「文化遺産回収員」
「私たちは未来から来た文化遺産回収員です」
その二人組は言った。正確には一人と一体。ピカピカ光る銀色の服に身を包んだ二十歳くらいの女の子と黄色いネコ形ロボットだ。
不躾に懐中電灯の明かりを向けた僕に礼儀正しく自己紹介したのは女の子の方だ。
「ここから出て行きなさい」
僕は言った。相手が何を言おうが何をしようが僕には関係ない。僕がいる時間帯にここに居ないでくれればそれで良い。
僕は某出版社ビルで警備員のアルバイトをさせて貰っている。今は勤務時間帯なのだ。
無関係な人間がここに居てはマズイ。
「来週ここに、将来大変な意味を持つ作品が持ち込まれます。その作品を回収するために来ました」
キ印だ。何処から入り込んだのやら。
僕はため息をついて制服のベルトに付いたケースに手を伸ばした。応援を呼ぶためだった。
「やめて!撃たないで!!」
その子は必死な表情で僕に懇願した。
驚いたのは僕の方だ。トランシーバーを口に当てて戸惑っていると事情を察したのか彼女は言った。
「ご、ごめなさい。銃を抜こうとしたのかと思って」
もちろん現在の日本では銃の携帯は禁止されている。一部の仕事に就いている人を除いて。
「僕は警備員だ。拳銃は持っていない」
「えっ!警備員は銃を持っていないんですか?」
「当たり前じゃない」
「はあー、すみません。あたし未来から来たもので」
彼女はひどく驚いたようだ。
「ニャースケ!」
ネコ形ロボットに言うとロボットは二三度頷いて言った。
「キロクシマシタ」
僕らの間に沈黙が流れた。こういう状況は警備マニュアルには無い。どうするべきか見当もつかなかった。
「で、このビルに何の用だっけ?」
この時点で彼女の言うことを半分方信じていたのだ。少なくともロボットは本物だった。
「ああ、はい、すみません。この出版社に来週持ち込まれる筈の将来世界遺産として大変な価値を持つ作品を回収するために来ました。その作品が大災害で失われてしまう前に。」
勢い良く背筋を伸ばして彼女は言った。
「君の話が本当だとして」
「は、はい。ホントです」
「そういう話は編集者として貰わないとね」
「その方は何処に居ますか?」
「昼のうちならこのビルにいるけど今はいない。」
「それなら明日のこの時刻にその方をここに呼んでもらえませんか。出現出来る時刻が限られてしまう上に一時間しか留まる事が出来ないのです」
「分かった。伝えておくよ」
「お願いします」
それだけ言うと二人は僕に背を向けて通路の闇の中に溶け込んで行った。足音が唐突に止んだ。
腕時計は朝の五時を示していた。
「本当なのかい?」
高橋は言った。目が笑っている。明らかに馬鹿にしている目だ。
「小説家のマネ事でもしようと言うのじゃ無く?」
「まあ、高橋さんが信じるか信じないかは自由ですけどね。僕は見ましたよ」
本当にどっちでも良さそうに見えるように僕は高橋に言った。
時間は巡って再び僕の勤務時間になっていた。
「君の話が本当だとしてウチから歴史に残るような価値のある作品が生まれると思うかい」
僕が警備しているこの出版社は純文学はやっていない。雑誌がメインでその関連書籍とほかに娯楽小説を刊行している。
「どうですかね」
「そうだろう?」
「でも、もしかすると、この出版社にとってすごく重要なことかもしれないですよ」
「たとえそうでも僕には関係ないよ。君もくだらないことを言って無いで仕事に戻りなさいよ。酔狂で高い警備費払ってるんじゃないんだから」
取り付く島も無かった。だが、自分の目で見たものを否定されてこのまま引き下がる気は無かった。
「残念ですね。そういう価値のある本の担当ならさぞかし良い思いが出来るんでしょうけどね。しかも、文化遺産というほどの作品を後世に残すきっかけになるんだから、それなりの見返りは、ねぇ」
編集室を出ようとした僕の背中を高橋の声が追いかけて来た。
約束の時間に約束の場所で待っていると、廊下の暗がりから不規則な足音が響いて来た。二人分の足音が入り交じっているらしい。
暗闇に目をこらすと浮かび上がるように例の二人組が現れた。
「本当だったんだ」
高橋は呆気に取られて呟いた。
やっぱり信じていなかったのだ。付いてついて来たのは打算からに違いない。
「いらっしゃい。ようこそ二十世紀へ」
僕は文化遺産回収員の女の子に、古臭いSF映画みたいなセリフを言った。
彼女は僕に微笑んでから高橋に向き直った。
「編集の方ですね。来てくださってありがとうございます」
高橋にしたら妙な気分だろう。自分の家に来た客にようこそと言われたようなものだ。それでも気を取り直すと高橋はさっそく本題に入った。
「来週うちに大変な価値のある作品が持ち込まれるということだけど」
「その通りです」
「その作品を買いたいということ?」
「すぐにではありませんが、そちらの作業の過程で必要なくなった段階で譲っていただきたいのです。原稿は紛失したという形にして戴いて」
「なぜ?」
「あなた方から見て将来、大災害が起こって作品の原稿が失われてしまいます。私の使命はそれを回収、保管し、未来において必要なときに再び公開することなのです。ですから、あなた方にご協力戴きたいのです」
「ふーん」
高橋は黙って天井を見上げた。少し考えているようだった。
僕は気になることがあって口を挟んだ。
「大災害って言うのはいつ何が起こるの?」
「それをあなた方にお教えすることは出来ないのです」
まあ当然と言えば当然か。
「シンパイアリマセン、マダトウブンサキノハナシデス」
突然猫形ロボットが口を利いた。そしてそれきり黙った。
「そうか……」
「わかった」
これも突然、高橋が言った。
「あんたの言う通りにしよう」
「ほんとうですか?ありがとうございます」
「ただし、僕の銀行口座に三千万振り込んでほしい。そうでなければこの話はナシだ」
僕は呆気に取られた。ほかの二人も同様だった。
三千万!!
どう考えても法外も法外。お話しにならない。
「高橋さん?」
「君は黙っていてくれ。もともと部外者なんだから」
「あんたね」
僕は高橋の胸倉を掴んだ。高橋に話を持って行ったことを後悔していた。
「あんたに話したのは間違いだった!他の人のところに持って行く!!」
言ったとたん、僕は床に叩きつけられていた。高橋が掴み掛かって来る。
「そんなことはさせない!おまえなんかに邪魔はさせないぞ!!」
高橋の手が僕の首に掛かったその時、文化遺産回収員の女の子が叫んだ。
「わかりました!あなたの口座に三千万振り込みます!!やめてください」
僕は彼女を見上げた。彼女は、僕に頷て見せた。
高橋は、立ち上がって僕を見下ろしている。
「この仕事、続けられると思うなよ」
僕に言い捨てると彼女の方に向き直る。
「それで、その作家の名前は分かってるの?」
さっきとは打って変わって、笑顔を浮かべている。
僕は立ち上がって埃を払った。すっかり打ちのめされていた。
高橋を連れて来たのも、奴の横暴を止めることが出来なかったのも、全て僕のだらしなさのせいだ。
情けない気持ちで居たたまれなくなり、その場を立ち去ろうとした、のだが……。
「はい。原口貴志という方です」
僕は振り返った。高橋が青い顔をして僕を見ている。僕は微笑んで見せた。
「どうかなさいましたか?」
彼女が気遣わしげに聞いた。
僕は、この三年間密かに書き溜めていた小説を、どの編集者に見せるか考えていた。
(1999年5月脱稿)