Hawaii

2001年12月4日(火)〜8日(土)

帰国 そして

ホテルの部屋からの夜景 同じくホテルの部屋から


 今日12月7日(アメリカ時間)は真珠湾攻撃すなわち日米開戦の日。1941年のことだから61年目になる。TVのニュースでブッシュ大統領が演説をしていたが、ハワイの式典に来ていたのだろうか。新聞を読んでいないので定かではないが。
私は戦後生まれだから太平洋戦争は歴史でしか知らないが、それでも9月11日のテロの後でもあり、この日にハワイにいることもあり、いろいろな思いが頭の中を巡る。

 21世紀は戦争の世紀であった。2度の大戦の後それぞれの世界機構が出来た。国連以降、複数国対複数国の世界規模の戦争は朝鮮戦争以外記憶にない。それも何とか半島だけで終わっている。紛争、動乱、1国対複数国の戦争はイスラエル対アラブ諸国や湾岸戦争などがあった。1国対1国の戦争は、イギリスとアルゼンチンのフォークランド戦争、中国とベトナム、独立を巡ってのフランスとアルジェリア、バングラデシュ独立のバングラデシュとパキスタン、そのパキスタンとインドは今も紛争が。
それでも国連以降大戦は起きていない。多分、これからも起きないだろうと思う。
アメリカ対ソ連の冷戦構造、二大大国による力の均衡による大戦回避、緊張緩和、共産圏の崩壊、アメリカによる軍事的な実質一国支配。の故に。
しかし、9月11日テロに象徴されるような、非合理的、常識では理解できない、宣戦布告なき戦争、国家という主体なき戦争、見えない敵による戦争。このような戦争はこのままではなくならないのではないだろうか。
古来、戦争は兵士がするもの、軍隊がするもの、であった。大戦以降、国民総動員、国家の総力対総力の戦いになり、市民も戦争に深く関わるようになってきた。今は兵士や市民の区別もなくなり、国際法というルールも通用しなくなり、民族・宗教・貧富の差、怨念すべて入り混じった人間対人間の戦争になってきた。いつどこでどうなるかわからない。

 例によって空港まで観光客をピックアップしながらバスは向かう。
帰りの機内は来る時ほど空いてはいなかったが50〜60%の搭乗率だろうか。
成田に着陸したのが土曜日の15時。荷物がなかなか出てこなくて、それでも15時半に駅に向かう。ちょうど15時40分の成田エクスプレスがあった。私の想像では満員と思ったが、発車直前というのにガラガラ。私たちの乗った車両には他には二人だけ。
電車の中で娘に携帯電話から地下鉄の所要時間を調べてもらう。『うっ。間に合う。』
東京駅で下りて、青山1丁目のNHKに行く。ケーナ教室に行くためだ。午後4時から5時半までだが、何とか5時に間に合った。
教室に入ると息子がニヤっとして『え?来たの?』という顔で笑っていた。
リッキー先生が「あれ?いつ帰ってきたのですか?と聞く。「ええ。今。成田からそのまま。」「そうですか!お疲れのところどうも。」
ちょうどカチャルパリを練習しており、ケナーチョを練習することが出来た。翌週の望年会の練習にちょうど良かった。
教室終了後、息子と一緒に家に帰る。

 ハワイ編終わり


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