Subject:奈良 (慣らし旅行1)
Date: 2001.11.30− 12.1

■2001/11/30 (金) 薬師寺の壁画
 子供達も少しずつ成長し、これから夫婦二人の時間が増えるのは間違いない。
定年後を第二の人生と呼ぶこともあるが、第二の青春だと思っている。
これは元の出雲市長、現民主党副代表の岩國哲人氏の講演で聞いた言葉で以来気に入って使っている。第一の青春はお金も時間も家もない。第二の青春はお金はそこそこ、時間はたっぷり、家は既にある。あるある尽くし、気をつけるのは健康のみ。
ちなみに氏のURLはhttp://www.networking.co.jp/iwakuni/
 急に二人の時間が増えても戸惑うことだろうと思って企画したのがこの旅行。
これからの生活の慣らし運転ならぬ慣らし旅行。と言うわけで「奈良市」へ旅立った。

 5時起床。長女の運転で大口駅へ、そこから横浜線で新横浜。新横浜発7時9分。
 近鉄奈良駅からJR奈良駅はちょっと離れている。タクシーに乗る距離でもないので二人で歩く。もともと二人とも歩くのは嫌いではない。ただ、今回は乗換え時間が限られているので急ぎ足。何とか間に合って、JR法隆寺駅へ。駅からまた徒歩で20分ほど。
南大門をくぐると、「おお」この景色は後藤純男の世界。一度見た絵は頭のどこかに格納されているのか、今デジャーブーのように蘇った。
同時に、時間があっという間に逆回りして、1400年前にもどったかのよう。
夢殿、五重塔をゆっくり回る。人が少ない。
5分でもいからスケッチをしたいところばかりだが、二人というのはやっかいだ。
柿の葉寿司とうどんを食べて、バス停へ行くとまだ時間があるのでサンポーニャを吹く。バスで筒井へ出て、近鉄で西の京駅へ。バスは後乗り、整理券方式。横浜とは違うので戸惑ってしまう。
駅到着間際に電車から薬師寺が見えた。駅の真前に受付があり、本堂を見てから今回の旅行の第一の目的である平山郁夫さんが描いた壁画を見る。これが40年をかけて描いた絵か。見終わったあとは目的を果たしたような満足感と虚脱感。
隣の売店で本を買う。
 次は唐招提寺。この道が狭い。狭い上に車、それも観光バスやダンプが通る。
唐招提寺からは次の尼ヶ辻駅まで歩く。これも狭い。でも畑の中や畦道のような所なのでのんびりだ。途中、垂仁天皇の古墳の前を通り駅に着く。西大寺駅を経由して近鉄なら駅からホテルに入る。
少し休んで夕食の場所を探しがてら市内を歩く。猿沢の池、興福寺辺りを散策し、
夕食。めずらしく日本酒を飲んだが、とても口当たりが良く、歩き疲れたせいもあり、すぐに酔い心地。ぶらぶらと道を下ってホテルへ帰り、テレビを見ているとNHK大阪放送局で「しまなみ街道・・・」平山郁夫展を案内していた。
翌日の行動を決めていなかったので、「天理ならここからすぐだから見に行こうか?」ということになり、話がまとまった。先ほどの壁画の余韻が残っていたのかもしれない。これも不思議な縁で。
■2001/12/01 (土) 天理まで平山郁夫展を見に

昨晩は、薬師寺で買った平山さんの本を読みながら、疲れて早くからぐっすり寝てしまったので今朝はゆっくり、といっても6時に目が覚めた。
 興福寺、東大寺、春日大社を回って、奈良国立博物館を見た。
途中鹿がたくさんいて、会社のお土産に鹿煎餅を買おうと思ったが、お店の前に何等も鹿が待ち構えている。客が買うのを待っているようだ。発情期なので近寄らないことにする。
京も歩いたので足はかなりバテバテ。国立博物館をパスしたい気持ちだったが家内に誘われ中に入った。入っただけのもの以上のことはあった。
仏像を見ているうちに疑問が湧いてきた。
これらの仏像は造形的に素晴らしいものであることは間違いないが、作者は物・カタチの美しさを伝えようとして作ったのか、仏教思想という思想を伝えようとして作ったのだろうか。カタチで、モノで思想を伝えることは出来るのだろうか。経典は思想を伝えるだろうが仏像というモノは思想を伝えるか?
そんなことを考えながら奈良国立博物館を見ていたら思いの以上に時間がかかった。
奈良国立博物館前からバスに乗りJR奈良駅に向かう。目的地は天理市分化センター、平山郁夫さんの展覧会。
 いつもながらの素描が55点ほど。日本画も良いが素描が好きだ。
見終わって、となりの市役所から天理教本部と思われる大きな建物の前を通って駅へ向かうことにする。
大きな建物の前に来たが総本山らしき表示はない。高知詰所とか郡山詰所とか書いてあるだけ。どうも信者の定宿のようだ。そう思って町全体を見るとそのような建物がいくつも。
 再び奈良に戻って、近鉄特急に乗り、京都経由新幹線。
家内は新横浜で降り、私は東京から西日暮里、千駄木へ向かい、望年会の打合せ。
家に帰ったら23時半頃であった。
 


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