雑記帖(エッセイや思いつきなど)
「(私の)世界コマ大戦 」

私の場合、何か新しいことを始めたり、環境を変えたりする場合の決断や決心はほとんど瞬間的・直感的に決めることが多い。
あたかも幾何の問題の解が突然ひらめくように。

先にひらめきがあってからおもむろに、クリアすべき問題点と解決方法、決断した場合のリスクと決断しなかった場合の機会損失費用などを検討する。しかし、実は潜在意識の中では意思決定はすでになされている。

一番典型的なのが家を建て替える時。窓のアルミサッシュの鍵が壊れ、3歳の娘と新横浜のホームセンターへ行き、たまたま隣にあった住宅展示場を覗いたのがきっかけだった。

さらに、車を手放した時、絵を描き始めた時、フォルクローレにはまった時、IRのためにエディンバラへ出かけた時(ホームページのどこかに記載)、などなど。

そして、その都度必ず新しい発見や出会い、人生の転機があった。

 

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 2014年10月19日。インターネットでたまたま神奈川新聞の記事が目に留まった。「世界コマ大戦 横浜」「貧困化の若者に夢を」「ものづくりに

触れて」「ボリビア代表来日に募金活動」

この見出しで充分に心が揺さぶられていたが、さらに記事を読み進むと募金活動の発案者に渡邊桃伯子さんの名前が。彼女とはそれまで直接の面識はなかったが、横浜如水会での活動などは会報を通じて目にしていた。「女勝り」の聡明で行動的派である。「女勝り」というのは「男勝り」よりももっと知的で、もっとパワーのある女性という意味の私の造語。

早速メールでボリビア音楽のチャリティー・コンサートを提案し、協力を申し出た。今は息子も私も演奏をやめてしまったが、幸いにもフォルクローレをやっていた時の人脈は残っていた。

単なる寄付や募金だけでは、趣旨は理解されても募金行為まで導くのは難しい面がある。チャリティー・コンサートによって、聴きに来られた方に満足感を提供し、出演者にもきちんとギャラを払う。こうすれば全ての人が満足し、募金が集まるだけでなく世界コマ大戦(詳しくは「ヨコハマNOWに「ボリビア若者日本滞在記」参照」)のことを知らずに純粋に音楽を聴きに来た人にコマ大戦そのもののPRも出来る。これが狙いだった。

日本に住んでいるボリビア人音楽家といえばルイス・カルロス・セベリッチ。何せサッカー大会などで南米チームが試合をする時など、ボリビアに限らず南米各国の大使館から国歌の依頼が来る位だから。

コンサート会場は「やまぼうし」にと思い、オーナーの北島さんのOKも頂いた。

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 渡邊さんから案内があり、10月24日資金集めのパーティー世界コマ大戦ボリビア・ナイツに参加した。場所は横浜の関内。ここでこの活動に参加している方々に出会った。緑川さん、平野さん、杉浦さん・・・。

皆さんのスピーチを伺っていて、そのいきさつ、熱意、展開などが分かっていた。なぜコマ大戦が始まったか、なぜボリビアが最初にコマ大戦に手を挙げたのか。そして、ペルーの演奏家によるフォルクローレ演奏。本当に久々に生のケーナの音色を聴いた。やっぱり生音はいい。

 

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渡邊さんに内諾を得てルイス・カルロス氏にコンタクトを取る。趣旨を伝えると「いいですよ。日程が合えば。一度お会いしましょう。2014年10月29日にラティノ・アメリカーナ・フェスティバルが芝プリンスホテルであるからどうですか?」ということになった。

ホテルに行くと広い会場ながら大勢の人、人、人。とても見つからないと思い、携帯電話でコンタクト。意外に近くにいた。何年ぶりだろう。確か家内と一緒に関内ホールへカルカスの公演を聴きに行った時だから・・・。

何とカルロス氏が私たちの前の席に座っていた。

 

 結局、次の集会まで日程が短く、集客やら準備やらが間に合わないというような理由でルイス・カルロス氏によるチャリティー・コンサートは幻に終わった。主催者スタッフ達は大会開催の準備そのもので大忙しだろうから、チャリティー・コンサートまでは手が足りず、リスクも冒せないと考えるのも無理はない。時間がなさ過ぎた。これで私のお手伝いは終わったかな、と思ったのだったが・・・。

 

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 ところがボリビア・ナイツ(夜開催)に続き、ボリビア・ミーツ(昼開催)を1月31日に行うことになり、「誰かボリビア音楽を演奏するグループを探して欲しい。」という依頼の連絡が渡邊さんよりあった。

もちろん喜んで引き受けたものの、ボランティアということではプロに頼むのは難しい。例えアマチュアでも実力派でなければならない。数グループコンタクトを試みたが日程が合わないとか、休業ないし廃業したとかで、藁をもすがる思いで宍戸さんに相談したところ、何とご自身がグループで演奏活動されているというではないか。まさに天の助け。これ以上ふさわしいグループはいない。問題は日程だが相馬さん、塩満さん、そして田丸さんも4人全員OK。しかも快諾。

 当日のパンフレットに載せるためにと、渡邊さんからグループ(スペイン語ではグルーポ)名を聞かれたが、演奏は何回も行っているがグループ名は決まっていないとのこと。それではこれを機会に命名してもらうと宍戸さんにお願いすると「明日、塩満さんが来られるから一緒に考えましょう。」と快諾。

Amigo del Trompo」(コマの仲間、友達)と決めていただいた。

トロンポはスペイン語でコマ。「コマの友達」という意味。素晴らしいネーミング。グループ名として素晴らしいだけでなく、「コマ大戦に関わったすべての人が仲間」、という意味でとても良いネーミングだと思った。

当日私はAmigo del Trompoの紹介を兼ねてコマ大戦に関わったいきさつをプレゼンすることになり、パワーポイント造りに取り組んでいた。そのさなかの1月21日ホームコースの津久井湖GCの競技で優勝という出来事もあった。コマを念頭に「軸」と「回転」を意識したのが良かったのだろう。これもコマ大戦の思わぬ副次効果だった。

 さらにボリビア人のセノビアさん率いるダンスチームも出演してくれることとなり、準備は整った。

そして東海テレビ、NHK横浜支局が取材に来ることとなったのだが・・・。

 

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 2016年1月31日。Amigo del Trompoの演奏、ボリビア・ダンスとボリビア・ミーツは大いに盛り上がった。ところが東海テレビは取材チームが来ていたがNHKチームが見当たらない。ビデオカメラを回していた人は何人かいたが・・・。 

 

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2月5日17時半ごろ風呂に入ろうかと思っていたところ、NHK「ゆうどき」の中で横浜支局から「みなとみらい大人の課外講座」という題で支局の女子アナウンサーが出て来た。『どこかであったことがあるなあ・・・。』と気になったので見ていたら・・・・。何と131日(土)の世界コマ大戦のイベントでTVカメラを回していた女性だった。

 NHKが取材に来る、とは聞いていたがまさかあの人とは思わなかった。何人かビデオカメラを回している人がいたがTV局の取材は照明や集音マイクがあるのですぐわかる。そういえば若い小柄の女性が一人で撮影していたが、てっきり主催者が撮影を依頼したアルバイトの方かと思っていたら、 安井千紘さんという、アナウンサーではなくキャスターの方だった。

 肝心のボリビア・ナイツの放映は何時なのかが気になっていたところ、渡邊さんからFace Bookに「2月10日(火)午前11:05~NHK総合「ひるまえほっと」に出るそうです。」という書き込みがあった。

早速、宍戸さんに連絡をしたところ「え? NHKの取材来ていたんですか? 気が付かなかったなあ。」と同じような感想だった。

 

 2月10日の放送はコマ大戦そのものに焦点を当てたもので、残念ながらAmigo del Trompoの演奏は映っていなかった。私も娘たちや友人に連絡をしたが、参加者全員の集合写真に小さく、瞬間的に映っている程度だったが、番組そのものはとても良く出来ていて、時期的にも2月15日の世界コマ大戦のPRとしては最適だった。

 

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 渡邊さんから、2月13日にボリビアの出場者の歓迎会があるので、とお誘いを頂いた。演奏者を紹介しただけなので自分の役割は終わったものと、出席してよいものかどうか迷っていた。しかし、乗りかかった何とやら、さらに知人に、歓迎会の後に横浜にぎわい座での別の催しに誘われていて、会場も徒歩10分と近いこともあって両方とも参加することにした。

歓迎会は横浜駅東口の崎陽軒経営のお店。早めに家を出て横浜そごうで絵を見てから会場へと向かったが、案の定迷ってしまった。

会場は個室で広くゆったりしており、歓談には最適。

渡邊さんより、二人が税関で手間取り1時間以上も出て来ず、日本に来ていないのではないかと心配したという話などがあり、さらに、税関で渡航証明などの書類を紛失したが税関の職員が見つけて、わざわざ関係者に連絡し、その職員が届けてくれ、なおかつコマ大戦に共感し日曜日に見に来てくれることになったというエピソードも紹介してくれた。例によって東海テレビの方が取材に来られていたのでディレクターの方にその話を伝えると、是非紹介したいと言ってくれた。職員の方当日来てくれるかな。映像に写るかな?

 

 東海テレビが取材を終えて引揚げたのを見計らって、少年たちのためにケーナ&歌を、それもアンコールに応えて2曲も。およそ10年ぶりに演奏してしまった。

 「カルカスを知っている?」と聞いたら、もちろん知っており、「誠さん(カルカスのチャランギスタ)を知っている?」と聞いたらこれまた知っていた。

 131日にお二人のために演奏してくれたアミーゴ・デル・トロンポのギターラが誠さんのお父さんの宍戸忠夫さんですよ。」と言ったら驚いていた。

やはりカルカスはボリビアだけでなく南米で知らない人はいない。

 

 渡邊さんから二人の予定を伺うと、17日は6時から横浜中央魚市場見学(6年前2週間ほどここでアルバイトをしていた。)、そして中学校訪問。それが何と生麦中学校!! 「それって私の母校です! 53年前の卒業です。」ということでそちらもご一緒することになった。

本当にまあ、ほんの偶然から始まったことだが、これだけ偶然が続くと神様が仕組んだのではないかと思えるようになってくる。 東海テレビが帰られたのを見計らって、少年たちのためにケーナ&歌を、それもアンコールに応えて2曲。およそ10年ぶりに演奏してしまいました。
「カルカスを知ってる?」と聞いたら、もちろん知っていました。「誠さん(カルカスのチャランギスタ)を知ってる?」と聞いたらこれまた知っていました。
131日にお二人のために演奏してくれたアミーゴ・デル・トロンポのギターラが誠さんのお父さんの宍戸忠夫さんですよ。」と言ったら驚いていました。

 少年たちの予定を伺うと、17日は6時から横浜中央魚市場見学(6年前2週間ほどアルバイトをしました。)、そして中学校訪問。それが何と生麦中学校!! 「それって私の母校です! 53年前の卒業です。」
ということでそちらもご一緒することになりました。

 本当にまあ、ほんの偶然から始まったことですが、これだけ偶然が続くと神様が仕組んだのではないかと思えるようになりました。海テレビが帰られたのを見計らって、少年たちのためにケーナ&歌を、それもアンコールに応えて2曲。およそ10年ぶりに演奏してしまいました。 カルカスを知ってる?」と聞いたら、もちろん知っていました。「誠さん(カルカスのチャランギスタ)を知ってる?」と聞いたらこれまた知っていました。「131日にお二人のために演奏してくれたアミーゴ・デル・トロンポのギターラが誠さんのお父さんの宍戸忠夫さんですよ。」と言ったら驚いていました。

 少年たちの予定を伺うと、17日は6時から横浜中央魚市場見学(6年前2週間ほどアルバイトをしました。)、そして中学校訪問。それが何と生麦中学校!! 「それって私の母校です! 53年前の卒業です。」ということでそちらもご一緒することになりました。

 本当にまあ、ほんの偶然から始まったことですが、これだけ偶然が続くと神様が仕組んだのではないかと思えるようになりました。

 東海テレビが帰られたのを見計らって、少年たちのためにケーナ&歌を、それもアンコールに応えて2曲。およそ10年ぶりに演奏してしまいました。 カルカスを知ってる?」と聞いたら、もちろん知っていました。「誠さん(カルカスのチャランギスタ)を知ってる?」と聞いたらこれまた知っていました。「131日にお二人のために演奏してくれたアミーゴ・デル・トロンポのギターラが誠さんのお父さんの宍戸忠夫さんですよ。」と言ったら驚いていました。

 少年たちの予定を伺うと、17日は6時から横浜中央魚市場見学(6年前2週間ほどアルバイトをしました。)、そして中学校訪問。それが何と生麦中学校!! 「それって私の母校です! 53年前の卒業です。」 ということでそちらもご一緒することになりました。

 本当にまあ、ほんの偶然から始まったことですが、これだけ偶然が続くと神様が仕組んだのではないかと思えるようになりました。

 東海テレビが帰られたのを見計らって、少年たちのためにケーナ&歌を、それもアンコールに応えて2曲。およそ10年ぶりに演奏してしまいました。 カルカスを知ってる?」と聞いたら、もちろん知っていました。「誠さん(カルカスのチャランギスタ)を知ってる?」と聞いたらこれまた知っていました。「131日にお二人のために演奏してくれたアミーゴ・デル・トロンポのギターラが誠さんのお父さんの宍戸忠夫さんですよ。」と言ったら驚いていました。

 少年たちの予定を伺うと、17日は6時から横浜中央魚市場見学(6年前2週間ほどアルバイトをしました。)、そして中学校訪問。それが何と生麦中学校!! 「それって私の母校です! 53年前の卒業です。」 ということでそちらもご一緒することになりま

 本当にまあ、ほんの偶然から始まったことですが、これだけ偶然が続くと神様が仕組んだのではないかと思えるようになりました。

 

 でもそれだけではなかった。テーブルの向かいに座った渡邊さんの高校のお友達の荻津さん尾形さんと、私の実父も秋田出身であること、江戸時代まで鳴海姓だったが回船問屋をやっているのに海が荒れるというのは縁起が良くないので成見姓にかえたこと、お墓が浄願寺にあり墓石が二つ繋がっていてそれぞれの姓が彫ってあること、父は私が1歳の時に亡くなり、私は2歳の時に養子に来たことなどをお話した。

 すると翌日、メールが届き浄願寺の住職は同級生であること、高校のラグビー部で一時一緒だったこと、お母様の実家の菩提寺で、写真の二つ右がそのお墓だと思われること、などを教えてくれた。絶句!!


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 2014年10月に偶然目にした新聞記事のネット版がきっかけとなって、世界コマ大戦に関わることになり、そのことが次々と偶然につながり、先祖の墓までつながって行った。

あらためて両親の出会いと自分の生い立ち、コマ大戦までのつながりをもう一度振り返って見ることにした。

 

年月不詳、父成見孝太郎と母中山加津が偶然同じ耳鼻科に通う。母が父を見初

 め母の兄を介してアプローチ、結婚。

父は沖電気(株)に勤務。成見一家は満州の首都新京、及び大連で暮らす。この間、長女翠、長男勲、次男聰誕生。私はまだ生まれていない。

1945年8月15日、大連にて終戦。

1946年正月。一家全員と孝太郎の母市が満州より帰国。この時、母加津の弟中山實と満員の東武東上線の車中で偶然再会したという話を實さんから聞いた。

1947年3月25日、埼玉県比企郡小川町で成見家三男淳(私)誕生。

1948年11月23日、孝太郎死去、享年37歳。11月にしては珍しく雪の降る日だった。

1949年、孝太郎の母市の弟(次男)勤治(長男は代々清兵衛を名乗っていた)が当時横浜市鶴見区に住んでおり、その縁で大澤仁三郎、静江の養子として入籍。

1969年8月、大学4年となり就職も決まった夏、成見勤治の仲介により母成見加津の故郷埼玉県比企郡小川町の割烹旅館二葉で実母、兄達、姉と再会。

1970年4月に就職。この年に会社の出張で松山の帰り、大阪空港のカウンターで前に並んでいた次兄とばったり遭遇。横顔が私に似ているのですぐに気が付き「お兄さん!」と初めて呼んだところ、次兄はやくざに因縁を付けられたのではないかと勘違いしたと後で聞いた。サングラスをして黄色の派手なシャツを着ていたし、何せ会うのは小川町での対面、次兄の結婚式に次いでこれが3回目だったから無理もない。同じ航空機に変更し羽田まで臨席で帰った。

1999年のクリスマスイブ、会社の同僚と飲屋を探して立川のラバンバに

入り、ロス・トレス・アミーゴスに出会う。南米音楽とりわけケーナの魅力に取りつかれ、フォルクローレの世界に入る。

2002年。宍戸忠夫さんの次男の誠さんがカルカスに入り、その歓迎会で宍戸さんご夫妻に出会う。メールのやり取りの中で宍戸さんからスケッチや川柳絵を送って頂き、あまりの見事さに、是非多くの方に見て頂きたくて私のホームページに掲載させて頂くことになった。その他何度か演奏をご一緒したり、2005年カルカスを追ってスペインのビルバオとサラゴサで落ち合って演奏会に紛れ込んだりしたこともあった。

2002年9月。当時慶應大学の学生だった梅崎さん(現在神奈川大学外国語学部スペイン語学科助教)に出会い、彼女が在学中に外務省のインターンに合格しボリビア大使館に勤務したのを機会に単身ペルー、ボリビアへ旅行。彼女のボリビア豊富な人脈のお陰で演奏家へお邪魔したり、コチャバンバの村祭りで村人との貴重な交流を行ったりすることが出来た。

2004年9月、秋田県角館市でフォルクローレ楽器店「コチャバンバ」の主催による全国の同好者が集まり、息子と一緒に参加。終了後秋田市内の親戚成見雄一氏宅を訪ね、初めて浄願寺に墓参り。

2014年、NPO法人日本エンドタブ協会の講習会を秋田で行い、2度目の墓参り。

2014年10月19日、世界コマ大戦の募金活動の記事を発見。

2015年2月15日、世界コマ大戦

 

こうして順番に並べてみると、全く自分の意思の及ばぬこと、偶然の出来事、偶然かもしれないが自分の意思でそのチャンスをつかんだこと、などがあるのに気が付く。

私が成見家に生まれたのも、大澤家の養子になったのも全て自分の意思の及ばぬこと。

フォルクローレとの出会いは偶然。フォルクローレに魅かれてケーナを習いはじめ、多くの同好者と出会うことが出来たのは、またボリビアまで旅行したのは間違いなく自分の意思であり、自分の選択の結果。

世界コマ大戦の記事を目にしたのは偶然。募金のお手伝いをしたいと思わせたのは、ボリビアで会った人達、とりわけコチャバンバの村祭りで出会った人達や演奏家達との交流から得られた貴重な体験があったからで、何とかボリビアの人たちに恩返しをしたいという気持ちに動かされた。

そのボリビアの参加者のために募金活動をされている方々の中心が渡邊さんであり、大学の後輩ということも偶然。でも、彼女の一生懸命さが、新聞記事やら、如水横浜支部での彼女の活躍などから自然に伝わって来て、お手伝いしようという気持ちにさせていた。

 さらに秋田高校卒の荻津さんが成見家の墓のある浄願寺の住職が高校の同級生で、彼のお母さんの菩提寺であり、成見家のお墓の二つ隣とは・・・。

ここまで来ると、偶然と思っていたことが本当に偶然なのか。自分の意思で決めたと思っていることが本当に自分の意思だったのか・・・・・。

決して信心深くない自分だが、『ひょっとしたら何もかもすべてが初めから決まっていたことなのかもしれない。』とさえ思えるようになって来て、今まで途切れていた先祖の記憶をやっと取り戻したような気分になった。

 

これで「(私の)世界コマ大戦」も終わりかと思い、書き終えて一息ついて関係者に掲載の了解を取っていたところ、数日後尾形さんからメールを頂いた。秋田在住のお兄様に問い合わせたところ、彼女のお兄様も秋田高校のラグビー部だったこと、従って浄願寺のご住職と同級生だということが判明したというではないか。

人と人との縁は生きている限り、否、この世を去った後も世代を超えてずっと続いて行くものらしい。

あらためて、世界コマ大戦、フォルクローレなどなどを通して出会った方々に感謝申し上げたい。

 

「(私の)世界コマ大戦」一旦終わり。

2015.3.15

 

 


作成日:2015年3月15日(日)

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