雑記帖(エッセイや思いつきなど)

車の話(3) 車を手放した理由

: 私は父親の仕事の関係で16歳のとき、昭和38年に軽自動車免許を取って以来 のドライバーで、大学は自動車部に入り、1970年卒業し外資系石油会社に就職しました。 営業でしたので翌年1月にスバル1000を買い、それ以来のマイカー歴です。
  それが、1989年の10月に車を手放すことになりました。 きっかけは、家族全員で長津田の「こどもの国」へ行こうとした途中大変混雑していて、 「たまにしか車に乗らないのに、これでは意味が無い。大体車が無くても困らない。 車がもっとも必要なのはゴルフに行くときくらいだが、1989年7月(頃)に八王子ラボ勤務 となり、横浜線で通勤するためホームコースである津久井湖ゴルフコースに行くのに途中 の橋本駅からクラブバスで行けば電車賃もかからない。運転しなくてもいいし、楽だ。 車を持っているということは豊かさの象徴にはならない。むしろ精神的には車を持っている ほうが貧しい。売ってしまおう。」と家内に言い出したのがきっかけです。
「そう言っても、 車がないとお米を買いに行くのも不便だし。・・・でも、ショッピングカートで行けばよいか?  郊外レストランに行く回数も減るし、お金も使わなくなるかも?」と家内も応じ、車がないと 困ることをふたりで列挙し、今度は車がないとメリットになることを列挙し、車にいくらかかる か、それは走行距離あたりいくらになるかを計算し、ふたりで、連想ゲームかブレーンストー ミングみたいなことを30分くらいやっていました。 その結果、月500キロメートルの走行距離として、車の償却やランニングコスト、保険、 税金、車庫を他人に貸せば得られる金額の機会損失、などを計算すると1キロメートルあたり 500円くらいになることがわかりました。 その日の帰り道、中古車センターに寄って査定をしてもらい、1週間後には売っていました。 もちろん空いた駐車場は他人に貸しました。 従って、90年代は車を保有しなかったことになります。 車が無い生活というのは、それまでと視点がまるで違い、三浦半島や鎌倉などにハイキング に行く機会が増え、絵を始めるきっかけにもなりました。精神的にもゆとりが出ました。 何よりお金がかからなくなり、(車を1台持つということは子供一人分と同じくらい費用がかか ります。)昨年には62歳くらいまで払いつづけるはずであった家のローンも完済することが 出来ました。90年代は失われた10年といいますが、私たちにとって見れば黄金の90年代 でした。 ですから、娘が車の免許を取り、車を買うことにあまり賛成ではありませんでした。 それなりの納得できる理由がなければ買わなかったと思います。                     


作成日:2000年4月16日日曜日 21:56

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