雑記帖(エッセイや思いつきなど)

横浜美術館話&そごう美術館 絵を書き始めたきっかけ
  先週の土曜日(1999.9.18)に女房とセザンヌ展を見に横浜美術館へ行きました。 9年前にも一緒にルノアール展を見に行きましたが、そこでルノアールの「少女」に再会し、それがきっかけで油絵を(というより絵そのものを)始めようという気になったのでした。その時の心境を社内報に書いたことがあります。多少気障な文ではありますが気に入っている文章なので紹介します。

人生はそれ自体が表現なのだろう。仕事も趣味も、道を歩く姿さえも。・・・略・・・ 私のような粗・野・卑(註:そやひ。元国鉄総裁の石田礼助の「私は粗にして野だが卑ではない」という言葉を念頭に置いています。)な人間でも何かに感動し、それを表現したいと思うことがあるらしい。「善人なおもて成仏す。いわんや悪人や。」(親鸞) の、悪人が仏を求めるようなものか。  昨年末(註:90年)、ルノアールの「少女」が横浜に来ると知った時、小学校の教科書の絵をずっと見入っていたあの時の少年になっていた。30数年ぶりに初恋の人に会ったようなものだが、額の中の少女は全く変わっていない。何十年も前の感動をそのまま伝えられる絵というものが素晴らしいものに思えて、いつの間にか『自分もあんな絵が描けたら』という願望に変わり、気がついていたら描き始めていた。  私は2才の時からの浜っ子。横浜は絵の題材には事欠かない。毎週スケッチブックを持って市内のどこかにいる。描いている時は時間も空間も無い。色即是空、空即是色。景色の中に溶け込んで、頭の中は真っ白なキャンバス。すぐそばを通る船の音に驚いて我に還る。  人生そのものが自己表現なら、自分というキャンバスを使って、何でも良いから描いて書いて、大いに恥をかいて。あの世へ行ったら死ぬまでゆっくり、先人たちと語り合いたい。


セザンヌ展は、正直言ってそれほどでもありませんでした。ボストン美術館で見た、「大きな松ノ木のあるサント=ヴィクトワール山」を見たかったのですが、残念ながらありませんでした。山手資料館の絵と構図的に似ているような気がしませんか。  横浜美術館から横浜駅西口のそごうデパートまで歩いて、買い物をした後別行動。 私はそごう美術館で安野光雅展を見ましたが、セザンヌよりこちらのほうがしっくり来ました。風景を描きながら旅をして、エッセイを書く。これが将来の理想の姿です。 今はそのための練習。

追記:横浜美術館に家内とルノアールを見に行ったのは1990年11月21日。家内の家計簿の記録にて確認。「生麦―桜木町、240円×2。帰りは横浜駅まで歩いたので、横浜―生麦120円×2」とあった。入館料は私が出したので記入していないとのこと。(2015年4月23日)

作成日:1999年9月25日

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