ドカーン! 大きな音と地震のような揺れで飛び起きた。1959年12月11日、午前4時57分。当時12歳。中学校1年生で当然ながら現在のように早起きではなかった。
場所は横浜市鶴見区の東神奈川区際、横浜市立生麦中学校。私の出身校で、ついでながら3人の子供の出身校でもある。学校へ行くと鉄筋の新校舎の窓ガラスが全部割れて、近くの家が破壊され、事故現場の第二京浜国道には大きな穴があいていた。火薬トラックと砂利トラックの正面衝突によるものだ。
(詳しくは「第二京浜トラック爆発事故」で検索)
宿直の先生が急いでズボンを履き事故現場に行き、学校に帰ってトイレで小用を足そうといくら努力しても「出てこない」。慌てて前後反対に履いたため、という話を後から担任の先生に聞いた。
更に約30年後、深夜にタクシーで現場を通った時にドライバーにその話をすると「それうちの娘に聞いたことがありますよ。」と言われた。
この事故は入学した年の出来事だったので何といっても一番記憶に残っている。
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