Teaser
 
それは、まだ肌寒い冬の昼下がりのこと。
いつものミルクホオル、いつもの窓際の席。
僕はホットミルク、金子君は珈琲を頼んで、今回の僕の作品について語っていた。
と、ここまではいつも通りだった。

そう。
熱くなりすぎたんだ。……彼が。

「……だからだな! 
 俺はそうは言ってはおらんぞ。それは……俺には俺の考えた筋書きがある。
 だが、俺が知りたいのはそんなことじゃない」

後ろの客がちらりとこちらをふりむいた。
ごめんよ。ちょっと、声が大きいね。

「ふうん」

わざと、ちょっと興味のなさそうなふうをよそおってみる。

「わかっているだろう! 柾木はあの後どうする?
 どう進んでも、八方塞がりだろう。
 あれから徹夜で三通りは考えてみたが、どうしても無理だ」

「あはは。それはご苦労様。
 そこはねえ……結局は僕のさじ加減だから?」

「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」

「道理でそんな赤い眼をして。
 いつもみたいに、次号が出る前に見せてあげるから、
 楽しみに待っておいで。それじゃ駄目かい?」

「いかにお前が、遅筆と言われようと、
 腐っても水川抱月! 奇跡は起こせるはずだ。
 今から帰ってだな――」

ああ!
よりにもよって、こんなところで!

「ちょっと、ちょっと、金子く――」

「失礼。探偵作家の水川抱月先生ですな」

細かい千鳥格子の背広を着た、50がらみの男が立ち上がった。
さっきからちらちらとこちらをうかがっていたような気がしていた……んだけれど。
ここはシラを切るしかない。

「人違いです」

ここまで会話を聞かれていては、今更外国人のふりもできないし、参ったな。
金子君……恨むよ。

「私は無類の探偵小説フアンでして、『樹の下にて』の初版本もうちの本棚にある。
 著者近影とは少し感じが違うが……先生に間違いありませんな」

「それはどうも……やっぱり回収しておくべきだったみたいだねえ」

あの写真が世に出回ってから、本当にろくなことがない。

「……おっと、これは失礼。
 私は『紙上楼閣』の記者で、高梨と申します」

「へえ、『紙上楼閣』のねえ……」

「『紙上楼閣』といえば、巷で起こった事件や事故を、何やかやと書きたてる雑誌だろう?
 小説欄など、無かったと思うが?」

「こら、金子君、失礼だよ」

僕が頭の中で思ったことを、すらすらと代弁してくれた。
品が悪いわけじゃないが、良いともいえないような雑誌だ。

「いや。恥ずかしながら、おっしゃる通りです」

高梨氏は、歳若い相手に本気で恐縮したようだ。根っから悪い人間でもないらしい。

「原稿の依頼でないのなら、申し訳ないけれど、僕はこれから帰るところでね。
 〆切も近いからできれば急ぎたいんだけれど――」

「お時間はとらせません。抱月先生の、探偵作家としてのお知恵を拝借したいだけで」

そらきた。

「……………………それならお断りするよ。
 近頃、何を勘違いしたか、そういう手合いが増えて困ってるんだ。
 こんな物語の筋が書けるんなら、分かるんじゃないかってね。
 僕は探偵でもないし、医者でもないよ。ましてや刑事なんかじゃない。
 分かるわけがないんだよ。全部、僕の頭で考えた絵空事なんだから。
 さあ、金子君、行くよ」

「ああ」

「せめて、この写真を。
 たまたま現場に出くわした、絞め殺された女性の遺体です」

「……分からないって言って――、
 莫迦をお言いでないよ。これは絞め殺されたはずがない……違う写真だろう」

「間違いありません。この写真です。
 それでは先生は、これは他殺ではないとおっしゃる?」

「どういうことだ?? 繁??」

しまった。
好奇心は猫を殺す。この、首をつっこみたがる癖、何とかしなくちゃね。

「あああ、面倒くさいことになっちゃった……。
 君まで眼を輝かせてこっちを見るんじゃないよ、金子君!
 元はといえば、君が悪いんだからね。
 こんな人の多いところで、僕の正体を口にするから」

「それは謝る。だが、その写真は何故他殺でないと分かるんだ?」

「ぜんっぜん、反省してないね。
 後でお仕置きだよ。覚えておいで。
 ……で、高梨さん。謝礼は出るんでしょうねえ」

「え? そ、そりゃあもう。
 原稿料の倍くらいは」

「僕が欲しいのは、お金じゃありません。
 コウモリの……」

「コウモリの?」

「絵のついた」

「底にざらめの沢山残っている、かすていら!」

「かすていら……」

「……を、まるまる5本!」

「……5本。いいでしょう。
 天下の水川抱月先生のお知恵を拝借できるなら、安いものです」

「……10本にしとけばよかったかな――」

「いい加減にしろ、繁!」

「まあ、冗談はこのくらいにして、」

「本気だったんだけどねえ」

「は?」

「あ、何でもないよ。こっちの話。
 じゃあ訊くけど、他殺だ、って言うのは、誰が言ったんだい?」

「この娘の残した日記に、彼に殺されるかもしれない、怖い、と綴られていまして。
 捕まった男のほうは、否定しておるようですが」

「ふうん。
 だけどねえ。殺されるにしちゃ、だいぶ神妙に殺されたもんだねえ。
 ごらんよ。この頸の写真」

頸の周りに影のように紐の痕がついているが、他は綺麗なものだ。

「何がおかしい?」

「何がおかしいって、金子君、おかしいところだらけじゃない。
 君なら、頸を絞められそうになったらどうする? まず逃げるだろう?
 そして、暴れる。犯人をひっかいたりもするだろうし、
 紐をゆるめようと、頸と紐との間に指を突っ込もうとするだろうと思うよ」

「ああ、そうだろうな」

「すると、頸のまわりにひっかき傷ができたっておかしくない。
 紐の痕に、指を突っ込んだ痕が残ってもおかしくない。
 それが、この写真にはいっさいないんだよ。それに、こっちの写真は」

「ほう」

「これは、紐が外される前の写真だけれど、結び目が前になってる。
 抵抗がなかったことの決め手じゃないかな。
 僕がもし絞め殺すなら、後ろから狙うね。抵抗もないし、簡単に力が入る」

「しかし、自分で自分をくびり殺すなど、無理ではないですかな」

「どうかな。無理ではないと思うよ。
 実際に試したことがないから分からないけれど、ようは、自分が気を失っても
 解けないように紐を細工すればいいんだから。かた結びにするとか、
 もっと確実を狙うなら、水につけた革紐を使うとかね。
 乾くと、自然に絞まるから」

「証拠は出ますでしょうか」

「さあねえ。これだけじゃあ、状況証拠だから弱いねえ。
 この娘が、その彼とやらを陥れようとしたのかどうかはわからないけれど、
 彼は無実だろうと、僕は思うよ。
 例えばの話、ずうっとずうっと未来、遺体の爪に残った皮膚の破片かなんかを調べて
 犯人が分かるようになったら、それはまた話が変わってくるだろうけど」

「ありがとうございました! これでうちは世をあっと言わせる記事が書けます!
 コウモリ印のかすていらとやらはもちろん御自宅までお届けいたします!」

「じゃあ、間をとって、7本で」

「……は? はあ、7本で」

狐につままれたような顔をしたまま、高梨氏は勘定をすませ、帰っていった。
残されたのは、僕たち二人。

「やれやれ。まさかこんなところで探偵ごっこをするはめになるとはねえ」

「…………………………繁」

「ん? 何だい? 金子君」

「今の今まで、ずっと心の奥底では半信半疑だったんだが、」

「?」

「やっぱり、水川抱月だったんだな」

「あのねえ……何を今更言い出すかと思えば。
 今まで僕を何者だと思ってたんだい」

「それは…………」

「まったく、自称・筆頭フアンならば、それくらい見破ってほしいところだけどねえ」

「面目ない」

「さて、と。帰るよ」

「ああ」



                 ――――――――――――――――――




「…………っ、く、あ…………」

土蔵。
ちろちろと燃える蝋燭の灯の中、僕は原稿に向かっている。

金子君?
………………お仕置き中。
僕の秘蔵のなんとかやらを、筆で身体の奥とか金子君の弱いところとかに塗って。
おまけに、それを洋酒に混ぜたやつを飲ませて。

そろそろ、効きはじめるころだ。
身体の芯が熱くなって、内側を何かが這い回るような気がする……と書いてあった。
効能書きには。

「――あ…………ん、し、げるっ、」

「ん〜〜? 何だい? 今、執筆中だよ」

わざと冷たく、言い放つ。

「も、……嫌だ……っ!」

ちらっとふり返ると、金子君は床に爪を立てて肩で息をしていた。
相当辛そうだ。

「お仕置きだって言ったろう?
 嫌だっていいながら、ずいぶん愉しそうだねえ。どんな感じだい?」

「身体が……しびれ……、は、あ……ァ!」

無意識に触れようとする金子君の右手をぐっと押さえ、囁いた。

「駄目だよ。自分で触っちゃ。やらしい子だねえ。
 ……どうしたいんだい?」

「…………ん」

「言ってごらん」

「早く……っ」

言うなり、僕を押し倒して、自分から腰を落としてきた。
陶然と、見下ろしてくる。

「はぁ……っ、ん……っ!」

いつもより強い締めつけに、くらりとする。
僕も、少し飲んでおくんだったかな、あの薬。

「し……げる……ァ……、あ、あ、あ!」

止まらなくなっているらしい腰の動きにあわせて、前も煽ってやると。
泣き出しそうな声を上げて、金子君が達した。

間をおかず、奥に叩きつける。
まだ余韻の残った身体は鋭く反応し、つづけざまに何度も頂点を迎えた。



「金子君? ……お〜〜い」
軽くつついてみたけれど、答えはない。
疲労困憊……でも満足しきった顔で眠っている。

僕に負けないくらい白い肌の、そんなとこやあんなとこには、僕がつけた痕がくっきりと。
……起きたらきっと、怒るんだろうなあ。

せめて、僕のできることひとつくらいは叶えてあげるとしようか。

そして僕は、ようやく本腰を入れて文机に向かうことにした。

コウモリ印の、例のあれを夢みつつ――。
 

END