気まぐれッセイ  01

横浜市立生麦中学校  

絵せイスト 成見 淳

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「横浜たそがれ」透明水彩F6号

 ドカーン! 大きな音と地震のような揺れで飛び起きた。1959年12月11日、午前4時57分。当時12歳。中学校1年生で当然ながら現在のように早起きではなかった。

場所は横浜市鶴見区の東神奈川区際、横浜市立生麦中学校。私の出身校で、ついでながら3人の子供の出身校でもある。学校へ行くと鉄筋の新校舎の窓ガラスが全部割れて、近くの家が破壊され、事故現場の第二京浜国道には大きな穴があいていた。火薬トラックと砂利トラックの正面衝突によるものだ。
(詳しくは「第二京浜トラック爆発事故」で検索)

 宿直の先生が急いでズボンを履き事故現場に行き、学校に帰ってトイレで小用を足そうといくら努力しても「出てこない」。慌てて前後反対に履いたため、という話を後から担任の先生に聞いた。

更に約30年後、深夜にタクシーで現場を通った時にドライバーにその話をすると「それうちの娘に聞いたことがありますよ。」と言われた。

この事故は入学した年の出来事だったので何といっても一番記憶に残っている。

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 「校庭から」透明水彩 この右方向に富士山が見える
 
中学校の立っているのは風早台とも呼ばれる高台で、横浜港、みなとみらい、ベイブリッジ、
房総半島、富士山、総持寺などが見える。
隣接して、今は子安台公園となっているが私が小学校の頃は米軍の駐屯地になっており、中学の時は
自衛隊の駐屯地となった。米軍の頃校庭で野球をしていてボールが施設内に入ってしまうと米兵が
投げ返してくれた。

入学した年には校庭に緑色のかまぼこ兵舎が残っていて学校の運動用具などの倉庫として使っていた。
そのそばを陸上部員が走り幅跳びの砂場にすべく掘っていると不発弾が出てきて「ミサイルだ!」と
大騒ぎになり、自衛隊の不発弾処理班が金属探知機で探しているのを授業中に見ていた。

それもそのはず、戦時中ここは横浜港を見下ろす高射砲の陣地。不発弾が出るのも無理からぬ事。

今は校庭の地下をJR貨物線及びその線路を使って相鉄JR直通線や首都高速横浜北線などが通っている。

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作成日:2021年1月

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