パチン、と何かがはじける音がして、チェルシーは目を覚ました。
 霞がかった視界に飛び込んでくるのはオレンジ色に揺らめく炎。連想したのは、険しい表情を浮かべる赤髪の男。
 しかし視線をわずかに持ち上げたとこで、予想はすぐさま打ち砕かれる。
 燃え上がる焚き木をはさんで向こう側にいたのは、白い髪の男で。赤い瞳は炎をうけてなお紅く、暗闇の中できらめいている。
 それが誰のものであるか認識すると同時に、チェルシーは目にも留まらぬ速さで身を起こした。そのまま間合いを取って構える。
 向かい合う男は座ったまま、身動き一つしなかった。戦意と困惑とが入り交ざる翡翠の瞳は相手にしっかりと据えられていて。
 パチン、とまた炎がはじける。
 瞬間、男の体がピクリと揺れ、つられて指の先が刀に当たる。鳴った小さな金属音がチェルシーを動かした。
 一瞬で目の前に姿を現した彼女に、少しも慌てた様子などなく男は身をひるがえす。かまわずチェルシーは拳を繰り出した。まっすぐ、相手の腹へ向けて。
 重く降ってくるそれを、白髪の男はなんなく片手で受け止めた。そのまま無造作に細い手首をつかむ。逃れようと身をよじった少女を、力任せに男は組み伏せた。

「………ッ、華泰!!」

 押し殺した声が放たれる。つかまれた両手を押し返すが、相手の力のほうが明らかに上で。
 それでも瞳の力は強く、見下ろしてくる赤い瞳をキッと見返している。
 下を向いた華泰の顔は暗くかげり、表情までは読み取れない。闇の中で口元が薄く開くのを見て取るやいなや、彼女は全身をこわばらせた。

「落ち着け。……サラサなら…ルリなら、そこにいる」

 反射的に首をめぐらしたその先には、紫の髪を散らばせながら少女が安らかに眠っていた。すぐ横で起こっている事態になど全く気づかない静かな横顔を見て、チェルシーは初めてほっと吐息を漏らす。
 とたんに全身から力が抜けた。抜けたと同時になんとか宙で留まっていた両手が地面に縫い付けられる。
 しびれる痛さに眉を寄せた彼女の上で、華泰は安堵にも似たため息をこぼした。
「……生きていたか」
「え……?」
 聞こえた呟きをにわかには信じられなくて、状況も忘れチェルシーはぽかんと口を開けたまま何も言えなかった。
 翡翠と深紅の瞳が合わさる。視線が宙で絡み合う。
 地下を駆け抜ける冷たい風が、二人の髪をなでていった。
「生きていたか……」
「……………」
 もう一度繰り返された縋るような呟きは、もはや幻聴ではありえなかった。
 混乱する頭の中でその言葉の意味を、その苦痛をたたえた表情の意味をかみしめ、チェルシーはこみ上げてくる涙を堪えるのに必死だった。





「言っとくけど、一度死んだのは事実よ」
 少し突き放したような、いくぶん冷ややかさを含んだ声で少女は言った。
「分かっている」
 ほとんど感情を見せずに男は返す。
「あのまま死んでてもおかしくなかったのよ」
「分かっている」
 頷きはせずに、ただ口だけを動かす。
「あの時、白龍を道連れにして死のうとしたとき、その覚悟ができたのは……私が死んでも留美奈が何とかしてくれるって思ったからだわ」
「………分かっている」
 少女と男は燃え上がる焚き火を挟み、向かい合って座っていた。
 揺れる炎にすえられていた翡翠の瞳を持ち上げて、少女は呟く。
「でも、ぎりぎりまで、私、貴方も信じてたのよ?」
 男はそれには答えなかった。沈黙を守り、じっと炎を見つめている。風が炎を揺らしていた。
 二人の耳に聞こえるのはどこからか吹いてくる静かな風の音だけで。それが優しく髪をなでていく。
 ほつれた金色の髪は赤い炎に照らされてきらめき、白い肌に浮かび上がった無数の傷跡が浮かび上がる。
 チェルシーはすぐ横で寝ているルリをそっと撫でた。
 まるでそうして撫でてやれば目を覚ますのだというように。そっと優しく、いたわるように触れている。
 ふと、その手を休めて少女は口を開いた。
「話変わるけど、」
 口調の変わったチェルシーを、華泰の視線が捉える。心なしか彼女は怒っているように見えた。
「私、こんな服着てた覚えないんだけど」
「…………………」
 相変わらず下に向けられた顔は無表情に近い。
 確かにその服は今まで彼女が着ていたものとは別のものだ。全体的に白っぽい服はチェルシーには大きすぎるのが一目で分かる。
 視線を落としたまま少女は続ける。男は黙って聞いていた。
「いいわ、崖から落ちた私を助けてくれたのが貴方なら、この服も貴方が着せてくれたんでしょう。それは分かるの」
「そうか」
 しごく短く華泰は呟く。
「でもね、私が元々着てた服はどこに行ったの?」
 もはや少女の怒気は認めざるを得なかった。眉間にしわこそ寄ってはいないが、体全体から穏やかならぬ気配が漂っている。
 顔色一つ変えずに華泰は答えた。
「濡れた服をそのままにして上から着させても意味がないだろう」
「…………見た?」
 充分の沈黙の後、チェルシーは押し殺した声音で問う。
 男はなんとも言いがたい表情で少女を見ている。何か言いたそうに口を開き、しかし何も言わずに再び閉ざした。とたんにチェルシーの表情が険しくなる。
「見たのね?」
 華泰はふいっとそっぽを向いて、
「……すまない、お前には苦労をかけた」
 ぼそりと呟いた彼は、次の瞬間、金髪の少女の手加減なしの鉄拳をまともに喰らうこととなった。

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