SFジュブナイル

「天上の公務員〜跳躍の結末〜」




 第一章




 少しだけ開けた窓から見える家には、なんの変化もなかった。
 取り立ててなんと言うことも無い二階建ての木造家屋。建物の事には詳しく無いから、違和感なく町並みに溶け込んで見えて、「普通の一軒家」としか説明のしようがない。
 それでも、もう少し詳しく説明するなら、モルタルの壁は白で、茶色い瓦屋根が乗っている。古びてはいるが、子供の頃から見慣れた良くある形の家だった。
 道路側に玄関とカーポートが面していて、こちらからは見えないが、反対側には小さな庭がある。もっとも裏に立っている住宅に遮られて日当たりはよくない。
 11月も半ばを過ぎた、明け前の住宅街は冷え込んでいて、窓を開けていると寒くて仕方がない。だが、そんなことで監視対象から目を離すわけにはいかなかった。
 仮眠を取るための予備要員がたまに来るだけの状況で、もう8日間監視し続けている。その間、人の出入りどころか、明かりの灯った事すら一度もない。外から普通に見る限り、完全に空き家だった。それでも監視が解かれないと言うことは、「組織」は監視対象が絶対にここから動いていないことを確信している、と言うことだ。だったら、オレには監視を続けるしか選択肢が無い。
 東の空にうっすらと朱が差し始めた頃、8日間全く動きのなかった家の陰から、人影が姿を現した。怯えたような表情を浮かべて、落ち着き無く周囲を窺っている。
 オペラグラスで覗くと、二十代前半くらいの、小太りで丸顔の男だと分かった。
 履き込んだスニーカーと、色の褪せたジーンズ、グレーのトレーナーの上に軍用色のフライトジャケットを羽織り、ひどくくたびれた様子をしている。送られて来たデータで、何度も見た顔だった。
 オレは首から下げた端末を開き、短いメッセージを打って、すぐに送信する。
 視線を戻すと、さっきまで忙しなく巡らせていた視線を、男がオレに向けていた。
 身を隠す暇もなく、男と目が合う。
 男の目が驚きに見開かれ、一瞬にして険しい物に変わっていた。突き刺すように睨み付けてくる。怯えは消え失せ、強烈な憎しみが宿っていた。
 「ヤバイ!」
 心の中で舌打ちするが、もう遅い。
 男がこちらを睨んだまま道路に飛び出した。今にも、踏み込んで来そうな勢いだった。
 オレの体が、自然と戦闘モードに入る。次に取るべき行動が、瞬時に頭の中を駆けめぐって行く。監視中に対象に発見されるなんて最低のミスだ。対象は破壊系能力者だと聞いている。まともにぶつかり合えば、オレに勝ち目はない。
 だが、予想は外れた。
 男は、オレから視線を外すと、きびすを返して大通り方面に向かって駆け出した。分かっているのだ。ここでモタモタしていたら、追っ手が増えて逃げ道が無くなるだけだと言うことを。
 オレは胸を撫で下ろした。緊張が解けてへたり込みそうになる。
 男の姿が見えなくなると、道の反対側に白い営業用バンが現れた。
 オレがいる部屋の前に近づくと、止まりそうなくらい減速する。
 サイドウインドゥが降りて、任務で良く一緒になる組織の構成員二人が乗っているのが見えた。
 運転席にいるのは、二十歳過ぎの大男で、短めに刈った金髪を炎の様に逆立てている。人よりかなり大きい体が、座席の中で窮屈そうだ。
 助手席に収まっている方は、小学生くらいに見える少女で、腰まで届きそうなくらいの長い長い黒髪を、まっすぐに下ろしている。
 こちらは運転席の男とは対照的に、「座っている」と言うより「埋もれている」と言った方が近いくらいに小さい。幼く見えるが、見かけほどではなくて、確か15歳だったはずだ。
 この車を後ろから見たら、きっと一人しか乗ってないように見えるだろうなと思うと、思わず頬が緩んだ。
 男が「replica」、少女の方は「broad cast」
 「replica」は、組織が捕獲したある存在の能力をコピーした強化人間のプロトタイプで、オレや「broad cast」とは種類が違うが、人間よりも遙かに優れた身体能力を与えられていて、戦闘能力が問われる任務では非常に頼りになる。
 「broad cast」は未来予測の能力を持っていて、未来に起こるはずの出来事の、可能性のいくつかを、その目で見ることが出来る。
 「broad cast」とは「予測」の意味で、直訳だと「前もって投げる」となるらしい。
 未来に能力の釣り糸を投げ入れ、起こりうる出来事の映像を引き寄せる。「予知」や「予言」ではないのは、「未来は不確定である」という、組織もしくは名付けた者の考えが入っているからだろう。
 ずいぶん先の事まで視えるのか「わたしの運命の人」が口癖で、そいつが現れるのを心待ちにしているようだった。
 オレは、それぞれ「レプ」「キャスト」と呼んでいる。
 どちらもコードネームしか知らない。名前を知る必要がない。
 知ったところで、それは組織が用意した、偽の戸籍に記載されたものでしかないはずだから。
 助手席の窓からキャストが、神妙な面もちで端末をかざした。知らなければ、折り畳み式の携帯電話にしか見えないだろう。端末から伸びる青い帯状のストラップが、キャストの肩の髪を揺らした。
 「引き継いだ」の合図だった。
 オレが頷くとバンは徐々にスピードを上げて、通りの向こうへ遠ざかって行った。
 それで、オレの仕事は終わった。
 拍子抜けだが、オレが所属させられている「組織」では良くあることだった。
 一人一人に任務の全容は知らされない。
 知らされるのは、いつどこで何をするのか、それだけだ。
 言われた事を言われた通りに完遂する。余計な事は知らなくていい。望まれているのはそういうことだった。特別な場合を除いて。
 だから、逃げて行った男が何者で、何をして組織に追われることになったのか、オレはある程度の知識しかないし、それを元に推測をすることしか出来ない。
 この後、男がどうなるのかだいたい察しは付くが、それをするのはまた別の人間だ。この場合はレプとキャストだろう。
 窓を閉めて、狭い2Kの部屋を見回した。畳の上に散らばっている生活用品やオペラグラス以外、ほとんど荷物は無い。
 それらをデイ・バッグに詰めて、玄関の戸を開けた。今度は自分が辺りをうかがう。
 人気がないのを確認して、部屋を出た。
 
.. 古アパートの敷地を出て、監視していた家の前に差し掛かった時、ふと立ち止まった。
 これでもうここに来ることもない。
 オレの「disclose」で、男が何を考えていたのか、8日の間この家のどこに身を潜めていたのか探ってみようかと思ったが、手間が掛かりそうだからやめた。
 外から明瞭に拾えるのは、せいぜい姿を現してからの映像くらいで、疑問を解消するには家の中を探り回る必要がある。
 感傷に近いような気持ちが、少しは無くもなかった。
 明日は我が身。今日見たあの男の姿は、明日の自分の姿かもしれないからだ。
 裏切りを組織は絶対に許さない。その先にあるのは、死だけだ。
 それは構成員すべてに言える。男を追っていった二人にしても同じ事だ。
 物思いを振り払って歩き出す事にした。
 義務は果たしたのだ。いちいち構っていては、こんな仕事はしていられない。
 空は、もうだいぶ色づいて来ていて、穏やかな一日を予想させた。今日は任務開けで、何も無ければこのままゆっくり出来る。最後に予備要員が来てから、二日近く眠っていないのだ。今すぐにでも眠りたかった。
「任務終了した。このまま帰宅する」
 気持ち、端末に向けるつもりで口にした。いつも通り返事はない。
 歩きながら、道の先に視線を投げると、少し離れたところに見覚えのある人物が立っていた。黙ってオレを見ている。
 細身で割と長身。陽に当たると茶色く見える髪。優男風の風貌をしていて、金縁の眼鏡を掛け、グレーのスーツに身を包んでいる。スーツの下のワイシャツは白、ネクタイは紺。左手に黒革の鞄を提げている。
 どこにでもいそうなサラリーマン風の、20代後半の男だ。
 なるべくなら、再会したくない相手だった。
 以前、別の任務中に敵対する立場で知り合った、別の組織の人間だからだ。
 しかも、こっちに借りがある。
 オレは、手製の防音マットを取り出し、端末をきつく包んでから、男に近づいて行った。
 「さっき歩いていった方、マズイですね。能力者に恨みを持たせたまま死なせるのは危険ですよ。気をつけた方がいい」
 オレが十分近づくのを待って、男は言った。
 比べものにならないくらい巨大な組織に所属し、絶対的に優位な立場にいるのに、喋るときはいつも敬語で、とても腰が低い。拍子抜けしてしまうが、絶対に見くびってはいけない相手だった。肩書きにふさわしいだけの力を、確かに持っている。
 だが、その能力や属する組織への嫌悪や、嫉妬の入り交じった感情のせいで、男の前ではついぶっきらぼうに振る舞ってしまう。一回り程も年上の人間への口の効き方じゃないなとは、自分でも思う。
 「うちの組織じゃ何度も繰り返して来た事だろ?今更気をつけたって仕方ない。それに、そういうのはうちの上の方に言ってくれなきゃ意味がない。そうだろ、キルマ」
 オレのこういう言い方にも、顔色一つ変えずに普通に返してくる。
 「それもそうですね。でも、さっきの方は特別ですよ。本当に気をつけてください」
 非常にやりにくい相手なのだ。聞き流して、オレは話題を変えた。
 「こんな真っ昼間から生身さらしてていいのか?この世に存在しないことになってる者がさ」
 「生身で歩き回ってる分には、誰も気にとめませんよ。存在してないんだから、私が名乗っても逆に信じてくれません」
 キルマは軽く笑った。確かにその通りだった。
 オレの様に、出会う前から「いる」と感じていなければ、もしくは、組織にその存在を知らされていなければ、キルマが人間ではないとは信じられないだろう。
 「それよりさ」
 オレはさっきキルマを見つけた時から、思っていた疑問を口にした。
 「なんか用事があってきたんじゃないのか?」
 この男が、世間話をしに現れるはずがない。絶対に目的があるはずだ。
 キルマはまじまじとオレを見つめてつぶやいた。
 「・・・・・・わかります?」
 「一緒に遊ぶような間柄じゃないだろ?」
 胸の前で腕を組み、右手で顎をつかむ様な仕草で、何か考える様にオレを見つめていたが、やがて一つうなずくと言った。
 「この間の借りを返してもらおうかと思ったんですけどね、まだ時期が早いみたいなので、今日は帰りますよ」
 「はぁ?」
 思わず口にしてしまう。
 肩すかしを食らった格好だった。
 オレには構わず、きびすを返して、キルマはさっさと歩きだした。
 「おい、ちょっと待ってくれよ。一体何しに来たんだよ?」
 振り返りもせずに言う。
 「今はまだ分からなくていいです。すぐにそちらから会いたくなるはずですから」
 どんどん遠のいていく。
 「会いたくって・・・・・・もしそうなったって連絡先なんて知らないぞ?」
 キルマは立ち止まって、振り向いた。右手を挙げて、空を指さす。
 「呼べばいいんですよ。空に向かって」
 「呼べばって・・・・・・」
 オレは釣られて空を見上げた。
 早朝の澄み切った青空が広がっている。睡眠不足の目に、朝の光がまぶしかった。
視線を戻すと、キルマの姿は消えていた。
 「便利なもんだ。突然現れたり、いきなり消えたり」
 皮肉を込めて一人ごちた。
 キルマ達やその仲間から見れば、オレ達なんて泥の上を這いずり回っている蟻のようなものだろう。
 大通りに出たオレは、歩道に停めておいたオートバイのエンジンを掛けた。
 人気のない大通りに、エンジン音が響いた。
 
.. オレが住んでいるのは、組織にあてがわれた独身者向けのマンションの一室で、ユニットバス付き1LDK。良くあるタイプの部屋だ。
 この手のマンションは、隣近所の付き合いが無いから干渉されないし、誰が住んでいても怪しまれにくい。素性を知られたくない人物を住まわせるには、格好の隠れ家と言うわけだ。
 チープな玄関ドアを閉じると、安っぽい音が響く。
 ヘルメットとデイ・バッグを上がり口に放り出して、靴を脱ぎ、そのまま窓際に寄せたベッドにまっすぐに向かった。肩から倒れ込むように横になる。
 両腕を目一杯開いて伸びをして、ひとつ吐息をついた。
 組織に飼われていようが、普通に生活していようが、ベッドの上が一番安らぐのには間違いない。
 丸一日半は眠っていなかったから、体中がだるく、重く感じた。疲れ切っていたのだ。
 ひどい顔してるんだろうな、と思って枕元に置いてあるスタンドミラーを手に取ると鏡に映った顔は、思った通り疲労に沈んでいた。眠る前に栄養補給しておいた方が良さそうだった。
 ミラーの脇に置いた端末のLEDが点滅していた。メール着信を知らせているのだ。
 部屋に戻るまでの間に届いていたらしい。見るとキャストからの物だった。
 「任務完了。お疲れさま」と、素っ気なく打ち込んであった。
 本来は賑やかな性格なのに、メールだとひどくあっさりしている。若い女にしては珍しい。
 キャストは任務で関わった時は、必要もないのに、必ずこうして報告をしてくる。
 歳が近いせいもあって、構成員の中では比較的連絡を取り合っている方だろう。用事がなくてもメールをよこす事は良くある。
 報告が来たと言うことは、男の処分は終わったと言うことだ。今頃は、別の構成員が死体を回収してどこかに運んでいる所かも知れない。
 一瞬、オレに気づいた時の怒りに駆られた男の顔が浮かんだ。
 それほど詳しい事は知らされていないが、オレやキャストと違って物理的な能力、とりわけ破壊に勝る能力を持っている者は、組織の中でも優遇されている。
 あの男の事をオレは知らなかったが、それなりの立場にあったはずなのだ。そういう者に「処分命令」が出ると言うことは、逃げ出した以外に理由を考えられない。そして、逃げ出した理由はと考えれば、少し前から構成員の間で囁かれ始めた「ある噂」を鵜呑みにしたからだろうと思いつく。おかげで、逃亡を図るヤツが増えて、オレが駆り出される回数も多くなっていた。少し考えればガセだと気が付くだろうに。
 組織が好きな奴などいない。
 ほとんどの能力者は、普通と違う力を持ちながら、普通に生活していた者たちだ。組織に発見され、無理矢理取り込まれ、受けたくもない戦闘訓練や諜報訓練、特殊能力訓練を受けさせられた上で、能力に見合った任務に駆り出される。
 任務の内容は様々で、一人一人は全容を知らされないが、経験上、暗殺、強盗、拉致など、ろくでもない事ばかりだ。それが嫌なら待っているのは「死」のみ。背いたり、逃げ出したりすれば、他の能力者達に追われ処分される。取り込まれたときから分かり切った事だ。生きたかったら従うしかない。
 オレは物思いを振り払うために、ベッドから立ち上がった。熱いシャワーを浴びて、空腹を満たしたかった。疲れ切っていると考えが暗い方へ傾いてしまう。
 簡単にシャワーを浴びて疲労を流し、食事を取るために冷蔵庫を開ける。粗末な食生活を送りたくないから、食材は充実させている。単身者用の2ドア冷蔵庫から、卵と皮付きウインナーを取り出してフライパンを火にかけ、トースターに食パンをセットする。電気ポットにも、水を入れてコンセントを刺した。
 ウインナー付き目玉焼きが出来上がる頃には、トーストが焼け、お湯も沸いていた。
 インスタントだが、コーヒーを煎れて、一緒に座卓に並べた。
 食事時は必ず情報も入れることにしている。TVのスイッチを入れて、食事を始めた。
 ちょうどニュースが流れていて、キャスターの後ろに、どこかの若者向けのバーと言った風情の店舗映像が映っていた。店舗のガラスは全て割れ落ちていて、内部は焼けこげている様だった。
 パリッと音を立てて弾けるウインナーを頬張りながら聞いていると、どうやら夜中の内にどこかで爆発事故があったらしい。被害者は、店主を含めた6人。うち5人が未成年。全員丸焦げで発見されたが、外傷があるため、警察では、事件と事故の両面で調査中だと、キャスターは告げていた。
 言うべき事を言い終わったのか、一瞬の間を置くと、画面が切り替わる。映像は、流氷に覆われた海の物に変わっていた。キャスターが次のニュースを読み始める。次々変わっていくを画面を漫然と眺めながら食事を平らげていった。食べ終わるには、作る時間の半分も掛からなかった。
 空腹が満たされてしまうと、急激に眠気が襲ってきた。食器の片付けもせずに再びベッドに横になると、まぶたが重くなって来た。目を閉じると、意識が遠のいて行く。
 薄れそうになる意識の中で、メール着信の音を聞いた。脅迫観念が働いて、慌てて瞼を開ける。端末を開くと、組織からのメールが届いていた。横になったまま端末を操作して、メールを開く。
 オレ宛である証のコードと、組織の人間しか分からないはずの、意味不明の単語と記号の羅列が並んでいた。解読法は頭に入っている。一通り目を通し、内容を理解した。思いがけない事が書いてあって、すっかり目が覚めてしまった。
 良く知っている構成員が、能力の実験中に姿を消したこと、そして、その現場検証が今度の任務であることが示されていたからだった。


 (2004年12月脱稿)