「天上の公務員」


 一般的には「死神」として認知されている天上の公務員は上司に新たな業務内容を伝えられた。目的は「人間が絶望する時に発するエネルギーの採集」であり、方法として「絶望のエネルギーと交換にその人の願いをひとつだけ叶える」というものであった。

 彼は大きな絶望の力を感じてある事故現場に降り立った。
 某国道を走っていた大型トラックとトレーラーが正面衝突して大惨事を引き起こしていた。
 事故の発生からまだそれほど時間が経っていないらしく現場は大変な騒ぎである。歩道には事故に巻き込まれたと思われる女性の体が横たえられており、その前に青年が立ち尽くしている。彼の感じたエネルギーはその青年から発していた。
 彼は青年に話しかけた。
「お取り込み中申し訳ありませんが少々お時間戴いてよろしいでしょうか」
 青年が返事をする暇も与えず彼は素早く名刺を差し出した。
「私こう言う者です」
 彼の差し出した名刺を見ると青年は口に出して読み上げた。
「天上の公務員?」
「普通は死神と呼ばれますが」
「彼女を連れに来たのか?」
 青年は彼を睨みつけた。今にも飛びかかりそうな勢いだ。
「いいえ、用があるのはあなたのほうにです」
「何?だが俺はピンピンしているぞ」
「今回は魂を取りに来たのではありません。あなたは今深く絶望されていますね?」
「ああ……」
 青年は悲しげに道端に横たわる彼女を見下ろした。
「私共はただ今絶望を回収して廻っておりまして、もしよろしければあなたが今感じている絶望と交換に一つだけ願いを叶えさせて頂きたいのですが」
 青年は意味を掴みかねていたがやがて得心したらしく口を開いた。
「どんな願いでもいいのか?」
「もちろんです」
 聞くまでも無く彼は青年の願いを理解していた。本来は禁止事項だったが今回の業務に際しては特別に許可されているのだ。
 今や青年の表情は希望に光り輝いていた。さっきまでの悲しみが嘘のように消え去り喜びに満ちあふれている。青年の笑顔に釣られて彼も微笑んだ。
 人助けというのは良いものだ。自分の仕事によって人の命が救われ、一人の青年の心が救われ、それによって自分の心まで温かくなる。ふだんの仕事とは正反対な行いなだけに尚更だ。今や、彼の心は春の日の木漏れ日のように穏やかだった。そう、青年の心からの笑顔によって。
「あ!!」
 彼はすっとんきょうな声を上げた。
 青年の肩を掴みくっつきそうなほど近づいて覗き込む。
「なにをする!!」
青年に押し戻されて彼はようやく手を放した。
「……ない」
 彼は呟くように言った。
 青年は怪訝そうに彼を伺っている。
 青年の心のどこにも絶望は無くなっていた。きれいさっぱり無い。ということは、取引は成り立たず青年の願いがかなうことは無い。それを告げれば、青年の心は再び暗く曇るだろうが、まずさっきほどのエネルギーを持つことは無いだろう。どこかに希望の光が差してしまう。それでは、業務マニュアルに書いてある規定量には足りない。
「どうしたんだ?早く俺の願いを聞いてくれ」
 青年に急かされ彼は何と答えて良いか答えに詰まってしまった。
 明かにマニュアルのミスだ。そこにはこう書いてある。「取引は相手に明確に説明し、必ず了承を得てから行うこと」と。必ずのところに赤線が引いてあった。
 彼の組織ではマニュアルは絶対だ。人の生き死にに関わるという職業的な性質のほかに組織のトップの体面を保つという意味においても。
 彼のような末端の者は例えそれが間違ったマニュアルでも正式に改定されるまでは順守しなければならない。
 彼は空を見上げた。その遥か彼方では彼の所属する組織のトップが地上を見下ろしているはずだから。

 まさに、神に祈る気持ちであった。


 (1999年7月脱稿)




   

    





                          







SFジュブナイル