「絶対嫌です!」
「良いじゃないかそのままで、似合うと思うんだが……」
「もうどちらでも構いませんが、急いで下さい。夜会に遅刻します」
 もう何度同じようなセリフを聞いただろうか、いい加減に準備をしないと冗談じゃなく本当に夜会に遅れてしまう、彼らを呼びに来た侍女は思った。


「動き出した歯車たち」


「夜会……ですか」
 視線は机の上に置かれている膨大な書類に向けたまま、ラキアは「ああ」と小さく頷く。その横に、護衛役としてあてがわれた制服に身を包んだリディスが静かに佇んでいた。
「もちろん私も出席しますよ、貴方の護衛役なんですから」
 ごく自然に彼女は言う。その様子を横目でチラッとラキアはうかがった。
「その服でか?」
「他に何があるって言うんですか?」
 質問の意図を図りかねてリディスは聞き返す。
「夜会といっても半分舞踏会みたいなものだ。女性はみんなドレスを着るぞ。お前は……」
 そこで一旦言葉を切ると、ラキアは隣に立っているリディスを見た。
 彼女は護衛として務めているだけあり、その服は動きやすいよう、その辺にいる衛兵と大して変わらない外観なのだ。それでも彼女自体から溢れる魅力がそこにはある。服装は男の物であっても、例え遠目からであっても、彼女がリディスであると一瞬で分かるだけの魅力が……。
 だからきっとドレスを着たら似合うに違いないと思うのに、彼女は端からそんなこと考えてさえいないようだった。
「嫌ですよ、ドレスなんて。第一動きにくいじゃないですか」
 ラキアの意図を察して、リディスは心底嫌そうに眉をゆがめる。
「まだ何も言ってないじゃないか……」
「何をおっしゃろうとしているのかぐらい、分かります」
 窓から朝の光を受け、リディスの赤いガラス玉のような瞳が輝いている。
「もしもの事があったらどうするんです? ドレスじゃ応戦できませんよ」
 呆れ混じりに問い返され、青年の中にじわりと意地悪な気持ちが芽生えた。しばらくの沈黙ののち、彼の手がスッと引き出しに伸びる。
「賭けをしないか?」
 突然の申し出に、傍らの少女は警戒心を顕わにする。そのころころとよく変わる表情は王宮には珍しくて、ラキアの口元が自然と緩む。
 彼の微笑を何と受け取ったのか、リディスはムッとしたように口を開いた。
「……何を賭けるんですか?」
「君のドレス姿を、このコインに」
 言いながら右手で、帝国の印が刻まれた銀貨を見せる。
「俺が君の目の前でこのコインをどちらかの手に隠す。当てられたら君の勝ちだ」
「……いいですよ」
 なんだそんなこと。という声が聞こえてきそうな表情であった。
 確かにリディスにとっては「そんなこと」に思えるだろう。しかしそれは「普通」の場合であって、彼女の動体視力を心得ているラキアが正規の方法で勝負に出るわけがなかった。
「じゃあ行くぞ」
 リディスの視線が自分の手元に注がれているのを確認してから、その賭けは始まった。





「あれは絶対イカサマです!」
「しかし証拠はないんでしょう?」
 セラフィーの落ち着いた声に、リディスは溜息をつき、がっくりとうなだれる。

 賭けはラキアが勝った。
 彼はリディスが予想していたより格段に速いスピードでコインを操り、そして隠した。だが速かったと言っても彼女が見切れないほどではなかったのだ。コインは左手に握られている―――そのはずだった。
 しかし実際には、「残念」と、にやっと笑ってラキアが右手を開ければ、そこには無いはずのコインが握られていて。そんなはずはないと、左手をこじ開けてもコインはない。
 リディスの負けだった。
 服を選んで来いと言われ、ラキアの書斎を後にする。廊下を歩いている時ふとある事が引っかかった。
 なぜ最初に左手を開かなかったのか。
 普通、言われた方の手を開けるはずだ。それをわざわざ右手を先に開いて、コインがあるのを確認させた。ただの気まぐれか………それとも左手に見られたくない物でもあったのか。

 やられた……。

 誰かに聞かれていたらはしたないと思われただろう。彼女は小さく舌打ちをすると今来た方向へ取って返し、扉を勢い良く開けるとそのままの勢いで机の正面まで歩く。ラキアが面をあげた。
「イカサマしましたね。右手のコインは最初から隠し持っていたんでしょう? 私がそちらに気を取られてる隙に左手のコインを隠した、そうでしょう!?」
 息継ぎなしに一気にまくしたてると、リディスは相手の表情をうかがった。
「心外だな」
 嘆いているような口調とは裏腹に、その口は笑みを浮かべている。
「賭けは無効です」
「証拠はあるのか? それともそんなに嫌がるほどドレスが似合わないのか?」
「………なっ! …ッいいですよ!! 着れば良いんでしょう?着れば!」
 売り言葉に買い言葉。リディスはその場の勢いで言ってしまった自分の言葉を後悔したがもう遅い。見れば目の前のラキアは、腹を押さえて笑いを噛み殺している。
「失礼しますっ!」
 今度は振り返って礼もせずに部屋を飛び出した。自ら言ってしまったのだ、もう諦めるしかなかった。<





「セラフィーさん、これはちょっと……」
 引きつった顔をしながら、リディスは鏡の中の自分を凝視する。
 一体誰のために用意されたのか疑問に思うほど、深くスリットが入った真っ赤なドレス。さすがにこれを着て行くつもりはない。セラフィーに任せていたら次にどんなドレスを出してくるか分からない。仕方なくリディスは自分で衣装ダンスを探り出した。
「そうですか? 『動きやすいもの』という注文だったので……なかなか似合ってますよ」
 彼女がドレスを選ぶのを手伝ってやりながらセラフィーが言う。
 護衛役の制服を着ている時からなかなか見栄えは良いと思っていたが、さすがにドレスを着た彼女の変貌ぶりは見事としか言いようがなかった。
 白い肌や、流れるような銀の髪。そして燃えるような瞳に、今来ている真っ赤なドレスはよく似合っていると思ったが、彼女はそれを着て夜会に出る気はないようだ。

 突然背後でコンコンと扉をたたく音がして、リディスは衣装ダンスを引っ掻き回していた手を止める。
「多分、ラキア様でしょうね。あとで様子を見に来るとおっしゃてましたから」
 「本当は自分が選んでやりたいんだが」と、冗談のように言っていたラキアは、あいにく急な会議が入ってしまい来られなかった。近頃のアシュハルトの不穏な動きを警戒して、城に勤めている者達は殺気立っている。このままで行けば最悪の場合、大陸二大国での大戦になるだろう。この平穏な日々も長くは続くまい。

 次の候補のこれまたきわどいドレスをソファに置くと、セラフィーは扉の方へ向かう。その彼をリディスが小声で呼びとめた。
「セラフィーさん、私はいないと言って下さい」
 今の姿を見られては敵わないと、リディスは隠れ場所を必死に探していた。そこしかないと思ったのか、ついに衣装ダンスに入ると内側から器用に扉を閉める。
 そんな彼女を見てにっこり微笑み、セラフィーはラキアの待つ扉を開けた。
「あぁ、セラフィーか。……彼女は?」
「衣装ダンスの中です」
 後ろで衣装ダンスが大きく音を立てて揺れる。
「なんでそんな所に……」
 呆れた様子で呟くと、ラキアは真っ直ぐ衣装ダンスに向かう。わずかな抵抗をものともせず、勢い良く扉を開け放った。
「リディス?」
 ぎゅうぎゅうに押し込まれたドレスの向こう側に、必死で身を隠している彼女を見つけると柔らかく笑みを浮かべる。
「おい、出て来いって」
「…………」
「リディス、そこは人が入る所じゃないぞ」
「……………」
「……リディス…」
 無言のまま応じようとしない彼女に、ラキアがとうとう痺れを切らした。衣装ダンスに足を掛け体を乗り出して手を伸ばす。必死に抵抗する彼女を両手で抱きかかえ、力ずくで引っ張り出した。
「…………………セラフィーさんの、嘘つき…」
 リディスは最後の抵抗と言わんばかりに思いっきり顔をそむけ、ぼそりと呟く。いつもは白い、感情を表に出さない顔が、今は着ているドレスのように真っ赤に染まっていた。
「私は了解した覚えはありませんが」
 どこか爽やかでさえある笑みを浮かべつつ、セラフィーはリディスの赤い顔を見る。
「…あの………降ろして…下さい」
 ラキアはその時初めて自分がリディスを抱きかかえていることに気がついた。彼女の足は床に届いてないのだから、体重は全て自分の両手に掛かっているはずだったが、それさえも忘れてしまっていた。
「あっ、あぁ……悪かった。つい――」
 ――『つい』だって?
 リディスを床に立たせてやりながら、自分の言った言葉に焦る。一体何と続けるつもりだったのだろう。
 とうに答えは出ていた。だが認めたくなかった。「見とれていた」だなんて………嘘だ。

「セラフィーさんっ! 早くドレス選ぶの手伝ってくださいっ!! もうそろそろ時間なんですよ!?」
 いくらか治まりつつある紅潮した顔を、ずらりと並んだドレスに向けながらリディスが叫ぶ。
「ソファの上に良いと思ったものを置いておきましたが」
 この執事に手伝ってもらうのが無意味だということに少女はまだ気付いていない。言われたドレスを手に取り、今着ているものより更に露出の多いそれにギョッとしているリディスを見て、ラキアは苦笑した。

「そのままでいいじゃないか」
 勝手に口から飛び出したセリフに、一番驚いていたのはラキア自身。呟かれた言葉にリディスは目を見開き、何か言おうと口を開ける。
「そう思うでしょう? ラキア様も」
 思わぬ味方を得たセラフィーも不敵に笑い、ここぞとばかりに押す。

 ラキアの視線がふっとセラフィーの表情に吸い寄せられた。そういえば久しぶりにセラフィーが笑っている。こんな風に打ち解けて会話をしているのも思えば久しぶりだった。
 その無口な外見からか、はたまた本当に無口だったためか、彼に声を掛ける者は城の中にあまりいない。彼自身も声を掛けないから悪循環だ。
 もともとセラフィーはラキアの、バシリスク家の執事であって、この王宮に彼自身の居場所はないのだ。ただ、ラキアのためだけにセラフィーは王宮につめているのであって、ラキア以外の人間と接触を持つ必要はない。
 だから忘れていたのだ。
 セラフィーが少ない言葉の中で冗談を言ったり、時には皮肉を言ったりする事実も。いつだってラキアという存在を中心に物事を考えていてくれることだって。
 生まれたときから側にいてくれた。当たり前になりすぎていて、多忙な毎日と過去への罪悪感からセラフィーと言う存在を遠ざけていたのは他ならぬ自分。
 気付かせてくれたのはリディスという一人の少女。彼女は最初からセラフィーを恐れることなく、ごく普通の目上の者に対する敬意と、立場上の礼儀正しさでもって接したのだろうし。そして彼もそれに見合うだけの好意をリディスに返したのだろう。
 自分は彼との接し方をどこかで間違えてしまったのかも知れない。でも、彼がどんな風に笑うのか想い出したから、きっとこれからは大丈夫だ。
 「これから」、があればの話だが―――。

「絶対嫌です!」
 数はあるが派手なドレスしかない衣装ダンスから、やっと何とか着られるものを選び出し、着替えようとしながらリディスが言った。
「良いじゃないかそのままで、似合うと思うんだが……」
 少々残念そうにラキアが呟く。自分も着替えなくてはいけないことに、彼は気付いているのだろうか。
「もうどちらでも構いませんが急いで下さい。夜会に遅刻してしまいますよ」
 事を混乱させた張本人であるはずのセラフィーは、とうに飽きてしまったらしい。今は二人を急かすことに徹していた。彼らを呼びにきた侍女は間に合わなかったらどうしようと、おろおろしている。


 今夜の夜会に招かれざる客が混ざっているなど、この時は誰が予想し得ただろう。






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