Sweet Release

 
「はい、乾杯!!」

普段は呑めもしない相手が、喜々としてグラスを掲げている。

 
買い物に行くからつきあってくれ、と言われたのがそもそもの発端。

古本屋街で紙袋一杯に怪しい本を買い、それを俺に持たせておいて
自分はひょいひょいと身軽に先を行く。

いつもの大島の袖をひらひらさせつつ、面白い看板やら道端の猫やらを
見つけては道を外れる。

露店の量り売りで飴を品定めする目は真剣そのもの。

いつもながら、この男は大きな子供のようだ。

何か美味しい匂いがするよ……と嗅ぎ当てて入ったのが、このバアだ。

洋食屋の体裁をとりながらも、下町らしい酒のつまみも置いている。

ライスカレーだの何だの、いかにも小洒落た品書きの横に、何の不自然さもなく
冷奴や魚の煮付けが並んでいる。

客層もさまざまだ。

芝居がはねたばかりらしい役者や、芸者、観光客。
単行本片手の独り者。向こうの席では、学生が芸術論を戦わせている。

軽い食事と一緒に、珍しく繁が酒を頼んだ。

呑めもしないのに……と言っても、いいから、の一点張りだ。

言い出したら聞かないのは百も承知だから、好きにさせておくと。

小さなグラスを俺の目の前にも置き、にっこりと笑ってみせた。

「これはねえ、電気ブランって言うんだってさ」

「電気?」

「そう。ブランデーのほかに薬草なんかも入ってるんだって」

「身体に良いのか」

「さあ? どうだろ。とりあえず、乾杯しよう」

「…………」

「おや、何変な顔してるんだい? 下戸の僕だってたまには飲むさ。
 だって今日は、特別な日だからね」

「…………?」

「え。まさか本気で忘れてるのかい?
 君の誕生日じゃない、土田君」

「それはまあ……そうだが――覚えていたのか」

「もちろん。……おめでとう」

高い音をたてて硝子が触れあった。

琥珀色の向こうに、空色の瞳が微笑んでいる。

「ふうん。お酒っていうより、子供向けの水薬みたいだねえ。
 甘いよ。これなら僕でも飲めそうだ」

「ほどほどにしておけ」

「……はいはい。わかってるよ――あ、そうだ」

「何だ」

「土田君、悪いけどちょっと、その紙袋とってくれる?」

「これか?」

「うん。有難う……え〜っと」

がさがさと探り、目当てのものを見つけ出したらしい。

「はい、これ」

「…………俺に?」

「いいから、開けて開けて」

紙包みを開けると、中から大きな茶碗……というより丼が出てきた。

手にしっくりと馴染み、柄や形も好みだ。

「どう? 気にいったかい?」

「いい趣味だ。……これなら料理も映える」

「良かった。君専用のお茶碗だよ。
 僕んちに置いておくから、使って」

「……気を使わせてすまんな。礼を言う」

「ずっと気になってたんだよ。……ほら、君って剣道やってるしさ、結構いっぱい
 食べるじゃない。何度もおかわりするの面倒だろうから」

「それはあんたもだろう」

「僕? ……僕はね。 土田君、おかわり! って何度もよそってもらうのが
 嬉しいからいいんだよ」

「……………………まったく。早く嫁をもらえ」

「え。 だから、君の嫁入り道具」

「よ…………馬鹿をいうな」

「あはは」

その時、急に繁の身体がかしいだ。

卓についていた肘が外れ、がくんと上体が崩れる。

「…………おい!」

慌てて手を貸す。

腕の中、ぼんやりと見上げてくる、とろんとした瞳。

「あれ〜〜〜〜?」

おかしいな、ちょっとしか飲んでないのに、と笑い、全体重を預けてくる。

開いてあった品書きを見て驚いた。

45度……。ウオツカ並みの強さだ。

意味もなく、くすくす笑っている繁にとりあえず水を飲ませ、休ませることにする。

椅子からずるずるとすべり落ちる身体を支え、何とかひっぱり上げる。

「土田君〜〜〜〜」

「…………こら……!」

首に腕を回し、ぶらさがるような格好になりながら、うっとりと見つめてくる。

………………だけならいいが。

「……………………!」

一瞬の隙をついて、唇を重ねられた。

まずい。これはまずい。

誰かに見られやしなかったろうか……と冷や汗もので店を見回す。

「何を考えている………………おい、寝るな!」

 
――――――――
 
ただでさえ重い紙袋を抱え、眠りこけた繁をひきずるように背負って店を出る。

眠っているとばかり思っていても、突然後ろからちょっかいを出してくるから
油断ならない。

何とか家に着き、座敷に布団を敷いて転がした。

水でも持ってきてやろうと台所に行きかけたとき、手首をがしっとつかまれた。

「おい」

「置いてく気? ……つれないなあ」

「大人しく寝ていろ」

「身体が熱くてさ……眠れないよ」

「あんな強い酒を飲むからだ」

「わかってるけどさ――ちょっとだけ」

「………………」

「ねえ。一回、だけ」

「………………」

「土田君?」

顎の下から手を滑らせてくすぐり、ついばむように口づけしてくる。

「ねえ」

吐息で囁かれ、気づけば釦を外されている。……いつもながら上手いものだ。

「土田君……」

「仕方のない」

そう呟くと、首に回された腕でぐいっと引き寄せられ、抱きしめられた。

「おい……」

「ごめん」

「何を謝る」

「――――」

身を起こして見下ろすと、空色の瞳が揺れていた。

ここで放してはいけない……何故か不安になって、唇を重ねる。

柔らかな髪に指を埋め、いつもより熱いうなじへ指を滑らせる。

帯も解かぬまま、衿をひらく。

零れ落ちる、痛々しいほどに白い肌。

改めてこう見ていると、細かいところまで美しく出来ているのがわかる。

鎖骨のあたりをそっと、舌でなぞると、繁がわずかに仰のいた。

裾から手を差し入れ、脚を辿っていっただけで、吐息を洩らす。

「あの……さ、」

「何だ」

「頼みが…………ァ、あるんだ……けど」

「…………」

「ほんとにたまにでいいんだ。…………5回に1回くらいでもいいからさ……」

「…………?」

「僕を――見ていて、くれない?」

思わず、手を止めた。

ほんの一瞬、潤んだ瞳に哀しげな色がさした。

「………………なんて、ね。あはは。
 鑑賞にたえないようなご面相……ってわけでもないと……思うんだけど?」

「………………」

「ああ……酔っ払いのたわごとだから、聞き流してくれて構わないよ」

もしかすると、ほとんど酔いは醒めているのかもしれない。

……そんな気さえ、した。

もちろん、酒のせいで少し、タガは外れているのだろう。だからこんなことを言う。

こんな、哀しい言葉を。

はぐらかしても、伝わってくる。

俺がまだあの人を想っているのだと……これは同情なのだと、思っているのか。

「よせ」

「……え?」

「無理をするな」

「………………」

「その……巧い言葉が見つからんが……、
 俺は、何とも思わん相手を抱けるほど器用じゃない」

「……やれやれ」

「………………?」

「君には、隠し事はできないね」

長い脚が背に絡みついてきた。

そのまま、引き寄せられる。

「……おい…………?」

「…………何だか、凄く欲しくなっちゃった」

吐息とともに、囁かれる。

悪戯っぽく笑ってみせるその表情は、普段のものに戻っている。

少し安心して、再び、そのなめらかな肌に顔を埋めた。

 
――――――――
 
「いやあ美味しいねえ。この五目飯!!  この煮つけも!!」

いちいち誉めるその言葉に世辞はないだろうことは、表情を見ればわかる。

菓子ばかり食って身体を壊さないように、と一応考えているつもりだ。

嫌いな野菜をすりおろして入れてあることも、この分だと気づいてはいないだろう。

形が残っていると、隙をねらって人の皿に入れてくるのだから困ったものだ。

しかし、何にせよ喜んでもらえるのは嬉しい。

「土田君、おかわり!!」

喜々として、茶碗を差し出してくる。

「……少し落ち着け。口の端に飯がついているぞ」

「え? どこどこ?」

「……まったく」

苦笑しながら、湯気のたつ二杯目をよそってやる。

ついでに、俺の分もあの茶碗に。

炊きたての五目飯が、気のせいかいつもより美味そうに見えた。

END

 

 

電気ブラン……あなどれません。
私は二杯で久しぶりにマジ酔いしました。
悔しいのでネタにする望月。
ちなみに現在の度数は40度らしいです。