「プロローグ」
普段は練兵場として活気に満ちているその場所は、いまは痛いほどの静寂に満ちていた。
誰も何も言えないまま、目の前の光景を呆然と見つめている。
沈黙のなか、少女はただ一人、静かに剣を鞘に納めてふり返った。
銀の髪。深紅の瞳。
つい先ほどまでその練兵場には何人もの男たちがいたはずだった。みな、腕に覚えのある貴族の子弟たちだったはずだ。
少女が今しがた打ち伏せた相手だって、いくつもの試合を勝ち残ってきたはずの者だった。
離れたところから眺めていたはずなのに、青年は息苦しさを感じて喘ぐように息を吸った。
嫌な汗が、握りしめた拳に滲む。
視線を感じたのか少女が不意にふり向いて、青年の紫紺の瞳をまっすぐ見つめて言った。
「この試合で優勝した者が、貴方の護衛役に就く名誉を受ける。そうお触れには書いてあったと思いますが?」
声は冷たく澄みきっていた。
その声にようやく我に返ったのか、監督役の男が「ああ」と意味の無い返事をして青年に視線をよこした。伺うような視線だ。
誰一人として想像しなかったのだからしかたない。何十人といる志願者のなかでまさか女が優勝するなんてそんな馬鹿げたこと。しかしそれは現実になった。
決定を委ねられた青年はもう一度少女を見た。
どう考えても自分より年下の少女だ。一度見たら忘れられない印象的な銀の髪に深紅の瞳。
そう、一度見たら忘れられない容姿だ。
銀の髪も深紅の瞳もこの大陸では珍しい。
だが青年はその髪にも瞳にも覚えがあった。記憶のなかで何度も見てきた色だった。
見ているだけで、見つめられるだけで息苦しさを覚えるその姿。
ああ、これは罰かもしれない。
いくつもの偶然の上にこの出会いがあったのならば、自分はそれを受け入れねばならないだろうと思えた。
だから、青年はゆっくり頷いてみせる。
「触書きを違えるわけにはいかない。約束どおり、彼女を、私の護衛役に」
紅い視線に絡めとられて動けない。
監督役が何か言っているのが、どこか遠くから聞こえてくる。
「試験終了。登録番号十三番、リディス・ゾルディックを正式にラキア・バシリスク宰相の護衛役に任ずる」
少女の口の端がわずかに持ち上がったのを見とめたのは、紫色のラキアの瞳だけだった。