活動その12--- 2003.2.2 その2 (下町稲荷)


上の写真が鶴見川橋(旧・鶴見橋)です。
このあたり、明治時代以前?は風光明媚な場所だったようで、紀行文、歌、俳句、絵などの文献にも登場するそう。「右のかなた、はるかに田の面 を打ちこえて山々つられり。 左は青海原にて、いと景よろし……。」(「甲申旅日記」下田奉行・小笠原 長保)のように書かれたり、初代広重の絵にも描かれているようです。また、このあたりは梨の名産地だったとか、鶴見名物「よねまんじゅう」などもこの界隈では売られていたそうです。「よねまんじゅう」は鶴見駅の方にまだ売っている店があります。

現在のこの場所の風景からはそのような風景は想像しがたいけれど、なかなか賑わっていたようです。関所の跡なんかもあります。横浜開港直後、異人排斥などの運動が興り、そういう人を江戸方面 などから通さないように、何十箇所も関所があったそうで、その一つの跡地などもこの橋のたもとにあります。


 

そして橋をあとにして、すでに何回も自動車や自転車に乗って通っているこの道に見逃している稲荷など無いと思っているので、旧東海道よりも一本入った裏道を走っていると、小さな平屋建ての自治会館がありました。

その掲示板に、「初午・2月9日・下町稲荷」と書いてあって、ビリビリっと戦慄が走りました。「はっ!稲荷がこの近くにあるんだ!」

ということで、すぐ近くにいたおばあさんに「すいません、この辺にお稲荷さん、ありますか?」と尋ねました。今考えるとちょっと不思議な質問かな。おばあさんは面 食らった・少し困った様子で、「ああ、ああ、あっちの方」とばかり言っていて要領を得ないので、「そうですか、あっちですね」といって立ち去ろうとしたら、小さい自転車にまたがった、小学2年生くらいの少年が「知ってるよ」とちょっとだけ緊張したような口調で話しかけてくれた。

「ほんと?」「うん。すぐそこ。案内してあげるよ」「ほんと!?ありがとー!」

ということで少年の自転車の後ろを、僕も自転車でついていくと、すぐに旧東海道へ出る。そして、鶴見川橋から1分ほどの旧東海道沿いの場所に、稲荷はあった。「ここにもあるよ」と去りかけた少年が言う。見ると、それは道祖神?だった。「ありがとーねー」「うん。」期せずに親切に出会って気分がよくなった。さて、稲荷だ。

 



↑前を通るのは、何回も通っていたはずの、旧・東海道

どうやら、「下町稲荷」は一瞬、この近辺の町並みから、「したまちいなり」と読んでいたけれど、「しもちょういなり」だと思った。それにしても、あったんだねえ、稲荷。全然気がつかなかった。


鳥居の額には「下町稲荷」と書いてありました。
小さいですね。けれど、なんだか驚いたというか、感心してしまいました。こんなとこにあったのかー。という感じで。社と較べて、鳥居はしっかりとした鳥居です。明神鳥居。

 


↑屋根は瓦葺き。近代的というか、なんだか屋根は薄いかんじ


↑扉に少し注目

とりたてて目を引くものはないんだけれど、扉がなにげに珍しい造りになっている。板戸がふたつ、ついています。

おそらく開閉部の縦横比率の関係で、幅が広いために(高さが低い?)、扉を二枚にした、という感じでしょうか。これで一枚扉だったらすぐに歪みで扉が閉まらなくなりそうだもんね。と、ゆっくり手を合わせながら、下町稲荷をあとにして、旧東海道を八丁畷(はっちょうなわて)方面 へ。。

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