オランダ&スコットランド 2004
美術館とゴルフの旅

2004年7月12日(月)〜21日(水)

セント・アンドリュース オールドコース 

 「7月にセント・アンドリュースでゴルフをするのですよ。」
「セント・アンドリュースでもオールドコースでプレーをしなければ価値が無いよ。セント・アンドリュースと言ったってたくさんコースはあるから。」と言われた。多少カチンときた。

 セント・アンドリュースでプレイするには所属クラブのハンデキャップ証明書がいることがわかった。津久井湖GCのフロントで証明書発行を頼むと、証明書はゴルフ場のでは駄目で、JGA所属コース経由JGAの英文の証明書が必要なことがわかった。キャディマスター室に行くと早速依頼書を作ってくれて、記憶によると確か2000円弱の手数料をJGAに払った。          ********************************************************************************  ところが成田に着いてユーロとポンドに換え、ホッとすると、とハンデキャップ証明書を忘れてきたのに気がついた。念のため家に電話すると、ちゃんとあった。もう戻れない。家内にセントアンドリュースのホテルの住所を伝え、とにかく急いで送ってもらうようにした。
やがて離陸。
飛行機はシベリアを越え、モスクワを過ぎ、スカンジナビア上空にさしかかった頃、思いついて機内からクレジットカードでホテルへ電話してみた。うまくつながらないのでスチュワーデスを呼んで使い方をたずねてみると、「実は私もかけたことがないのすよ。」と言いながらも一生懸命につなげてくれた。これからホテルの人とやりとり。
「証明書を家に忘れたけどプレイできるか?」「出来るけどFAXでコピーを送ってくれ。」「それはもう駄目だ。証明書は今頃飛行機に乗って飛んでいる。ワイフがそちらに送ったから。」「それならプレイする前に証明書が着くのを祈ろう。ところでいつプレイしたいのだ?」14日の夕方エジンバラ空港経由でそちらに着く。15日でもいつでもいいよ。日曜日でもいい。」「日曜は駄目だ。コースが市民に開放されるから誰もプレイ出来ない。ところでどのコースでプレイしたいのか?」「もちろんそれはオールドコースに決まっているよ。」「何とかトライしてみる。」
どのくらいの時間を話したのかわからないが、かなり長かったような気がする。一度は飛行機の中から、空の上から電話を掛けてみたかった。
(後日、帰国後にクレジットカードの請求書が来て、家内に「1万いくらよ」と言われてびっくり。)
                          
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7月12日。
成田からオランダのスキポール空港に到着。Kさんの荷物と私のスーツケースはがすぐ出てきたのに、私のゴルフバッグだけがいくらたっても出てこない。しびれを切らしてクレイムセンターに行くと別の日本人夫婦が、怖い顔をして荷物を待っている。これからレンタカーでオランダを周り、スイスに行くのだと言う。私はそれほど急がない、「ゴルフバッグがまだ出てこないが、オランダではゴルフをしないから、このままここで出国まで預かっておいて。」と言ったら、「Good Idea., but No.」と言われた。
かなり時間が経ってから若いご夫婦の荷物と私のバッグが出てきた。中身を確認もせずバッグを受け取りバスを待った。とても寒い。30何度の日本から最高気温18度のオランダでは寒すぎる。
                          
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  7月15日
 オランダでの日程を終え、ホテルからバスでスキポール空港に向かう。
何気なくゴルフバッグの頭部のファスナーを下ろすと!!!
黒く重たいものがバスの床に落ちた。大きな音がした。何人かの人が驚いて見る。
何と、ドライバーのヘッドが毛糸のカバーに包まれたまま転がっていた。
思わず「アッ!!!」と大きな声をあげたので皆びっくりしたことだろう。
 
 ドライバーのヘッドが頭から25cmほどシャフトとともに、ヘッドカバーがついたままバスの床に転がっていた。
びっくりしたりりあきれたり。心の中は複雑。でもこの現実は受け入れるしかない。
そして、やるべき事は何か、やれることは何かを全部思い浮かべて、やるべき順番に並べてそれぞれ選択肢をまた考える。
保険は効くだろうか、KLMに聞いてみよう、もし駄目ならホールインワン保険も入っているし。
ところで、当面ドライバーはどうしよう。スコットランドでプレーするのにドライバーは必要だし、思い切って新品を買うか。でも買った後で保険で修理が出来て2本ドライバーがあっても、かえってどちらを使うかその都度迷ってしまってろくな結果にはなりそうもないのは、クラブを換えた時過去何度も経験済みだし。
プレーするごとにドライバーだけ借りたらどうだろう。何回現地でプレーするだろうか。セントアンドリュースのジュビリーコース、同じくオールドコース、そしてマセバラゴルフコースのモンクトンホール。都合3回はプレーする。借り賃によっては買った方が得かもしれない。幸い同好のKさんが貸しクラブを使う予定なので一緒に聞いてみよう。

 スキポール空港でKLMオフィスに行ったら、保険のことは成田のオフィスで聞いてくれということだった。
空港について荷物を預けると名前を呼ばれてゴルフバッグは別の所で預かると言われ、何かサインをさせられた。保険適用除外の書類らしい。もうすでに壊れているし拒否したら積んでくれないだろうから仕方なくサインした。

 エジンバラ空港に着いてレンタカーの手続きを終え、車でセントアンドリュースに向かう。走っている途中でクラブを明日のプレー前に修理してもらうという方法を思いついた。
「1時間半で行くよ。セントアンドリュースと書いてあるサインポールに随って行けば大丈夫。」というレンタカーオフィスの人の言葉を信じて運転したが結果的にはインターを間違えてとんでもなく遠回りをしてしまった。
それでもこちらの夏は10時頃まで明るく、7時頃にはテレビで見たゴルフコースホテル群が見えてきた。
まずホテルを探しチェックイン。
名前を言うと、「おー。ミスター大澤。あなたはとてもラッキー。オールドコースの予約は取れた。ハンデキャップの証明書も届いた。あなたの奥さんはとても賢いね。とてもあなたを愛していますよ。」。こちらも調子に乗って「ラブレターも一緒に入っていなかった?」と聞くと、「それはわかりません。」荷物を置いてからコースを下見。海岸線と海とゴルフコースとホテル群に夕日があたってとても美しい。自然に思いっきり深呼吸をしてしまう。
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7月16日
朝一で郵便局に行きKさんがユーロをポンドを換える。郵便局は両替手数料を取らないらしい。
ゴルフショップに行きKさんの貸しクラブを探す。値段は忘れたがやや高いかなという気がした。私のドライバーは1時のプレーまでに修理可能か聞くと OK。シャフトが修理代込みで1万5千円というのでもっと安いのはないかと聞くと、9千円のがあった。
どうせ中古クラブ屋で2万円で買ったものだし、おまけに練習場で打っている時にヘッドのチタンフェースに亀裂が入ってブリジストンに抗議して無料で修理してもらい、そこだけ新品になったものなので、今回シャフトまで新品になったと思えば悪くない。これで保険でもおりれば最高。災い転じて大福となるか。

午後からジュビリーコースでのプレーなので、午前中は市内観光。
12時少し前にゴルフショップに行き、ドライバーを受け取る。何となく良さそうな予感。手にしっくり来る。
そしていよいよ1時半頃にスタート。スターターからスコア表とコースガイドを受け取る。このコースガイドが良く出来ていて、コレが無ければ初めて回る人はどこへ打っていけばよいのかわからない。何せ54ホールの河川コースのようなのだから。
荒川あたりの河川コースと違うのはラフの深さとフェアウェイのうねり、そしてフェアウェイの真ん中にさえ隠れている落とし穴のようなバンカー。まさにスコアの足を突然引きずりおろす落とし穴。

 さあ、1番ホールスタート。英語的にはティーオフ。1打目フェアウェイまずまず。2打目惜しくもショート。3打目アプローチ約1mにオン。入れてパー。素晴らしいスタート。
 2番ホール、ボギー。3番ボギー、と続いて、「これなら楽に50は切れる。」と思ったらラフにつかまりトリプル。ショートホールで蛸壺バンカーにつかまり8。結局自分の歳くらい叩いてしまった。     
  プレー後、マセバラゴルフコースへ向かう。ここからは「ピーターへの追悼(追悼ゴルフ、追悼演奏)」の15日につながる。

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7月18日(日)
ピーターへの追悼(追悼ゴルフ、追悼演奏)」の18日の後、大学同窓会の洋画クラブのKさんとそのゴルフ場のお友達Gさんを迎えにエディンバラ空港に向かう。
ほぼ定刻に出てきて、「やあやあ。」とそれぞれを紹介。Kさんは歩くのがとても速い。
レンタカーの手続きをして出発。高速道路なので規定どおり時速70マイルで走っていたら、速すぎるとクレームが付いた。そうはいってもこれ以下で走るわけには・・・・。
案の定、先導役の私達が間違えてしまったが、14日の時ほどひどい間違いではなかった。

 セントアンドリュースに着いて、荷物を置いてから市内に食事に出たが、お勧めのコース内のレストランは営業が終わっており、市内中心部へ向かう。ここも何軒か断られ、インド人経営のレストランでやっと食事。話が弾むが、後からついた二人は成田―オランダ、スキポール―エディンバラ、と長旅のため眠そうで、早々に切り上げてホテルに向かう。
             
                           続く

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