Through the Rain

 
「できたぞ」

糸を切り、裁縫箱に針を戻す。

「いつもながら、鮮やかな腕前だねえ」

「少しは気をつけろ。こう度々では、そのうち繕う袖が無くなるぞ」

「はいはい。わかってるよ」

本当にわかっているのだろうか、とため息をついた。

この大島で塀を乗りこえてくるのだから、ひっかけてしまうこともあるだろう。

それにしても……だ。

 
今繕ったばかりの袖が、ふわりと頬に触れた。

抱きしめるようにして、そっと頭を撫でられる。

毎度のことながら、次の行動が読めない奴だ。

「何をしている」

「何……って、撫でてちゃ駄目?」

「駄目……ということはないが。俺など撫でてもつまらんだろう」

昨日散髪したばかりだから、ちくちくして感触もよくないはずだ。

それでも触れてくるのは、何か理由があってのことなのだろう。

そう思って、俺は繁の好きにさせておいた。

 
時折、繁はこうして触れてくる。

あの男が――月村が逝ってから、更に増えた気がする。

察しの悪い俺にもわかるほどに。

人当たりのいい笑顔の蔭に隠れた…………虚ろな心。

それを埋めるために、彼なりにあがいているのだ。

どうも、放っておけない。

ずっと年上なはずなのに、時に妙に儚く、愛おしく思える。

 
「ねえ……土田君」

「何だ」

「あのさ………………」

掠れた声でそう言い出したきり、繁は黙ってしまった。

沈黙が痛い。

こういう時に、気のきいた言葉のひとつも思いつかない自分がもどかしい。

何が必要なのだ。

壊れ物のようなこの人の心を充たすには、俺はどうすればいい。

何もかも、わからないことだらけだ。

目の前には、空色の瞳。

どこまでも透明な色の中に、哀しみが透けてみえる。

胸の奥が痛んだ。

気づくと、すいよせられるように唇を重ねていた。

いつの間にかはだけられていたらしい裸の胸に、繁が頬をすりよせてくる。

抱き寄せ、髪を結っていた紐をそっと外して、柔らかな髪を撫でてやった。

心地よさそうに身を任せているものの、今日は妙につらそうに見える。

「…………おい、」

「黙って」

囁くその声も、心なしかつらそうだ。

いきなり前をくつろげられ、口に含まれる。

熱い舌が、からみついてくる。

「そろそろ……いいかな」

何を思ったか繁は、自ら腰をおとし、何の準備もないまま受け入れようとした。

「おい……待て!」

「え……?」

「どうしてあんたは……いつもそうなんだ。
 つらい思いをしたいのか?」

半ば強引に押し倒し、舌を滑らせた。

「…………ちょっと、……土田く――!」

哀願の声は無視する。

どこがいいかは、ほんの少しながらわかっているつもりだ。

「…………も、いいって…………あ!」

髪を乱して、繁が達した。

「本当に優しいね、君は――」

けだるげに起き上がり、乱れた息のまま囁いた。

「つらい思いをしたいのか……って、訊いたよね、土田君」

「ああ」

「その、つもりだったんだよ。僕は――」

「………………?!」

唇を重ね、ゆっくりと腰をおとしてくる。

息を吐き出して全てを納め、自ら動きはじめる。

時折、さざなみのように伝わってくる、緊張。

わざと自分を痛めつけるような動きかただ。

「よせ!!」

「…………あれ? …………っ! んん……、よく、ない?」

「違う。どうしたというんだ……今日のあんたは……可怪しい」

「………………」

「何か……あったのか」

俺の問いに答えようとせず、はぐらかすように動きを激しくする。

それならば……と、腰をとらえ、すこし手荒に下から煽ってやった。

「…………あっ、あ、っは、あ………………ァ!」

悲鳴のような声をあげて、繁がのけぞった。

背中に回された手に力が入り、爪がくいこむのがわかる。

きつく締め上げられて、こちらもつられる。

いつにない激しさ……やはり、どこか変だ。

座った俺の肩に額を預けたまま、繁がつぶやいた。

ほとんど聞き取れないほどの声。

「………………ごめん。土田君」

「何を謝る」

「君は、僕を罰してくれていいんだよ?」

「…………?」

「それとも僕には、その資格もないのかな」

「何を言っているのかわからん。説明しろ」

繁は、一度顔をあげ、寂しげに微笑んだ。

「僕は……君を利用したんだ。君のその優しさに甘えてた。
 君の心が要君に向いていることを百も承知で、ね」

「おい……っ!」

「君のまっすぐな想いを汚していることを……愉しんですら、いたんだよ。
 最低だね。……あはは。――自分が、……んっ、……嫌になる」

ほとんど涙声になりながら、すがりついて腰を使う。

「もう……いいよ。
 今まで、僕の我儘につきあわせてごめん。
 要君のところへお行き。僕は独りでいるのなんて慣れっこだから。
 君の気持ちに素直に………………え!?」

とまどう繁の身体をすくいあげて床に降ろし、覆いかぶさるかたちになる。

うっすらと涙の浮いた青い瞳を見下ろしながら、きっぱりと言ってやった。

「勝手なことばかり言うな。
 その…………俺が口をはさむ隙もないだろう」

「土田君?」

「利用した、というのならおあいこだ。
 要は……以前はともかく、今は守ってやりたいだけにすぎん。
 それに、金子がついている。心配いらん。
 あんたがそんなことを思っていたとは知らなかった。
 やはり俺は言葉が足りんらしい……すまん」

「あ……あはは」

「どうした。何が可笑しい」

「だって……今度は、僕が口をはさむ隙がないよ」

つい夢中で、いつになく饒舌になっていたことに気づかなかった。

「茶化すな」

「ごめん」

「謝るな」

「ごめん」

「だから、謝るなと言っている」

「ねえ。土田君」

「何だ」

「さっきの言葉、撤回してもいいかな?」

「…………?」

「ここ」

身を起こした繁が、再び懐に頬をうずめてくる。

「もう少しだけ、僕の場所にしていい?」

答えの代わりに、その滑らかな背をきつく抱きしめた。

 
それは、冬のさなか。

触れあった肌の温もりが、いつもより確かに感じられた、雨の夜の出来事だった。

END