活動その12--- 2003.2.2 その1 (鶴見図書館前&寺尾稲荷道道標)

さてさてさて。この日、自転車を駆って飛び出した僕の心持ちはとても気楽だったのです。旧東海道が家の近くを通っていて、一里塚があることは自分でも知っていた。

そして京急の八丁畷の駅近くに芭蕉の句碑と慰霊碑があることを母親から当日聞いて知っていたくらいのものでした。

しかし、とんでもない散歩の第一歩を踏み出していたわけです。
今日ほど、視覚とは自律的な器官だったことを自覚した日は生まれてからなかったかもしれない、というくらいなのです。何回も何回も自転車で通っていたはずなのに、「えっ!こんなのあったんだぁーー」という経験何回もこの日はいたしました。

まずは家から自転車で3分ほどの鶴見図書館前を通りかかるところから始めましょう。




何回も通ったはずのこの道。
今日初めてこの案内板があることを知りました。これは鶴見図書館入り口の真ん前です。写真ではよく見えませんが、当時の絵地図「東海道分間延図」が印刷されています。この看板の真ん前を通っている旧東海道、その目の前にはもう海辺だったことがわかります。

そして現在は海などはここからは見渡す事なんて全くできません。
ずいぶん、海を埋め立てたのだなあ。



そんでさっきの旧東海道の案内板から15m程の場所にある、「寺尾稲荷道」の道標。これはレプリカで、当時からの本物は、ここから自転車で2分くらいの場所にある、鶴見神社に保管されているそうです。

この道標は、案内板によると

「江戸時代の鶴見区域にあった道で代表的なものに小杉道と寺尾道がある。 小杉道は末吉橋を渡り川崎を経て江戸へ通じていたとされ、寺尾道は諏訪坂を通り西へ向かい、菊名に通じていたとされている。 両道と東海道との分岐点であるこの地には宝永二年(1705)寺尾稲荷社(現・馬場稲荷社)への道標が建てられ、東海道分間延絵図にもその様子が描かれている」

とのこと。おお、すごいことがたくさん書かれている!
まず、諏訪坂とは活動その1で報告した稲荷がある場所のことです。同時代に諏訪坂の稲荷もあったのかはわからないけれど、寺尾稲荷道は目的地の寺尾稲荷だけでなく、もしかしたら中間地点にも稲荷を結んでいたのかもしれない。

そして現在もこの案内板の地図によると、寺尾稲荷道を頼りに辿ると、なんと諏訪坂の稲荷と、寺尾稲荷社(現馬場稲荷社)をつなぐ道を歩くことができる。稲荷探偵のためにあるような道、稲荷散歩コースではないでしょうか、、今度あるいてみよう。

そしてなんだか思うのは、いまはたくさんの道があるけれど、昔からあった道を辿ることで古くからある稲荷さまたちを見つけられるかもしれない、ということ。

改めて思い返してみると、ここに書いてある小杉道、これはかなり興味深い。活動の7・8・9でちょっと目を付けていて、探し当てることができなかった「椎木稲荷神社」もその方角にあるのです。

そして菊名に通じていたという寺尾道!
これはまだ飛ばしてしまって活動報告していない「活動報告その11」、はなんと菊名に何年か前まであったはずの菊名稲荷を見に行った事を報告する予定だったのです。うう。稲荷がなんだかつながっているのを感じます。やはり古くからのものは、いまはたくさんある道によってつながりがわかりにくくなっているけれど、当時をイメージしたり、当時のものをつなげていくと、自然につながるのかもしれない。うーん。それにしても、当時の道が稲荷をつないでいるとは、あまり思い浮かばなかったなあ。

つーことは、今まで、僕が近所密着型報告をしていたものが、なんだかいろいろと古い道によって収斂 されているように感じてきたのです。うーん、なんだかすごいぞっ。

うーん。今日はしょっぱなからいいネタもらいました。わくわく。

さ、そして自転車で旧東海道をたどり、鶴見橋を渡ります。

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