貴方の仕草、言葉遣い、優しい笑み……
全てわたしが覚えてる。

たとえ貴方がこの世界にいた証明が何一つなくても、
全てわたしが覚えてる。
わたしが貴方を覚えてるから――……



あなたの証明 〜1「覚めない夢」〜




 その日は、ここ数日の快晴と打って変わって空には不穏な黒雲が立ち込めていた。
 時折りずっとずっと遠くの方でちらちらと青白い光が瞬き、しばらくしてから太鼓のような低い音が鼓膜を揺らした。
「ねえ、聞こえる? 雷よ……あんた、好きだったでしょう?」
 決して返って来るはずのない問いに、代わりに遠くの雷がかすかに答えた。
 病室の中は真っ白だった。
 真っ白な壁、真っ白な床、真っ白なベッド、真っ白な……いまだ眠り続けて目を覚まさない少年。
 まぶたは重く、固く閉じられたまま、その綺麗な瞳を最後に見たのは一体いつだったか。一体最後に何を話したのか、もう覚えてはいなかった。
「ねえ祐、あんたいつ目を覚ますの?」
 まぶたは重く、固く閉じられたまま。
 返される答えはいつまで待っても絶対に訪れやしない。ほんの小さな反応さえ見過ごさないよう、ベッドに横たわる少年の頭から手の先から布団に隠れた足を見る。でも、さっきからこの部屋で動いているのはただ一人、自分だけだ。

「ねえ祐……起きてよ、祐。いつまで寝てる気? もう……起きないつもりなの?」

 一ヶ月前、この静かな街に事件があった。
 彼女と彼女の弟が通っている高校で一人の男子学生が飛び降り自殺をしたのだ。
 どうやらその学生はクラスで苛めにあっていたようで、学校側は数日後苛めの事実を認めながらも、それが直接自殺の原因になったとは断定できないという苦しい言い訳をして世間の非難を集めた。
 だが彼女にとって今はその事件よりも、同時期に起こった弟の事故の方が差し迫った問題だった。
 男子学生が飛び降り自殺した日と同じ日に、彼女の弟は階段から落ちて意識不明の状態に陥った。彼が物凄い勢いで走っているところを目撃した生徒がいることから、どうやら急いでいて足を滑らせたのだろうという見解に落ち着いている。
 命に別状はない。外傷もそんなに酷くはない。
 だのに、意識だけがいつまでたっても戻らない。
 一ヶ月経ったというのに、彼女の弟、松岡祐は目を覚まさない。
 医者も原因がつかめない。精神的なものかも知れない、などという診断はなんの慰めにもならない。
 もしこのまま眠ったままだったら……そう考えると彼女の心臓やら胃やらはギリギリと締め付けられて何も食べられなくなる。
 もしこのまま目が覚めなかったら……考えたくもない。考えてもどうしようもない。

「祐、祐……祐、起きて。起きて。起きて。いつまで待たせるの」

 ぽたりと、涙が一滴ほおをつたって白いベッドに落ちてゆく。
 と、同時に視界一杯に閃光が走った。無音の光が、ベッドに横たわる少年の頬をさらに白く染め上げる。
 次の瞬間、耳をつんざく轟音が少女を襲った。
 内臓にまでびりびりと痺れが伝わる。雷が落ちたのだ。部屋の電気が消え、辺りは闇に包まれた。
 途端に心細くなった彼女は、手探りで弟の動かない手を握った。それだけでは足りずに強く力を込める。そして、弾かれたように顔を上げた。目が大きく見開かれる。
 強く握った彼女の手を、弱々しい力が握り返したのだ。
「――……祐、祐祐ッ!!! 祐ッ、祐!! 祐!」
 狂ったように叫んだ少女を止めるように、握り返した手に力が入る。
 ゆっくりと、重たそうに少年のまぶたが持ち上がる。もう間違いなかった。彼女の弟は、長い長い眠りから目覚めたのだ。
「…………うるさい」
「………え?」
 開口一番に放たれた一言に、少女は間の抜けた声しか返せなかった。
 松岡祐はわずかに視線を彷徨わせ、自分の手を握っている少女を見つめてもう一度言った。

「うるさいです。松岡先輩」

 少年は疲れたように呟いた。
 少女はぽかんと口を開けたまま、何も言い返せなかった。握った手から力が抜ける。

 目が覚めたとき、松岡祐の体の中にいたのは、彼女の弟ではなかった。これが、奇妙な物語の始まりだった。






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