Ray of light
 
  雨が、降っている。
 雨粒が葉をたたき、ばらばらと音がするほどだというのに、
この国の人間は、傘をささないのか。

 2階の洋窓から見るこの景色にも、少し飽きはじめてきていた。
 繁を追ってきた、この英吉利の空。
 懐かしい土蔵の小窓から入る、ひとすじの光のほうが、
ここの空よりもずっと明るく見えたのは、俺だけだろうか。

 ホオム・シックなどでは決してない。
 たとえそうであったとしても、もう帰る船はないのだから。
 
 そう思って、俺はそっと窓を離れた。

「とらわれのラプンツェル姫。
 外に何か、面白いものでもあったかい?」

「いや……」

「君には、籠の鳥は向かないね。
 僕は昔、望んで籠に飛びこんだことがあったけれど、
 今の君よりかずっと長いこと、飼われていたよ」

「飼われていた、だと?」

「そう。女の人に」

「それはまさか、愛人、ということか」

「下世話な言い方をすればね」

「どんな言い方をしようと同じだ」

「可哀想だけれど、もうしばらくここに隠れておいで。
 日本にいたころ、僕も奇異なものを見る目で見られたものだけれど、
 今は情勢が違う」

 そうだ。
 外交官の子息である繁の家に、こうして匿ってもらっているが、
強制送還されなかったのが奇跡のようだ。

 きな臭くなってきている世の中。
 繁の母方の親戚、という名目で置いてもらっている俺も、
厄介者でしかない。

「随分と、髪が伸びたね」

「一度抜け出して散髪に行ったが、東洋人の髪など切りたくないのだそうだ」

「僕がうまいこと切ってあげられればいいけど、
 あまり自信がないね。
 君の素直なこの髪を、おかっぱにしてしまうのも勿体ないし」

 繁が、長くなった俺の後ろ髪を手ですいた。

「いっそ、伸ばすかい?」

「俺は、メートヒェンのように可愛らしくはならんぞ」

「まあね、眼にすこし険があるけれど、君は君で美人さんになると思うよ」

「……はあ? はさみを貸せ。即刻切る!」

「髪には霊力が宿る……とかいうのは口実で、
 この綺麗な髪を切るのが嫌なだけなんだけどね」

「…………っん!」

「おや、髪にキッスしただけなのに、感じるのかい?」

「いいから、よせ!」

「やだよ」

 繁は、俺の髪をかきわけ、うなじに接吻した。
 ついばむようにキッスの雨を降らせながら、俺の開襟をはらいおとし、
背中に唇をはわせる。

 俺はあわてて洋窓に走ると、カアテンを閉めた。

「おい! ここでは男同士など、ご法度なのだろう?」

「そうだねえ。しかも、外交官と日本の子爵の子息だ。
 とんでもない醜聞だね」

「…………」

「でも、だから面白いんじゃないかい?」

「……まったく」

 俺は、繁に「好きだ」と告げるだけのために、
 もう一度逢いたいと思った、それだけのためにここまで来た。
 だが、その答えはまだ貰っていない。
 繁が書いた日本最後の小説の、繁の分身はそのわけを語ってはいた。
 本気になられるのに、そして、本気になるのに慣れていないのだと。
 いつ、その答えがこの口から出てくるのかと思いつつ、
 今日もこうして、肌を合わせている。

 洋椅子に身を沈め、ジャガード織の表面に爪をたてながら……。

「……あ……! んん!」

 這うかたちで、繁は俺の髪の房を口にくわえつつ、ゆっくり、ゆっくりと
中をかきわけてくる。
 俺が英吉利に来た日も、こうして身体を繋げた。
 さすがに、全てを受け入れるまでに時間はかかったけれど、
受け入れてしまうと、俺の身体はその形を待っていたようになじんだ。

 繁と逢えない間、女友達と莫迦をやらかし、
 時には、戯れに男を迎え入れることもあったが、足りなかった。
 その、大きさ、という意味だけではなく!

 繁が、軽く肩に咬みついた。
 戯れの男など、比べるべくもない。
 繁にしか届かない、奥のそのずっと奥にまで埋めこまれて、
俺は歓喜のあまり涙を流していた。
 
「ん! っひ、あ、あ、あ、ああ!」

 繁の手が胸の粒を強めに弄り、中を大きく突いたものだから、
俺は、まだ前に触れられてもいないのに達してしまった。

 締めあげてしまったせいで、余計に身体の奥の繁の形を感じ、
たてつづけに絶頂感が襲ってくる。

「放さないって……君のここ」

「んん、言う、な……!」

「だって僕のこと、こんなに締めつけてさ。
 動けないから、もうちょっと緩めてごらん」

「だから、言う……な、と! あ! ああ!」

 奥の奥で、大きく円を描くように動かされ、一瞬目がくらんだ。
 吐精もしていないのに、中だけで三度目を迎え、
身体中の痙攣がとまらない。
 おさまらない余韻のまま、肩で息をし、なんとか酸素を取り入れようと
したその瞬間をねらって、また大きく突かれ、ひっ、と声が出る。
 繁は俺の中に、たてつづけに全てを注ぎ、俺もまた限界を迎える。

 もう、無理だ。
 頭の芯が痺れて、何も考えられない。

「は……っあ、しげ……る、んん!」

 呼吸困難になりながら、快楽の海をたゆたい、
 ようやくその波がしずまって、まわりが見えだしたころ――。

「あ、そうだ。
 金子君、今日は君にいいものを買ってきたんだよ」

「……いいもの?」

「そこの袋、開けてごらん」

「………………?」

 机にあった茶色の包みを開いてみると……。

「原稿用紙?」

「そう。君、ここしばらく書いてないって言ってたからね。
 筆もしばらく持たないと鈍るよ。
 それに、ここに隠れてる籠の鳥にも、慰めになる歌が必要だから」

「繁は、その……書いてるのか?」

「もちろん。日本語でも書いているし、ここの言葉でも書いてみてる。
 世に出すことは、今の情勢が許してはくれないけど、
 いつかまた、『水川抱月』として雑誌に載せられる日がくるよ」

「だといいな」

「君も! 鳴物入りで現れた期待の新星が、たった一作だけで
 消えていくのかい?
 推薦文まで書いてあげたんだから、そんなこと許さないよ」

「……わかった。書いてみる」

「あとは……」

「…………?」

 繁が小さく、手招きした。
 後ろを向けというので、そのとおりにしてみたら、
後ろ髪が束ねられる感触がした。

 髪を結われることに慣れていないので、一瞬どきりとしたが。

「はい。できた」

「これは……?」

「お護りさ」

「…………?」

「結い紐。僕のおさがりだけど、同じのいくつか持ってるから、
 これは君にあげるよ。やっぱりこういうのは、僕みたいな
 うねった金髪より、まっすぐな髪のほうが映えるね」

「決めた」

「え?」

「俺も書く。
 書生でいいから置いてくれ、などという甘いことはもう言わん。
 この国では繁の庇護なしでは危ないかもしれんが、
 いつか国に帰れたとき、そして、世が落ち着いたころ、
 水川抱月もうなるような名作を世に出してみせる」

「楽しみにしてるよ」

 服を身に着け、閉ざしていたカアテンを開けると、
この国にはめずらしいほどの眩しい光が流れ込んできた。

END