Truly Scrumptious
 
水川抱月――水川繁という男は、底が知れない。
 いや。訳がわからない、と言ったほうが正しい。

 共に過ごす時間がある程度長い、この俺でさえ、予想もつかないところから
技を繰り出してくる。
 だから飽きない……と言えばそうなのだが。
 
 全ての葉を枯らす、乾いた風が吹き始めたこの日。
 繁は、〆切を五日後にひかえ……。

 土蔵の床に、だらりと横たわっていた。
 一応、尻は座布団に乗っている。
 やる気「は」あるのだ、ということの証のつもりか。

 しばらく、湯葉のようにだらしなく横たわっていたかと思うと、
弾かれたように起き上がった。
 ようやく、話の筋でも浮かんだか、と、読んでいた本ごしに眺めると。

「焼き林檎が食べたい!!!!!」

 だしぬけに、大声を上げた。

「はあ?」

「焼・き・リ・ン・ゴだよ! 金子君!
 焼き林檎。Baked apple! 知らない?」

「Baked apple?」

「そう! 発音完璧。相変わらず、耳がいいね。君。
 でも、今は英語の授業じゃないよ。
 どっちかというと、調理技術――」

 言いかけた繁の腹の虫が、盛大に鳴いた。
 あらゆる欲望に正直な奴だ。

「林檎を、焼けばいいのか? 
 そんなこと、家政婦にでもやってもらえばいいだろう」

「あいにくと、トミさん、休みを取っていてねえ。
それに、ただ焼けばいいって訳じゃないんだ……ちょっと待って」

 繁は立ち上がって、本棚の隅から一冊の本を持ち出した。
 金の箔押しは、横文字。
 『100Recipes of English Cooking』とある。
 洋書など持ち出して、何をするのかと思っていたら、
ぱらぱらと頁をめくり、目当てのものを探し出した。

「みぃつけた! これこれ。
 金子君、君、英吉利の言葉、わかるんだよねえ?」

「……ほんの、嗜む程度にはな」

 嫌な予感。
 繁の空色の瞳が、輝いた。

「じゃあ! これ、頼んだよ!
 わぁい、何年ぶりかな?」

「ちょっと待て! 
 引き受けるとは一言も言っとらん!
 そもそも、俺は料理なんて――」

「だってさあ、調理技術のある土田君は、それ、読めないよねえ?
 それに、土田君呼ぶと、誰かさんが妬くし?」

「……誰が嫉妬なんぞしてやるか!」

「僕は、『誰かさん』って言っただけだよ。
 なんで君が怒るのさ。
 ああ、察するに君、この本が読めないからそんなこと言ってる?」

「はあ? 誰が! 
 俺をみくびるな。そんな料理本のひとつやふたつ――」

「じゃあ、頼んだよ。
 美味しい焼き林檎、食べることができたら、僕の筆も乗るだろうねえ」

「……う……。
 きっとだな! 約束だぞ!」

「勿論。水川抱月に二言はないよ」

「本っっっっ当だな?」

「しつっこいねえ。君も。
 僕、そんなに信用ないかい?」

「何せ、日頃の行いが悪すぎる」

「わかったよ。僕も、机に向かうから。
 今日じゃなくてもいいけど、なるべく早く頼むよ」



 売り言葉に買い言葉で、「焼き林檎」とやらを作るはめになってしまった。
 例の「レシピ」とやらと一緒に渡された、英和辞典を抱えて、台所に向かう。

「『林檎は、中くらいの大きさがベスト、大きすぎると焼くのに時間がかかります』?
 何を言っとるんだ……常識的に考えても当たり前だろう。
 Score the skin?  点数が何の関係が……いや、動詞だからこれだな。
 『皮に切り込み線を入れておくと、食べるときに楽です』。
 こんな子供でもわかることを、わざわざ英語で書くな!」

 ひとり、料理本に毒づきながら、少しずつ読みすすめていく。
 くだらないことでも、インチやポンドで表記してあるので、感じがつかめない。
 
「『芯をくりぬいて、バター、干し葡萄と』……しなもん? 何だそれは」

 聴いたことのない言葉に、あわてて辞書をひく。

「セイロンニッキ……? 
 桂皮(けいひ)として、生薬にも用いられる?
 そんなもの、どこで手に入れるんだ……」

 次の手順を見てみると、『オーブンに入れ、華氏350度で焼く』とある。
 どこまで不親切なんだ、この本は。
 そういう重要なことは、最初に言え。
 大体、こんな古典的な日本家屋に『オーブン』なんぞあってたまるか!

 ふざけるな、と本を放り出しかけて、ため息をつく。
 こんなことで諦めていては、金子光伸の名がすたる。

 俺は、トミさんとやらのご愛用らしき、買い物籠を手に、街へ出かけた。
 まずは八百屋。
 そして、舶来の品も売っている店で「シナモン」を探すが、ない。
 諦めて、バターと干し葡萄を買って……。
 そうだ。
 生薬、とか言っていなかったか――。

 
 水川家の台所に戻った俺は、材料を前に、思案をめぐらせた。
 オーブンなしに、芯まで火を通すには?
 焚き火をして、熾き火になってから林檎を入れてみるか?
 考えろ。
 …………待てよ。
 「丸ごと」でなくてはならない、と誰が言った?
 
 俺は、そこまで思い至って、目の前の霧が晴れた気がした。
 食べるのは、あの水川繁だ。
 味さえしっかりしていれば、形など関係ないに違いない。

 包丁を構え、洗った林檎を切り分けた。
 これくらいの厚みなら、水川家のフライパンでも……、
と思って、手を止める。
 どこにしまってあるのか、肝心のそれが見つからない。
 目に入ったのは……。
 見るのも、思い出すのも嫌な、すき焼き鍋。
 まあ、焼き目をつける、という点ではこれでも可能だ。

 火をつけ、すき焼き鍋に林檎を並べ、バターと……。
 シナモン、の代わりに漢方薬局で分けてもらった、桂皮の粉。

 むわん、と甘い匂いが鼻をつく。
 よりによって、俺の最も苦手とする、ニッキ飴の香りだ。

 顔をそむけつつ、砂糖を加えてなんとか火を通し、
干し葡萄を添えた。

 匂いだけでも頭痛がしてくるが、
俺の英語読解が間違っていなければ、これで合っているだろう。

 死ぬほど嫌だが、一切れ、味見をしてみる。
 脳天に突き抜ける甘み。
 そして、舌にいつまでもいつまでもしつこく残るニッキの香り。

 口に入れたことを後悔したが、きっと、繁の口には合うだろう。
 すき焼き鍋から皿にうつすと、俺は、なるべく鼻で息をしないように
しながら、土蔵へ持っていった。

 執筆の邪魔をしてはいけない、と思い、音をたてないように
梯子段を上ると。

「この香りは……! 金子君、君ならやってくれると信じ……て、あれ?」

 ふりかえった繁は、目を丸くしている。

「…………スライス?」

「文句を言うな! 
 どうしても、丸ごと食べたいというのなら、
 今すぐ実家にでも行って、オーブンを借りてこい!」

「ええ? 無理だって、そんなの」

「黙って食え」

「味は同じだからねえ……いただくよ」

「…………どうだ?」

「ん〜!…………scrumptious!!」

「はあ?」

「ええと……。
 すっごく美味しい、とか、素晴らしい、とか、
 そんな感じの最上級」

「随分いい加減な訳だな。
 貴様の英語は信用ならん」

「本当だって。
 咄嗟に、訳すのにちょうどいい日本語が見当たらなかっただけで。
 ねえ金子君、これ、おかわりないの?」

「材料はまだあるから、作れと言われれば作れるが……」

「そう。じゃあ、『作れ』」

「あのなあ! 誰が作れと言えと……」

「金子君が、今」

「揚げ足をとるな!……それはともかく!
 原稿は、進んでいるのか?」

「お蔭様で。
 今さっき、『了』の字を書き終えたところだよ」

「……!! 本当か!」

「やだなあ、そんなにあからさまに目を輝かせて。
 でも、これは……おあずけ」

「何だと? 貴様、俺がどれだけ苦労して……! ……んんっ!」

 最後まで、言わせてはもらえなかった。
 引き寄せられ、強引に唇を塞がれる。
 舌を絡められ、息を接ぐ暇も与えられぬまま上顎の裏をなぞられて――。

「……ん……はあ!」

「とろんとした眼、しちゃって。
 そんなによかった? 僕のキッス」

「………………ニッキは嫌いだ」

「え?」

「お前の舌!
 甘い! おまけにその癖のある匂いは苦手だ!
 この続きをしたいなら、口をゆすいで来い」

「残念だけどねえ――」

「…………?」

「『その気』になっちゃった」

 にやっと笑った。
 俺に覆いかぶさりざま、二度目のキッス。

「朱に交われば赤くなる。
 君自身が、シナモンの味になっちゃえば、
 そう気にならないもんだよ?」

「貴様に、とびきり辛い唐辛子でも喰わせて、
 同じことを言ってやる」

「睨んだって怖くなんかないよ。
 君だってその気になってるくせに」

「……っ、ああ!」

 布ごしに、立ち上がったものを強く握られ、
思わず声が洩れてしまう。
 
「ほ〜〜ら、ね」

 楽しげに笑うと、繁は釦を外して、いきなり
俺のものを口に含んだ。

「……く……、ん、ああ、んんっ!」

 舌は裏を滑り、鈴口をこじ開けるように動いた。
 そのまま、ちろちろとなぞられて、吸われる。

 軽く歯を当てられ、下肢がびくっと慄えた。
 
「……痛、っ、……ひぁ!」

 俺本人が知覚するより速く、頂点が訪れた。
 達している最中だというのに、意地悪く先を弄る指に、
立て続けに絶頂感が襲う。
 
「やめ…………!」

「――て欲しくなさそうだねえ。
 こんなにいっぱい出してさ」
 
 やがて、身を鎧っていた布を全て除いてしまうと、
繁は、掌で受けた俺の迸りを使って、「準備」を整えはじめた。

「んんっ、…………っ、ふ……」

 湿った音が響き、羞恥に顔が火照る。
 指が増やされ、中で広げられるのがわかる。
 暇をもてあましたらしい唇は、俺の胸を這って。

「し……げる、もう――」

「駄目だよ。他の誰かのならともかく、
 僕のを挿れるんだから、下ごしらえはちゃんと、しとかなきゃ」

 随分な自信だ。
 自信の根拠は、目の前にそびえているのだが。

「っあ! そこ、は、よせ!」

「ここ?」

「んん! や…………、あ! っはあっ!」

「あはは。締まった。
 へえ。ここ、ねえ」

「触るなと……言って……、んん!」

「これ以上ここ触ると、また達っちゃいそうだねえ、君」

「……っだ、から……早く……しろ!」

「ギリギリで、そんな表情なのに、
 まだそんな偉そうなこと言うんだ。
 それなら――お仕置き」

「…………ひ……!」

 いきなり、貫かれた。
 それも、途中で止められたまま、動く気配もない。

「……き……さま! なん……、つもり、で!」

「さあて。どうして欲しい?
 入り口を責めてほしい?
 それとも、奥?
 言わなきゃ、ずっとこのままでいるよ?」

「…………!」

「言ってご覧」

「言う……か!」

「あ。そう」

「……!!」

繁は、角度を微妙に変え、さっきの場所を擦った。
 衝撃に、頭が勝手にがくがくと揺れる。
 
「まだ駄目だよ。答えを聞いてない」

「……りょう、ほう――!」

「よく出来ました」

 言葉とともに、全てを納められ――。
 奥に突き当たった瞬間、雷に打たれたように身体が反った。

「っ、ん、んぅ!」

「え? 金子君、
 君まさか、全部挿れられただけで達ったの?」

「言うな……っ、あ! あ! あ!」

 繁の何かに、火をつけてしまったらしかった。
 そのまま揺すられ、頭の中が真っ白になる。

「は……げし、すぎ……、も、と……ゆっくり――」

 息をするのも苦しいくらいに追いあげられ、
思わず強く締めつけてしまうと。
 思い出したように急に、ゆっくりと動かされる。
 そしてまた、激しく。

 緩急をつけられた動きに翻弄されるまま、
意識をとばしかけたそのとき、中に熱いものが注がれて、
我にかえった。

 だが。

「……おい」

 埋めこまれたものは、勢いを弱める気配もない。
 それどころか、圧迫感を増している。

「あ。ごめん。止まりそうにない」

「おい!! ……って、ああ! もう……!」

 
 そのまま、何度か絶頂を迎え、
失神していたらしい俺に、熱い口づけが降った。

 そして一言。

「Truly Scrumptious!」

「『本当に素晴らしい』?」

「違うね。この場合は、
 『たいへん美味しゅうございました』だよ」

 極上の笑顔で、そう言い放った。

 俺はこの一件で、苦手なニッキを克服した……はずもなかった。
 

END