two sinners

 
それは、梅雨の晴れ間のある日のこと。

昨日の雨で濡れた薔薇の葉が、陽の光をはじいてきらきらと輝いている。

いっそ鬱陶しいくらいに爽やかな朝だ。

しばらく物思いにふけっていると、いかにもこの朝にふさわしい少年が現れた。

彼は、「親衛隊」とやらに差し入れられたらしい菓子をひとつ、僕に手渡して
自分も口にする。
礼を言って、並んで食べていると。

「せんせ」

「ん? 何だい、あずさ君」

「先生は、悩みなさそうでいいよね」

「そうかい?」

僕から見れば、美味しそうにぱくついている彼のほうがよっぽど、
悩みなんかとは縁がないような気がするけれど。

でも僕は、曖昧に微笑んでみせた。

「おかげさまで、ね」

いっそあの子も、彼くらいに単純……といっちゃ悪いかな……素直ならば楽なんだけれどね。

「そういうあずさ君は、悩みがあるのかい?」

「悩みだらけだよ」

「察するに……そうだね、要君の機嫌でも損ねた?」

あずさ君が黙って視線をそらした。当たりだ。

「なんなら、僕がいいようにとりはからってあげるけど?」

「ほんと?」

「うまくいくかどうかはわからないけどね」

つくづく、わかりやすい子だ。
まっすぐに育ってきた、と顔に書いてあるような。
こんな子をひきこんでしまうなんて……可哀想に。
でも同時に、どう変わっていくか見ものだ――とも思っている自分がいる。

本当に僕は、業が深い――。

苦笑して、あの窓を見上げた。

 
――――――――
 
夕刻。

いくら書く気が起きなかろうと、締切は待ってはくれない。
仕方なく原稿をやっつけている僕の背中に、あの声が投げかけられた。

「………………嘘つき」

非道いなあ。開口一番、それかい。

「まあね。それを生業にしてるくらいだから?」

「偽善者」

「はいはい。外ヅラの良さなら、ちょっと自信があるよ」

「あんたのそういうところ、大嫌いだよ」

「それはどうも」

僕は君のそういう物言い、大好きだけど?
心の中でほくそ笑む。

ペンを置いてふり向くと、「不機嫌」の見本のような顔をした彼がいた。

黒目がちの大きな瞳が、こちらを見下ろしている。
こころもち潤んでいる…………怒っているのだ。

この子は怒らせると怖い。女王然と君臨した「彼」とはまた違った怖さを内に秘めている。

でも、だからこそ。

怒っているときこそ、この子の生地が見える気がして逆に好ましい……。
そう思えてならない。

ぎりぎりまで、つついてみたくなる――。

僕の中の、暗い部分が頭をもたげた。

「何にやにやしてるのさ」

「昔、酔狂が過ぎるといつか火傷するぞ……なんて言われたことがあってね。
 それを思い出してただけだよ」

「………………」

「火傷の痛みも…………時には愉しいのに、ね?」

「あんたなんか――」

「ん?」

「あんたなんか――大嫌いだ」

「気が合うね。僕もだよ」

真弓君は残酷に笑うと、唇を重ねてきた。

……いや。そんな穏やかなもんじゃない。息も接げなくなるくらいの、濃厚なキッスだ。

愛する……どころかいっそ、相手を屈服させ、服従を誓わせるための口づけ。

そっちがそう来るなら――。

癖のない、絹糸のような髪に指を埋め、ぐいっとひきよせる。
逃れられないようにしておいて、思うさま舌を絡める。
しばらくすると彼は、苦しげに息を接ごうとし、身体の重みをあずけてきた。

喉の奥でくすりと笑い、わずかに力を緩めてやる。
すると、真弓君は苦い顔をして僕の腕から逃れた。

射るような眼で、こちらを見ている…………いい眼だ。

僕はふと、「あの夜」のことを思い出した。

 
「計画」 なのだ……と。

眼鏡の奥の瞳を細めながら、あいつはそう言った。
今までに僕が見たこともないほど、柔らかな表情で。

幹彦のやり方で、要君を「変える」つもりだという。

そのためには誰を犠牲にしようと構わない……相変わらず、独自の信念に従って生きている奴だ。

まさか、あそこで縛りあげられるなんて予想はつかなかったけど。

哀しいかな、僕には幹彦には逆らえない事情がある。

そして――彼が現れたのだ。

 
目の前の姿が、あの夜の彼に重なる。
あの時は、もっと違う印象だった。大胆なことは言うけれど、どこかおどおどしていて……。

彼も随分と変わったものだ。

知らず知らずのうちに、僕も幹彦と似たようなことをしているんじゃないかとすら思える。

     幹彦は、要君を。

     僕は、真弓君を。

手の中におさめた対象が違うだけだ。やっていることは変わらない。

今更ながら自覚する。
ここまで、あいつの毒に浸されている……いっそ魅入られている自分を。その愚かしさを。

「…………く、……っ」

指が増やされる。無造作に押し開かれ、掻きまわされる。
堪えていた声が洩れた。

いいところを知っている、ということは、その外し方も心得ているということだ。

その証拠に、さっきから寸止めばかりを繰りかえされている。

くすくすと笑いながら、触れてほしいところすれすれをかすめる。

意地が悪い…………人のことは言えないけれど。

「ねえ」

「何」

「君、これ…………お仕置きの……、つもりかい?」

「お仕置き?」

「妬いてるんだ。案外可愛い、ねえ…………あ!」

「そんなことに対して怒ってるんじゃないよ」

「へえ? じゃあ何」

「僕は別に、あんたが要さんとしたって何とも思わない」

「そうかな?」

「要さんが許したならね」

「さすが……――!」

さすが、要君の犬だね……と皮肉を言ってやろうとしたけれど、失敗した。

いきなり、貫かれたからだ。

「…………っ」

相手が苦しがるのを狙った動き方だ。…………遠い昔に覚えこまされた感覚が甦る。

「僕が許せないのは――!」

「…………」

「あんたが、要さんに隠し事してること」

「隠し……ごと?」

「言わないとわからない? 要さんの好きな人のことさ」

挑むようにこちらを睨み、真弓君は束の間、動きをとめた。

「幹彦……?」

「要さんの前では隠しとおしてるようだけど……」

「………………」

「急に痩せたし、顔色も悪い」

「…………煙草の量も、増えたみたいだね」

「そこまで知ってて……どうして」

「じゃあ、同じことを僕からも訊くよ?
 どうして君、そこまで知ってて要君に言わないんだい?」

「それは――――」

「当ててみようか?
 それは君が、 ‘その日’ を密かに待ち望んでいるから……じゃないかい?」

意地悪く、つついてやる。
ちらちらと見え隠れする、彼の黒い部分を。

「違う!!」

「本当に?
 幹彦をさしおいてでも、要君を自分のものにしたい……とは思わな――、……あう……ッ!」

「…………あんた、うるさいよ」

「つ…………! …………!」

繋がっている部分に、指も滑りこんでくる。
無理矢理に広げられる感覚。

入口と奥とを、同時にきつく攻めたてられる。

悲鳴をこらえて噛みしめた唇が切れ、血の味がした。

「っふ…………!」

「ん…………あ、あ、っく、…………んんっ!」

中に放たれ、僕もつられて達した。

僕の上に崩れてきた真弓君の唇をかすめとり、乱れた息のまま囁いた。

「僕は君の秘密を知ってる。
 君も僕の秘密を知ってる。
 ……取引にはうってつけだと思うけど?」

「……………………」

「決まりだね?  ならば黙っていよう。
 知ってるかい。 沈黙というのも、立派な罪になり得るんだよ」

「駄目だよ」

「え?」

「あんたがどうして黙ってるのか、聞いてない」

「なんだ。そんなこと」

「言わなきゃ、僕は裏切るかもしれないよ」

「君って、怖い子だねえ……本当に。
 簡単なことさ。ちょっとした意趣返し、ってやつでね」

「意趣返し?」

「幹彦とはいろいろとあったからね。昔といい最近といい。
 そのお返しといっちゃなんだけど、ちょっとした嫌がらせを思いついてね」

「…………」

「この世で最後に見るのが、性根のねじまがった男の姿ってのは、どう?
 自分を看取ってくれるのは、残念ながら愛する要君じゃないんだ。
 心では要君を想いながら、こんな奴の顔を刻みつけて逝かなきゃならない。
 思いつくかぎり、最高の嫌がらせだと思うんだけど」

そう。

一番新しい傷は、自分で自分に刻む。

…………そのつもりだ。

「あんたって、相当意地が悪いね」

「そうかい? 君には負けるよ」

僕たちは、視線を交わして笑いあった。

「さて、これで僕たちは共犯者だ。淫靡な響きだね。
 女王のお膝元にいながら、心の中では反逆を画策している。
 …………心が踊らないかい?」

「わくわくするよ」

いっそ罪なくらいに艶やかな微笑みがこぼれた。

「悪い子だ…………おいで」

抱き寄せる。

蝋燭のおとす影が、再びひとつに重なった。

END