってしまいそうな。

まだまだ、中身は驚くほど子供なんだけど、ね。

そうだ。……いいこと考えた。

失敗した原稿用紙の切れ端に、ちょちょいと書き置きを残して、僕はいそいそと出かけた。

 
――――――――
 
しばらくして、土蔵に戻ると……案の定。

あずさ君はおかんむりだった。

「せ〜〜ん〜〜せ!! いったい、どんなつもりなわけ?
 僕をさんざん待たせといて、その上、こんな書き置きのこして、どっか行っちゃうなんてさ」

「ごめんよ。だってさ、君。書き置き残してかなかったらどう?
 起きて僕がいなくて吃驚するんじゃない? 
 だから、すぐ戻ってくるから、って書いていった――」

「ほら、また言い訳。
 何言ったって、今日はごまかされないからね!」

絵に描いたようなむくれ方をして、ぷいと後ろを向いてしまう。

……やれやれ。どうにも可愛いね。

「そんな事いわずに、許しておくれよ。あずさ君」

「やだ!!」

「ごめんっていってるじゃない」

「知らないよ!」

「あ〜〜〜ず〜〜〜さ〜〜〜君?」

「そんな声出したって駄目だよ」

「わかったわかった。皆僕が悪かったから。せめてまともに謝らせてったら。
 こっちをお向きよ、あずさ君」

「ふん」

「こっち向いてくれるだけでいいからさ」

「…………そんなこと言って、また何か企んで――」

悪態をつこうとして、あずさ君がついふり返った。

怒って開いたその口に。

「むぐ!!」

紙袋の中身をひとつ、押しこんでやる。

あずさ君の表情が、面白いくらい簡単に変わった。

はい。これで僕の勝ち。

「これで機嫌、直してよ。 ね?」

「これって……まさかミルクホオルのきなこドーナツ?」

「ご名答〜〜!!」

いささか大袈裟に、拍手。

あずさ君の好みは、ある「信用のおける筋」から入手ずみだ。

「………………しょうがないなあ。許してあげるよ。今度だけ」

「本当?」

「本当だよ。だって大好きだもん」

よく動く大きな瞳が、こちらを見つめた。

「それってどっちが? 僕? それともドーナツ?」

「ん〜〜〜〜っと。どっちだろ?」

にこにこ笑いながら、きなこだらけの顔でこっちをうかがう。

…………しまった。凄く美味しそうだ。

「先生も食べる?」

「うん」

「じゃあ」

あずさ君は、ドーナツの端を手で割って――、

そのまま渡されるかと思いきや。

「ん」

口に咥えて、そのまま差し出してきた。

僕はもちろん、それを唇で受けとって食べ、ついでにきなこだらけのあずさ君の唇と頬も
味わった。

「…………ん! やだ、くすぐったいよ」

「……甘いねえ」

「どっちが? 先生」

「ん? どっちも……かな」

僕は苦笑した。

こんなところばかり大人になって……僕は育て方を間違えたかな。

「何考えてるのさ」

「僕はあの時、果たしてふすまを開けてよかったのかな……ってね。
 君の未来もほら、……変えちゃったことになったわけだし?」

「そんなの……よかったに決まってるよ」

「そう。そう言ってくれると嬉しいけどね。
 意地悪なこと言うと、例えばあの時ふすまから現れたのが、君の憧れの先輩だった……
 なんてことがあったとしたら、どう? やっぱりこうなったかな?」

にやっと笑う。

「まだ気にしてるんだ、そんなこと。先生も案外、しつこいね。
 金子先輩は……憧れてただけって言ってるのに」

「ふうん?」

「そんな意地悪いうんなら、やらしいことしてあげないよ!
 もう、ここにも来ないから!」

「あ〜〜〜〜、ごめんって。もう言わないよ」

「何か可愛い。先生」

「……え? 僕が?」

「うん。可愛い。ねえせんせ?」

「何だい?」

「もうちょっと待ってて。僕急いで大人になるよ。
 そうしたら、今度は先生に、もっともっとやらしいこと、いっぱいいっぱいしてあげるから」

「…………あのねえ」

「何か不満?」

「不満なことなんか。………………楽しみにしてるよ」

やれやれ。

どうやら、思いもよらない方向に話が転がってきた。

そういうことをあけすけにいうあたり、まだまだ子供だよ、と言いたかったけれど、
僕は黙っておくことにした。

…………さあて。未来が楽しみだ。

気長に、お手並み拝見……させてもらうことにしようか。

 
END
 
※P.Y.T.=Pretty Young Thing
         かわい子ちゃん…………80年代的表現(笑)。