When the Angels fall 
 
神経質に書き留められた文字が、時折崩れる。
冷静であったはずの文章が、熱を帯びてくる。
ゆれ動く心が、「彼」にも芽生えたのか。
僕は、思いもよらぬところで安堵した。

――愛している。
  私の生涯最後の一年を、君と過ごせて良かった――

最後の一文を読み終えると、僕はその素っ気ないノオトを
もとどおり、慎重に茶封筒の中にしまった。
これは、欠落した男が一生を賭けて書いた恋文だ。
胸のどこかで、ちくりと刺さるものがあった。
僕にはけっして、埋められなかった欠落……。

「どう思う……? 要はこれから――」

今は何もない冷たい床から、声が聴こえた気がした。

「安心しろ、と言っただろう。幹彦。
 要君を信じておやり」

語りかけ、主をなくした安楽椅子に腰掛ける。
ふわりと、マリワナ煙草の残り香がした。

 

 

と。
キイ、と音がして扉が開いた。
「水川先生、いらしてたんですか」

「やあ、要君。ついさっきまで、家で仕事をしてたんだけど、
 どうも落ち着かなくてね。ここに来れば、君がいると思って」

「そうですか」

要君はどこかうわの空だ。
無理もない。幹彦を亡くしてまだ何日も経っていないのだから。
こうして学院に出席しているだけでも立派なものだ。

実をいえば、僕もここのところ眠れていない。
白日夢のようなものにさえ、幹彦が現れる。
時には、学生時代のあの夕方のままの姿で。
時には、最期の言葉を告げた時の姿で。

「今日は、皆は居ないんだね」

「心配して、ずっと誰かついていてくださるんですが、
 ちょっと月村先生と二人になりたくて――」

「じゃあ、僕はお邪魔だねえ。そろそろ消えるとしようか」

「水川先生は、いいんです」

「へえ、僕は特別待遇? 嬉しいねえ」

無理矢理に、明るい声をつくろってみる。
要君は無言で、幹彦の使っていた机の脇に立った。
書類や本が積まれ、雑然とした中、先刻のノオトの入った茶封筒がある。
探偵作家の勘、というのだろうか、それだけが異質な気がして開けてみれば、
それは長い犯罪告白文であり、熱烈な恋文であった、というわけだ。

「水川先生」

「何だい、要君」

「これ、ご覧になりましたね」

「え? 何のこと――……って言っても駄目みたいだね。
 ごめんね、見ちゃったよ」

「…………」

「……怒ってるかい?」

「僕が怒ってるとしたら、水川先生、どうなさるおつもりですか?」

「そりゃあ……謝るよ。もとから、誰にも言うつもりはないし、
 もちろん、ネタにだってするつもりはない、
 このまま僕が死ぬまで心に刻んでおくよ。
 それじゃ駄目かい?」

「嘘です。怒ってなんかいませんよ」

そう言ってふりかえると、要君は微笑んでみせた。
…………無理をしないでいいよ。君、涙声だ。

「実を言うと、水川先生にも読んでいただきたかったんです」

「……え?」

「これは、僕あてのノオトだけれど、水川先生にも知っていただきたかったことが
 沢山書いてあります。先生のお名前も、出てきますしね」

「それは……嬉しいね」

レイフ――。
その名で僕を呼んでくれるあの声は、今はもう亡い。

「要君、おいで」

腕をひらいて招くと、要君が歩いてくる。
そっと抱き寄せ、口づける。
涙の光る頬に舌を滑らせ、短くなった髪を撫でる。

「先生――」
「いいよ。君の好きなようにおし」

要君の唇が、首筋へ胸へ降る。
ついばむような感触を愉しみながら、僕はあの夜のことを思い出していた。

――こんなことだって、初めてじゃないんだ。

君はそういって、僕を抱いた。
だけど、犯している君のほうが辛そうだったね。
君はそうして、他の者たちも手の中におさめていった。
僕も手を貸した……いっそ愉しんでしまえと思ったこともあった。
これで本当に良かったのかと何度も自問したけれど、これだけは変わらない。
今度は僕は、この手を放してはいけない――。

「っあ……」
胸の赤みを軽く咬まれて、思わず声が洩れる。
要君の手が、裾を割り、僕に触れてきた。

されてばかりは癪なので、要君の前をくつろげ、立ち上がりかけたものに触れた。
やわやわと弄ると、次第に硬さを増す。
……しかし。
「……駄目、ですよ。その手には乗りません。
 僕が水川先生にして差し上げるんですから」

流石は月村、の名を持つだけある。
僕は苦笑した。
「はいはい。じゃあ、お任せするよ」
要君は僕の脚の間に膝をつき、僕のものを口に含んだ。

「んんっ!」
頬の内側を使って上下に擦られ、追い上げられた。
爆ぜる直前まで育ててから、要君は唇を離し、鈴口を親指の爪で弾いた。
「…………!」
息を乱し、要君の手の中で達してしまった僕は、呟いた。

「すまないね。君の手を汚した」
「……先生は、あの時もそうおっしゃいましたね」
「そうだったね」

濡れた指が、入ってくる感覚。
二本三本と増やされていく。
僕のいいところを心得た細い指。

「もう、いいよ。おいで」

十分にほぐされたそこに、熱いものが分け入ってくる。
「あ……っ」
「水川先生……っ」

息を吐き、すがりつく。
要君は、若い性急さで、身を押しすすめてきた。
ならばこちらもと、腰を揺らめかせ、律動にあわせて締めつける。
「先生っ」
「かなめ……君……、要――!」
何度も激しく叩きつけられるうち、次第に余裕を失っていく。
「ん……あっ、あ、あ、あ!」
「んんっ」
要君の唇を奪い、舌を絡め――、
ふたり、同時に果てた。



「ねえ、要君」

「何ですか、水川先生」

僕の腕の中から、要君が見上げてくる。

「僕はねえ、驚いてるんだよ。いや……安心した、かな?」

「…………?」

「あのノオトのこと。あそこまで幹彦が変われたのは、
 要君の御蔭だね」

「そんなこと……ありませんよ」

僕ができなかったことを、要君はやってのけた。
そしてまた、強くなろうとしている。

「それでねえ、ちょっと考えたんだけど」

「はい」

「あのノオト……要君の中には、僕の知らない幹彦がいる。
 僕の中には、要君の知らない幹彦がいる――」

「…………」

「知りたいと思わないかい?」

「それは……知りたいです」

「決まりだね? 
 これから会う度、どんなつまらないことでもいいよ、
 幹彦のことを思い出したら教えあうことにしよう」

「いいですね」

「学生時代の僕の、滑稽本のネタになりそうな片恋の話
 なんかもきいてくれるかい?」

「もちろん。喜んで」

要君が微笑んだ。
幹彦を失ってからずっとふさぎこんでいた彼に、再び光が戻ってきたようだった。
それは、僕も同じ。
このノオトと、要君の中に生きる幹彦の存在に救われた。
相も変わらず、未練たらたらではあるけれど、いっそ未練ごと受けいれてしまおう――。

僕らは再び、熱い口づけを交わした。
 

END