連載コラム
第25回 ハイドパークの特大風船
私の母校アーキテクチュラル・アソシエーション(AAスクール)で出身の建築家が集うイベントがあり久しぶりにロンドンに滞在しました。ほんの数日でしたから、イベントの合間にもブックショップやギャラリーを休む間なく移動し、毎晩旧友と夜中まで飲み続けたあげく、帰国の飛行機に駆け込む強行軍でした。
ハイドパークのサーペンタイン美術館は、数年来夏季の目玉イベントとしてギャラリーの前にパビリオンを仮設します。毎年世界のトップアーキテクトを招聘してアイデアを披露するこの企画は、海の家ならぬ公園の家といったローコストのカフェテリアなのですが、逆に仮設ならではの思想的、冒険的なアイデアを実現することができ、注目のイベントになっています。あいにく、オープン寸前でしたがギャラリーの学芸員に知り合いがいたので案内してもらいました。
2006年のレムとセシルによるデザインは、例年のように芝生に佇む華麗な建築形態を披露するものとは異なり、形のない大風船の屋根がぽっかり、天気に応じて空高く浮かびあがって屋外劇場になったり、元の鞘に納まったりというシンプルな可変性のアイデアです。
風船屋根の下は半透明のポリカーボの壁で囲われたホールになっていて、公園の風景とは全く切り離されています。つまり、心地よいカフェテリアをつくるというゴールを真っ向から無視しているわけです(笑)。
これまでの仮設パビリオンはどれもすばらしく美しい構造体で、心地のよい場を提供してきたわけですが、これらは、建築デザインという文化を人々が求めているからこそ成功したものだと思います。それに対して今回、形態の美しさではなく、著名な思想家や政治家、アーティストや文筆家、経済学者を招いた24時間インタビューマラソンをやるというプログラムを含め、パビリオンの企画のありかたそのものを組み立てていこうという出来事のデザインなのです。建物のデザインを超えてそこでの個々の体験や出来事をデザインするというOMAの思想、あるいは長年のAAのアジェンダを体現するものであり、久しぶりに初心に帰った気分になりました。
形態を洗練させていくことに背を向けて、恣意的に出来事をプログラムすることに比重をずらすというのは建築家にとって時にリスクの大きな方法かもしれません。これを仮に今、日本でまねれば、安易な箱物行政批判やテレビや広告会社のイベントのような薄っぺらなものに陥ってしまうでしょう。しかしながら、建築を文化として求めている社会が存在して、そこに美しい建築を生み出す必要が生まれ、その上ではじめてそれを転倒するようなアイロニカルでイージーな建物のデザインが批評として多重の意味をもってくるのだという、とどまるところを知らない知性がひしと伝わってくるのでした。
現代においては、見る価値にとどまらず、考える価値がある建物をつくるには、そこでの体験や出来事を設計することによってのみ可能だろうとやっぱり思います。(二宮)