ずっと焦がれるように待ち続けたのはたった一つ……その紅い瞳だけ。
「革命前夜」
生きる意味がなかった。
辛うじてこの世に留まったのは、お父さんが遺した『やくそく』を果たそうとする手が私に伸ばされたから。
その人の為だけに生きた。その人が『やくそく』を破らないですむためだけに。
空虚だった。何も無くて、生きる意味も無くて、ひっそり存在して誰にも知られずに土に還るだけ……。
お父さんとお母さんのいる遠いところへ行くのだけが楽しみだった。
お父さんとお母さんが死んだのは事故だったと、仕方なかったのだとその人が言う。
でもそんなこともうどうだって良かった。だってあの二人はかえって来ない。
でも、ある日、出会ってしまった。
いつだっただろう……そう、その日は帝国の宰相が十三歳のお誕生日でお祭りだった。
あの紫の瞳。
あの日の少年が今、目の前にいる。
目の前にいて笑ってる、幸せそうに手を振って、みんなに祝福されている。
――なんで?
どうして?どうして?どうして?
どうして彼は幸せそうにしているのだろう?
私はこんなにも空虚なのに……。
全てのピースが繋がった。
あの日の事故、少年の震える手、その手で握る手綱、夕焼けに照らされる恐怖の張り付いた顔。
あぁ、そうだ。彼なのだ。彼のせいでお父さんとお母さんは――。
――違う。
やっと生きる意味が分かった。
――違う、彼のせいじゃない。
なぜ私だけが生き残ったのか分かった。
――あれは事故。誰のせいでもない。
何をすれば良いのか……。
――こんな事あの二人は望まない。
復讐を。
私は居場所を手に入れた。
自分の力で死ぬことは出来なかった。
この身体はとうに自分だけのモノではなくなっていて、傷つけることすらはばかられる。
しなくてはならない事が沢山あって、一日中懺悔し続けるわけにもいかず。
一分、一秒たりともあの日の罪を忘れることなんて許されないのに、忙しい毎日に追われ、夜、横になって目をつむるとあの血の瞳が問いかけてくる。
今日の笑顔は何だ。どうして笑うなんてことが出来んだって……。
言われて再度自覚する、自分は笑うことなんてしちゃいけないんだ。一瞬でもあの罪悪感を忘れる時があっちゃいけないんだ。
でも忘れないでいることは大変だった。俺は浅はかで、馬鹿で、ちょっとでも忙しいと時たま罪を忘れて笑った。
それは一時的にとても楽だったけれど、夜また襲ってくる罪悪感に身が切られる。
そしてやっと出会った。
たった一つ心から望んだもの、過ちを忘れることを許さないあの日の紅い瞳。罪に繋ぎ止めることの出来る瞳。
俺を罰してくれる、罰することが出来る、たった一つの存在。
やっと手に入れた。
赦して欲しいなんて思わない。
どうか憎んで。俺を殺して。
――これは逃げだろうか?
君の好きにしてくれて構わない。
――罪の重さに耐えられなくなったのか?
この命は君だけのものだ。
――罪を償って楽になりたいのか?
どうか報いを。
近付くべきではなかったと、知り過ぎるべきではなかったのだと……悟った時にはもう遅い。
憎んでいたはずなのに、すぐにでもその心臓を突き刺して殺してしまいたかったはずなのに……。
何気ない仕草や時折見せる笑顔。それに憎しみを覚えるどころか、いつの間にか望んでさえいた。
こんな事が許されるだろうか?
彼を許してしまったら……復讐を忘れてしまったら私の生きる意味がなくなってしまうのだ。
憎ませて。
最後まで憎まれるような存在でいて。
私を惑わさないで。燃えるような憎しみを忘れさせないで。生きる意味を取り上げないで。そんな優しい顔をしないで――。
その澄んだ紫の瞳で憎悪で穢れた私を見ないで。
ねぇどうかお願い。
…………赦させて。
これでやっと自分がした消えない過ちの裁きを受けられると思ったのに、楽になれると思ったのに、どうして今もこんなに苦しいんだろう?
最初はただ怖かった。その瞳に見つめられることも、いつかは鋭利な刃物を握って俺の心臓を貫くだろうその手も。
彼女がどういう境遇で育ったのか考えたくなかった。あの日の少女がどうしたらこんな冷徹な殺人者になれるのかなんて考えたくなかった。
でも不意に見せる年相応の少女らしい表情、照れたような真っ赤な顔。
俺に向けるための鋭い殺意や、残酷な微笑にまで魅せられる。
馬鹿な男だと笑うがいい。自らの死を願っているはずの少女に魅せられているなんて。笑い話にもならない。
無意識にその頬に手を伸ばそうとして、俺の中の罪悪感がすんでのところで歯止めをかける。
なぜそんなことが出来るだろう。
彼女から何もかも奪った自分が、なぜ手を伸ばせる?
なぜ……こんな想いを抱けるだろうか?
許されるわけがない。
俺は彼女に殺されたいのだ。
天が俺を罰さないから、一番ふさわしい者に明確な罰を与えられたいのだ。
………いや、それともこれが罰だろうか?
自分を憎んでいるはずの少女に魅せられて。
どうかお願いだから。
…………赦して。
彼が私をかばったとき怖かった。失うかも知れないと思ったら怖かった。
護衛役だからじゃなく、ただ一人のリディス・ゾルディックとして怖かった。
この気持ちはなに?
気付きたくない、気付いてはいけない。
気付いてしまったら最後……もう後戻りできないのだ。
そうだ、私以外の誰かの手によって殺されるのが怖かったのだ。
彼を殺すのはこの私。他の誰にも譲らない。
まだ間に合う。この気持ちにふたをしよう。
彼女を失うかも知れないと思ったら怖かった。
怖くて頭で考える前に身体が動いてしまった。
こんな感情は知らない。認めない。
もし彼女に知られたら? 彼女の決意が鈍るじゃないか。
彼女は優しいから、本当はきっと優しすぎるから。俺の気持ちを知ったら困るだろうから。
………違う。彼女の迷惑になるなんて建前で、本当は怖いんだ。
君の側にいて、これ以上深みにはまるのが怖いんだ。
本気になって、浅ましいこの想いを君に知られた時、向けられる眼差しが怖いんだ。
全部自分のわがままだけど、でもこの気持ちは隠し通す、必ず。
『どうかこの気持ちに気付かないで』