日雇いサンタクロース




 何もかも消えてしまえ。

 そんな気分で、赤と緑に彩られた馬鹿みたいにはしゃぐ町と人込みの中を歩いていた。

 足元でガサっと音がして下を向けば、よくある広告の類がそこに落ちていて……。何で拾ったのか分からない。いつもだったら無視して通り過ぎていくのに、どういうわけかその時はそれが出来なかったのだ。
 拾い上げて、よく言えば素朴な手書きの広告を読み上げる。字が汚くて解読するのに数秒を要した。

「……日雇いサンタクロース……日給は現品で…?」
 ふざけてる。はっきり言ってふざけてる。この不況時代に、こんな売り文句でアルバイトが集まるかっていうんだ。
 だから……、だからちょっとその間抜けな雇い人の顔を拝んでやろうと思っただけ。別に雇ってもらおうと思って、集合場所へ向かってるわけじゃ断じてない。
 コートが壁にすれるのも気にせず、狭い路地を抜けて歩いていく。本当はこんなことしてる場合じゃない。家に帰って勉強しなくちゃいけないんです。
 そう、私受験生だから。今年大学入れなかったら受験地獄をもう一年味わうことになるんだから。両親は浪人なんて絶対駄目って言うし……。
 受験生にクリスマスなんてありません。

 急に視界が開けて、大きなもみの木が一本立ってる場所に出た。このもみの木、何の装飾もされてない。四方をビルの高いコンクリートの壁に囲まれてる。辺りに人影は見当たらない。
 やっぱりただの悪戯広告だったのかな。だったら大成功だね、よりにもよって引っ掛かったのは寸暇を惜しんで勉強してなくちゃいけない受験生よ。

「……馬鹿らし、帰ろ」
「おい、たった今来たばかりで帰るのかよ」

 びっくりして辺りを見回すけど、やっぱり誰もいない。気味悪い……。
「今年は一人か……、やっぱりコピー代ケチんなければ良かったな」
 大きく目を見開いてる私を気にもかけずに、もみの木の陰から一人の男が出てきた。年の頃は私とそう変わらない、二十歳手前くらい?身長はそれなりにあるし、見目だってそんなに悪くない。でも、着てる服は赤と白の…そう、サンタクロースの定番衣装。
「お前、名前は?」
「……真鍋、真鍋サキ」
 反射的に答えてしまったがもう遅い。青年は実に軽い調子だった。
「マナベ…、真の鍋で真鍋ね。俺は門脇圭太。じゃあ早速で悪いけど、これに着替えて」
 まだ状況が良く飲み込めない私に、赤と白の布のかたまりを押し付けて、門脇圭太は壁に取り付けられた扉の向こうに消えた。
「……え?……え!?…なっ、何?何これ」
 いかにも塾帰りといった感じのキャリーケースに、考えるのが面倒だからという理由でコートの下は学校の制服。そんな私は、赤と白のかたまりを片手に抱えて呆然としていた。
 ガチャと音がして、門脇圭太(かどわきけいた)が入っていった扉がちょっと開く。中から奴が顔だけ出した。
「外で着替えるのか?そういう趣味?違うんだったら入って来いよ、中に着替える場所ちゃんとあるから」
「………………」
 考えること十数秒。
 今日だけ。今日だけちょっと息抜きしても良いでしょう?
 ただのサンタクロースのアルバイトだけど、どうしてかこの門脇圭太という男、不思議な匂いがするんです。がぜん興味が湧いてきました。
「そんな趣味ありませんよ」
 ささくれ立った心がやわらかくなるのを感じながら、私は暖かい光が漏れる扉へ駆け寄った。


「そこ、つい立あるから」
 扉の中は、外の広場の閑散さとは打って変わって、暖色系に統一されたワンルームだった。窓はなく、都会には珍しい木の造り。でも置いてあるのは奴が指差したつい立と、良く分からないけどごちゃごちゃした荷物だけ。外から見たときはあんなに大きかったビルの中に、こんな変な部屋があるなんて……。
「まぁ、ガキの着替え覗くほど、俺も落ちぶれちゃいないけどな」
「そう年齢変わらないと思いますけど。そういう門脇さんは?」
 ガキ、と言われて嬉しがる女性はいないだろう。だから私の言葉に棘があったとしても許されるはずだ。
「俺は二十一の大学生だ。お前は……高校生か」
「高三です。……十代かと思いました」
「内に溢れる若々しさがそう見せるのかな……って、お前高三?こんなことしてていいのかよ?」
「……みんな同じ事言うんですよね。…今日だけ、一日だけお休み」
「ま、せっかく引っ掛かったアルバイトをそうそう手放す気はないけどな」
「引っ掛かったって……」
 キャリーケースをおいて、コートを脱いで、渡された赤と白のかたまりを広げてみる。やっぱりサンタクロースの衣装です。
 ちらっと門脇圭太を盗み見る。丁度こっちに背を向けていて、何だか得体の知れない大きな白い袋をいじっていた。
「そういえば……バイトって、具体的に何するんですか?」
 拾った広告には『サンタクロースのアルバイト』としか書いてなかった。大方ティッシュ配りとかケーキの販売とか、そんなところだろうけど。
 制服を脱いで、衣装に袖を通す。もこもこしててあったかい。下はスカートになってるみたいです。
「ハァ?お前、広告見て来たんじゃないの?」
「そうですよ?」
「書いてあっただろうが、サンタクロースのアルバイトって」
「……はぁ…」
 表情は分からないけど、多分呆れ顔に違いない。そんな風に言われるとこっちが間違ってるみたいな気になってくる。だけど絶対私はおかしくない。
 最後に黒いベルトを締めて着替え完了。脱いだ制服を綺麗にハンガーにかけてから、つい立を出る。
「あの、だからサンタクロースのバイトって――」
「おっ、可愛くなったじゃん。じゃあ靴はこれな。帽子もやる」
 人が質問しようとしたのに……。「可愛い」なんて、お世辞にしても言われ慣れてないし、やっぱり嬉しい。多分赤くなってるだろう顔を隠して、靴と投げ渡された帽子を手に取る。黒いブーツだなんて、コスプレもここまで来ると本格的だな。
「で、具体的に何する――」
「よし!準備できたな。じゃあ時間無いから行くぞ。この地区対象者が多いんだよ」
 まっ、またしても人の質問を遮る門脇圭太。もういいや、現地に行けば分かるでしょ。
 重そうな白い袋を肩に抱えて、これまた重い足取りで一歩一歩彼が歩く。一体何が入ってるのやら。あんまり進むのが遅いので、私も奴の後ろからその袋を支えた。こうしてると本当にサンタクロースみたい。
「サンキュ」
「いえいえ」
 足でぞんざいにドアを開け、ドア枠に引っ掛かる袋を何とか押し出し、さっきのもみの木の広場に出た。
「……え!?そっ、そりがある!トナカイまで!!」
「当ったり前だろ?サンタだぜ?サンタ。そりにトナカイいなきゃ、話になんないだろ」
 何も言い返せないでいる私を尻目に、奴はさっさとそりに荷物を乗せる。それにしても、本格的だ。トナカイもレプリカじゃないんです、本物のトナカイ二頭。大人しそうな優しそうな、見るからにサンタクロースのトナカイな感じ!
「真鍋!さっさと乗れよ。時間無いんだから」
「はっ、はい!」
 雪も無いのにどうやってそりを引くのか気になったけど、もう考えるのも面倒くさいので言われた通り白い袋の横に腰掛ける。私がちゃんと座ったのを確認して、御者台に座っていた彼がトナカイの綱をぐいっと引いた。

 がくんと振動が伝わって来た。声をあげる間もなく、傾いたそりの中で必死に体勢を立て直す。そりのふちにしがみついて、私を押しつぶそうとする白い袋を足で押しやった。
「おいおい、プレゼントを足で押しやる馬鹿がどこにいる。だからちゃんと掴まってろって言っただろ?」
「いっ、言ってない言ってない!ちゃんと掴まってろなんて言って………えぇぇえぇ!?」
「うるさいうるさい!大声上げて見つかったらどうするんだよ!ただでさえ最近は夜だっていうのに明るくて参ってんだから」
 嘘。嘘嘘ウソうそううそ。何これ!?
 そりから顔を出して、下を見る。途端に顔から血の気が引くのが自分でも良く分かった。すぐそばにあるはずだった地面は、今はもう遥か下。「遥か」の定義は「落ちたらただじゃ済まない距離」ってこと。
「……あのー…、一体これはどういうことでしょう、門脇さん」
「どういうことって、お前、サンタクロース知らないの?」
「知ってます、知ってますよ…。サンタクロースのバイトって………サンタクロースのバイトだったんだ」
「はぁ?」
 もう突っ込む気力もない。そりは、空を駆ける二頭のトナカイに引かれてて、そのトナカイの綱を握っているのは赤と白のサンタクロースの門脇さん。そりに乗っているのはプレゼントの入った白い大きな袋と、こんなとこにいるべきでない受験生のアルバイトの私。
 どうやら私たち、サンタクロースのようです。


「……門脇さん、プレゼントって…どうやって渡すんです?今時煙突のある家なんて東京にはありませんよ?」
「いつの時代のサンタクロースの話だよ。煙突から入るサンタクロースなんて俺だって見たことねぇよ」
 さっきから人を馬鹿にしたような態度ばっかり!仕方ないじゃない、知らないんだから。普通の生活してれば、サンタクロースの歴史なんて知る機会ないもの。
「知らないから聞いてるんですよ」
「まあ見てろって……。よし、あの家行くぞ」
 片手で手綱を、もう片方の手で地図と名簿を照らし合わせながら、門脇圭太が言った。前方不注意だって言ってやろうかと思ったけど、どうやら彼が何かしなくても、二頭の賢いトナカイは道を分かっているらしい。眼前に迫ってくる高層マンションを見ながら、ふと、自分が小さかった頃にも、こうやってサンタクロースは私のところへ来てくれたのだろうかと思った。いくら思い出しても、何かプレゼントをもらった覚えは無い。ちょっと寂しい気持ちになった。
 そのままちょっとずつ上昇を続け、そりはマンションの屋上に降り立つ。奴の手綱さばきが上手いのか、はたまたトナカイがすごいのか、多分後者だろうけど、着地した時にちっとも衝撃を感じなかった。
「えーっと、このマンションは……小竹…むらさき…何て読むんだこれ。あともう一人は、長谷川……だから何て読むんだっつーの」
「見せてください。……紫苑に、伽耶…じゃないですか?」
「……だと思った」
 嘘をつけ。分からなかったくせに。そっぽを向いてるけど、耳が少し赤くなってますよ、門脇さん。
 それにしても最近の子供の名前って凝ってる。一昔前だったら考えられないような名前ばっかりだ。
「ほれ、アルバイト!そん中から二人のプレゼント探せ探せ」
「えぇ!?こん中から探すの!?」
「馬鹿っ、あんまり大きい声出すなよ!同僚の中にも、不審者扱いされて捕まった奴いるんだからな」
「不審者のサンタクロース……」
「妙な略し方するんじゃねぇよ」
 口答えしてても仕方ない。バイトするって決めたのは自分なんだから(例え半ば成り行きだったとしても)、言われた仕事はちゃんとやらなきゃね。
 袋の口を止めていた紐を解き、中を見る。そんなに量は無い。ビニル袋にそれぞれ名前と住所が書いてあった。袋の中身がプレゼントだろう。大きさも重さもまちまちのそれを手にとって、名前と住所を確認していく。
「……これ、どうやって渡すんですか?まさか不法侵入ですか?防犯システムに引っ掛かったらどうするんですか?」
 作業の手は休めずに、それでもさっきみたいに途中で遮られることの無いよう、早口にまくし立てる。
「安心しろ。俺様の華麗なテクニックと、連携プレーと、後は運頼みで毎年何とかなってる」
「あ…安心できない……。あっ!ありましたっ、紫苑君と伽耶ちゃんのプレゼント」
「よし!じゃあこっそり渡しに行くぞ。さっさと乗れ」

 ばら撒いてしまったプレゼントをもう一度しまい直し、急いでそりに飛び乗った。てっきり屋上からマンションの中に入るのかと思ってたけど違うみたい。屋上に止まったのはプレゼントを探すためだけだったのか……。こんなに手間取るなら、最初から住所別に仕分けすれば良いのに。
 ぐわんと心もとない浮遊感を感じ、トナカイが空を駆ける。私は手にした二つのビニル袋を開いた。さっきは探すのに夢中で中身まで確認してなかったから、サンタクロースのプレゼントを見るのはこれが初めて。ドキドキしながら中身を取り出す。
「……何これ」
 中から出てきたものを見て、私はしばらく呆然とした。だって、あれでしょ?普通サンタのプレゼントって言ったら、プラモデルとか、里香ちゃん人形だとか、そんなものを想像するじゃない?だけど、だけど中から出てきたのは――……
「卓球のラケットに、絵の具の筆……」
 両方ともかなり古ぼけてる。ラケットは取っ手の部分に落書きがしてあったし、筆はそこいら中絵の具がこびりついてる。決してアンティークな感じじゃない。とにかくボロイ、ゴミだと言われたら信じちゃうほどボロイ。
「真鍋、ビニル袋は再利用だからな。ちゃんととっておけよ」
「門脇さん、最近の子供はこんなのもらっても喜ばないと思いますよ?」
「だーれが、子供にやるって言ったよ?子供には親がやるんだから、わざわざ俺らがやることないだろーが」
「………えぇっ!?」
「う・る・さ・い!」
 いちいち驚くのにも疲れてしまった。今度こそ成り行きに任せよう。そうこうしてるうちに、そりが明かりの消えた一つの窓の前に差し掛かった。カーテンが下ろされてて中の様子は見えない。これだけ上空にいれば、暗いから私たちの姿は地上からは見えないだろう。
「小竹紫苑……、こいつは高層マンションだからって安心してるんだろうが無用心。窓の鍵はいつも開きっぱなし」
「何で知ってるんですか…」
「それも俺の仕事のうちさ」
 軽い調子で返答しながら、門脇圭太が窓に手を掛ける。そろそろと音を立てないようにすき間を開けてから、顔は前に向けたまま、私の方へ手だけ出してきた。
「ほれ、渡せ」
「えっと、小竹さんですよね…はい」
 私からプレゼント……もとい卓球ラケットを受け取ると、彼は窓枠に足を掛ける。そのまま音もなく部屋の中へ降り立った。取り残された私は身を乗り出して、ちらっと中の様子を伺う。
「……え?大人…?」
 中は寝室で、置いてあるベッドに横になっているのは、クリスマスのサンタを待ちわびる可愛らしい子供…ではなく、三十代手前くらいの男の人だった。忍び足で門脇圭太が近寄る。枕元にラケットを丁寧に置いて、また静かに窓に向かって歩き出す。
「門脇さん、もしかして今からプレゼント渡しにいく相手って、全員大人の人達ですか?」
 再び台に腰掛け手綱を取った彼に、後ろから問いかける。何を今更という調子で「そうだけど?」と答える彼の背中から目を離して、後ろに積まれた白い袋の中身を想った。
「今の奴はな、ついこの前まで卓球選手だったんだよ」
「……はぁ」
 私の疑問を感じたのか、そりを地上に向かわせながら彼が話し始める。
「だけどな、なかなか成果がでなくて卓球やめようかって考え始めてんだ。まぁ良いさ、潮時ってやつだろ?だけどやめる前にもう一度、昔の自分の意気込みっていうのを思い出してもらおうとおもってさ。あのラケットは奴が高校生のとき部活で使ってたラケットなんだ」
 そりがマンションの地上すれすれで止まった。次の相手は一階の住人らしい。ベランダ続きの庭にそりが静かにおりる。見つかったら今度こそ住居不法侵入で逮捕だ。
「あれだぜ?成果が出ないのもさ、結局スランプなんだよ。もうちょっとの努力で何か掴めるかも知れないのにさ、あと一歩なのに諦めちゃったらもったいねぇじゃん?」
「そうですね……」
 少しはにかみながら話す門脇圭太。だけどその真剣な気持ちはちゃんと伝わって来た。
「あと一歩…」
 小さく呟く。私はその一歩を諦めないでいただろうか。諦めずにいられるだろうか。受験勉強もなかなか進まなくて、模試の成績も上がらない。同じところを何回も間違え、焦るばかり。友達みんな自分より出来る人達ばかりに思える。推薦で合格した友人を羨ましく思い、親や先生の無言のプレッシャーに自信を持って大丈夫だと言えない。
 受かりたいと言いながら、駄目だ駄目だと思ってる自分がいる。そう思う前に、ただ努力しなくちゃいけないのに……。
「――い、おい真鍋っ。早く長谷川さんのプレゼント渡せって。……大丈夫か?」
「あ…、はい。大丈夫です」
 急に元気がなくなった私をいぶかしみながらも、何も言わないで彼は差し出したプレゼントを受け取った。「渡してくるからここにいろ」とだけ言って、さっさと窓のあるベランダの方へ姿を消す。
「本当に…こんなことしてる場合じゃないよなぁー…」
 溜め息をつき、白い袋に顔を沈み込ませる。無造作に袋の中に入れられてるってことは、壊れやすいものは入ってないってことだろう。顔に当たる硬質な感触に眉をしかめながら、これらが全て誰かの思い出の品なのかとふと思い出した。私には、大人になった時そう思える何かがあるだろうか……。
「……?」
 さっき彼が消えていった方から何か声が聞こえて、ばっと袋から顔を上げる。
「やばっ、今度こそ不審者!?」
「真鍋!行くぞ!」
 台に足を掛けるなり、奴が手綱を引っ張った。ぐらりと体が大きく傾く。
「うっ、うわっ!」
「っとと……。おい、もうちょい色気のある叫び方出来ねぇのかよ」
「よ…余計なお世話ですよ。……ありがとうございます」
 振り落とされそうになった私の腰に回していた手を再び手綱に戻しながら、門脇圭太が「いえいえ」と呟く。
「そう言えば……、大丈夫だったんですか?」
 ベランダから聞こえてきた声と、慌てて飛び立った今の状況を照らし合わせると、ちょっとまずい状況だったのでは?そんな思いを込めて奴を見る。相変わらずの彼の調子に惑わされちゃいけない。私たちは結構危険な事をしてるに違いないのだから。
「まあな。やっぱ正々堂々と渡すのは面倒くさいな」
「え!?ベランダの窓から直接渡しに行ったんですか!?」
「だってあの家、窓開いてないし、正面玄関はオートロックで開けるの面倒だし」
「そんなこと言ってるんじゃないですよ!もうちょっとスマートな渡し方ってないんですか?これじゃ丸っきり不審者じゃないですか」
「ねぇよ。まぁ、自分が受け取ったのが何だか気付けば、彼女も何も言わないだろ」
「……空飛んだり出来るんだから。壁抜けとか、魔法とか、ピッキングとか…そういうのも出来そうなのに」
「あのなぁー…、空飛べるのはこいつらトナカイのおかげ。俺自身は普通の人間なの!今大学一年生の爽やか青少年なんだから。ついでに言うとピッキングは犯罪です」
「なんだ。てっきりワンダーランドとかの人かと思った。普通の人なんだぁー…」
「勘弁してくれ…」

 それきり黙って門脇圭太はトナカイを駆る。というよりトナカイが自主的に駆けていた。奴はただ手綱を握っているだけ…のような気がする。
 ふと、背後の白い袋に目が留まり、さっきの女の人と彼女の筆を思い出す。彼女も、何か迷っていたりする事があるのだろうか。そんなことを悶々と考えていたとき、丁度私の思考を読んだかのようなタイミングで声を掛けられた。
「真鍋、さっきの女の人な、画家やってるんだよ」
「へー……」
 思考を読まれたような気恥ずかしさから、わざと気にしてないような返答になってしまう。どうか奴に気付かれませんように。
「彼女の描く絵、独特でさ、好きな人は好きだけど嫌いな人は嫌い……みたいな所があるんだ。で、なかなか自分の絵が売れない焦りからか、何だか最近どんどん『売れる絵』っていうのを意識しちゃってて…。だから、後で後悔しないように、もし出来る事なら彼女に昔の自分を思い出して欲しくって。自分を抑えて描く絵なんか、きっとつまらないと思うから」

 地上での喧騒なんて今の私たちには届かない。
 静かな夜の空を、二頭のトナカイはひたすら駆けていく。

 それからのことは、もうあんまり思い出せない。イブの夜が明ける前に渡しきらないといけないサンタクロースのプレゼントはあまりにも多くて、あとは私も門脇圭太もほとんど無言で夜の空を駆けた。
 とちゅう何度か死線をくぐり抜けて、疲れと眠いのとで意識が遠のきかけた時、最後のプレゼントがベランダにそっと置かれて私たちの仕事は終わりを告げた。

「…………眠い」
「バカこんなとこで寝るな。……おい、真鍋、真鍋、起きろって」
 プレゼントの入っていた白い袋を枕代わりにした私を、奴が容赦なく揺さぶってくる。私はと言えば、すでにソリの独特の浮遊感の中でも平気で寝られるまでになっていた。意地でもこのまま寝てやると思ってたけど、突然両目をこじ開けられて飛び起きた。
「――ッ、なっ、なっ……なにするんですか!!」
「…っと、でかい声出すな。ほら、お前も見てみろよ」
 そう言ってやつが指差した方の空は、いま薄紫色に染まっていくところだった。
 世界中のどこにだって、こんな特等席で夜明けを迎えた人はいないだろう。
 そう、サンタクロース以外には。

「………………きれい」
「だろ? お前、ラッキーだぜ?」

 得意げに笑う門脇圭太の横顔は、白み始めた空の明るさの中で一際輝いていた。てらうことなく笑う奴を見ていると、自分が矮小な存在に思えて。この綺麗な風景の中で、たった一人、自分だけが浮いた存在に思えて。
 どうしようもなく哀しくなった。
「……え。ま、真鍋?え?何?……えっ、どうしたんだよ」
「う……ど、どうもしませんッ」
「どうもしないわけあるか。……何で泣くんだよ」
「だって……」

 不安でたまらない。

 何もかも不安でたまらない。
 自分の置かれたこの状況も、しなくちゃいけない義務も。周囲の反応もこの先の未来も何もかも。
 どれだけ脆い地面に自分が立っているのか。何を信じて頑張ればいいのかも分からなくて。
 将来したいことなんていまだに漠然として決まってなくて。でも訊ねてくる両親や教師にはそれらしいこと言ってごまかして。
 したいことが見つかんないから何かを目指して一直線に努力することもできなくて。
 それでも時間がないから。ゆっくり考え直す時間なんて、今さらどこにだって無いから。このまま進むしかない。
 どれだけの時間を無駄にしてしまったんだろう。考える時間なんてたくさんあったのに。受験間際になって、今さらになって焦るなんて滑稽だ。そんな自分を誤魔化して隠しているのは、もっと滑稽だった。

「私、自分が将来何したいかなんて……真剣に考えたことなかったんです。ただ、目の前にある勉強だけで手一杯になってただけで……、みんなは、ちゃんと考えてたのに………私は――」
 気付いたら一人取り残されていた気分だった。
 それを必死に埋め合わせようとして、自分だけ何も決まってないとは思われたくなくて。見栄を張った。虚勢を張った。
「バカですよね。そんなことしたって……結局困るのは自分なのに。人のこと気にして………」
 改めて考えたら情けなくなってしまって、思わず乾いた笑いがこぼれた。俯いた私の頭に、大きな手の感触が伝わる。上げようとした頭が力任せに押さえられた。
「俺な、浪人してんだよ」
 門脇圭太は静かな声で告げた。
「二年浪人してんだ。だから大学一年で二十一歳なの。俺、いま大学で考古学やってんだけどな、高校生のころはさ……医学部目指してたんだよ」
「…………え?」
「――って思うよなあ。しかも受かったんだぜ?それを蹴ったときの母親の反応と言ったら……言語に絶するね。思い出したくもねえよ、酷かった」
 しみじみと呟く奴の言いたいことが、まだ読めない。ただの自慢だったらどうしようと思った。そんな私の心配をよそに、奴は再び話し始める。
「俺も……真鍋、お前と同じだった」
「………………」
「俺、けっこう勉強できたんだ。さっきは漢字読めなかったけどな。そんでさ、周りに乗せられるまま医学部目指した。友達とかがさ、したいこと見つけてくんだよ。……音楽やるとか、美術やるとか。適当に大学行って専業主婦になる、って自信持って言ってたやつもいた。俺も焦ってたんだろうなあ、今からして思えば。何もやりたいことが見つかってないって思われたくなくて、医学部目指すのが俺の道だって思おうとした。受かるために頑張った」
 そこで一息つく。奴の手が触っている部分があったかくて、その熱がやけに嬉しかった。
「そうなってくるとだんだん俺も医学部行きたいような気がしてきてな。……頑張って、受かって……受かったとたんに分かんなくなった。俺、受かるのが目的で、受かった後どうするかなんててんで考えてなかったんだ」
 だから、医学部には行けなかった。と門脇圭太は言った。
 遥か下の街はまだ静けさの中に沈んでいる。ソリはかすかな鈴の音を鳴らしながら帰路をたどっていく。
「でもな、遠回りしたけど、結局俺は今の道を見つけた。考古学なんて、まあ実際将来金になるかなんて言われりゃあそれまでだけどな。それでも俺は良いと思う。これからだって、他にやりたいことが出てくるかも知れないし、何がきっかけで人生変わるかなんて分かんないんだから。あー……、何言ってんだ?だからだなあ……俺が言いたいのは……ああ、くそっ!」
 言葉にならないことをブツブツ言っている奴の手が緩んだので、私はそっと顔を上げる。覗き見た門脇圭太の顔は耳まで真っ赤に染まってて、一生懸命言葉を探している様子はささくれ立った私の心を穏やかにしていく。
「私、もう一度考えてみます。本当は、今目指しているもの、嫌いなことじゃないんです。ただ……」
 上手く表現できる言葉を見つけられずに口ごもった私を、奴はせかすでもなく待っていてくれる。
「ただ、自信が持てなくて。焦ってたから、手近にあったものを選んだって感じがしちゃって」
 奴は「うん」と小さく頷いた。
 それだけで、心が軽くなった気がした。
「あーあ……、とにかく受からなきゃ話になんないもんなー!」
 大きく伸びをしながら叫ぶと、嘘のように思考がクリアになっていく。やりたいこと、やらなくちゃいけないこと。こんがらがっていた紐がほどけ出しているのをどこかで感じながら、私の頬は自然と緩む。
「さて、帰るか」
 彼はそう言うと一度綱を振った。それだけでトナカイたちには通じたようだ。迷いなくソリは地上を目指す。あの、四方をビルに囲まれた不思議な空間を目指す。



 何もかも綺麗に片付けて、再び制服姿に戻った私は、あることに気づいて青くなった。縋るように門脇圭太を見上げると、彼はたじろいだように一歩後退する。
「門脇さん、大変……私、家になんにも連絡してない………」
 それは最低最悪の大問題だった。つまり、いわゆる、「無断外泊」を私はしてしまったというわけだ。
「ど、どーしよー……」
 ワラにでも縋る気持ちで、私は彼の上着にしがみついた。上から心底呆れたため息が降ってくる。
「仕方ねえなぁ…。何とかしてやるからちゃんと立て、真鍋」
「本当ですかぁぁぁー!?」
 ガバッっと顔を上げれば、慌てた様子の門脇圭太がいて。でもそんなことどうでも良くて。今この瞬間、奴が神様……いや、正真正銘のサンタクロースに思えた。
「分かったから分かったから!離れろって!!」
「ありがとうございます!!!」
 その後も確か十数回「ありがとう」を繰り返した気がするが、よく覚えてない。帰りぎわにあの二頭のトナカイにお別れを言うと、嬉しいことに彼らは私に顔を摺り寄せてきてくれた。門脇圭太は「食い物の匂いでもしたんじゃねえの」と言ったが絶対そんなことはないと思う。
 帰り道は終始無言で、私は半歩遅れてついてくる彼の気配を感じながら、ゆっくり家を目指した。
 冬の早朝はまだ暗い。しんと静まった住宅街を門脇圭太と歩いていると、まだどこか夢の中にいるみたいでドキドキした。私がやっと現実感を取り戻したのは、新聞配達のバイクにすれ違った瞬間だ。

 家まで送ってきてくれた門脇圭太が両親にどういう言い訳をしたのか、ちょっと離れたところで待たされた私にはとうとう分からなかった。ただ、もの凄い勢いで怒るだろうと思った両親が、それほどでもなかったのは本当にありがたかった。
 その上「門脇さんにちゃんとお礼を言うのよ」とまで言われては、彼の弁舌を賞賛しないわけにはいかない。
「一体どうやって丸め込んだんですか?」
 門の外で待っていた奴に声を掛ける。両親は家の中へ戻ったが、なんとなく小声になってしまう。
「丸め込んだなんて人聞きが悪いな。丸くおさめたと言ってくれよ」
「どっちにしても、助かりました。ありがとうございます」
 一瞬照れたように鼻をかいた彼は、「あ」と漏らして上着のポケットをごそごそやり始めた。何事かと見ていると、
「これ、バイト代」
 そう言って手渡されたのは小さな包み。「開けていいですか?」と目で訊ねると、「もちろん」と奴が頷く。
 赤いリボンを解いて、包装紙を綺麗に開く。中の箱から出てきたのは――……
「トナカイだあ。可愛い!」
 手のひらにおさまる小さな二頭のトナカイの模型。しかも今日私たちが乗っていたのとそっくりな小さなソリを引いている。ガラスのケースに入ってるそれらは、まるで本物のように精密だ。
「ありがとうございます。大事にしますね」
「おいおい、お前ちゃんと見ろって。ただの模型ならその辺に売ってるだろうが」
「………え?」
「良いから見てろって」
 首をグイッと模型に向けられ、私の両目が再びトナカイを見る。
「だから何が――……っ、えええ!?」
「バッカ!近所迷惑だろうが!!」
 頭を小突かれたが今はそんなことどうでも良かった。なんとガラスケースの中のトナカイ二頭が動いているのである。しかもしかも雪が降ってる。よくある振ると巻き上がる白い粉じゃなくて、ちゃんとした雪が! これは驚くなという方が無理だ。
「何これ何これ、どんな仕掛けがあるんですか!?」
「さあな。俺も知らねえけど、毎年バイト代はこれなんだよ。それ、ケースの中は年中雪が降ってんだ。………でもトナカイは動かないはずなんだけどなあ。あれ?」
 不思議そうに首を傾げる彼をよそに、私はずっとケースの中のトナカイを見つめていた。これを机に置きながら勉強してるとこを想像する。なんだか頑張れそうな気がしちゃうから私も現金なもんだ。


「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。真鍋、」
「は、はい!」
 急に真剣味を帯びた彼の声に、思わず私の背筋が伸びる。
「待ってるぞ」
「………………え?」
 門脇圭太はいつも言葉が足りないと思う。
 この言葉の意味が分かったのは、次の年の春、大学の入学式の日、校門の中で私を待ち受けていた奴を見たときだった。






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