いつものように目を覚ました。違うのは……起きたら一人じゃなかったことだけ。ただそれだけ。


「ラキアの場合」


「んっ……」
 目を閉じていても感じる清々しい陽光で、リディスは自然と目が覚めた。
 上体を起こそうとして両手に力を入れれば、右手の手の平に違和感を感じて慌てて拳を開く。
「あ……」
 指輪だった。施された細工の溝に少し泥が付着しているが、それは彼女が嵐の中必死に探した両親の形見の指輪。
 安堵と共に脱力感が襲って来て、もう一度ベッドに横たわる。
「……っ。え!? ラっ、ラキア様!?」
 枕に頭が付く前にリディスは跳ね起きた。その拍子に額にのせてあった水気を含んだ布がベッドに落ちる。
 いるはずのない人物。窓から差し込む逆光でその表情までは見て取れないが、多分、寝ている。
 リディスはベッドの横の、腕組みしたまま椅子に座っているラキアの顔をそっと覗き込んだ。
「寝てますよね?……………あ、ありがとうございました。すごく、嬉しいです……」
 多分起きている時に面と向かってはっきりと言えない。だけど本当に嬉しかったから、だからせめて本人の前で口に出して言いたかった。
 リディスは危なっかしい足取りで扉まで行き着くと、ノブに手を掛けてリディスはふらつく足で廊下へ出た。

「…………っ」
 扉の閉まる音がした途端にラキアは椅子から立ち上がり、自分の真っ赤な顔を片手で覆った。
「全く……無防備な」
 あんなに柔らかく笑う彼女は見たことが無い。いや目は瞑っていたが声の感じから大体表情は予想できる。
 どうせなら起きてる時に言ってもらいたかった。
「っと、こんな事してる場合じゃないか」
 彼女はまだ病みあがりだ。あのあと丸一日高熱で寝込んでいたのを彼女は知っているだろうか。とにかくまだ安静にしていてもらわなくては困る。それに―――
「あんな格好で歩かせられるか」
 誰に言うでもなく呟いて、ラキアはリディスを追った。




「まだ歩き回っては駄目ですよ」
 廊下に出てからしばらくして耳馴染みの声が掛かった。緩慢な動きで背後を見やると、セラフィーが穏やかな微笑を浮かべている。
「あ、セラフィーさん。でも……もう結構――」
「丸一日寝込んでいたんですよ、あなたは」
 有無を言わせない口調で彼はリディスの続く言葉をさえぎった。
「丸一日……。それは、ご迷惑お掛けしました。すみません」
 てっきり一晩寝込んだだけだと思っていた。だが丸一日となると、余程酷い状態だったのだろう。
「別に構いませんよ、元気になってくれれば。ですが、やはりすぐに部屋に戻った方が良いでしょうね。」
「え? あ、はい」
 自分を一瞥してから言葉を続けたセラフィーに引っかかりを感じて、リディスは小首を傾げた。見返すセラフィーはにっこりと笑う。その表情の意味を彼女が考えていると、すぐ後ろで穏やかでない声が響いた。
「リディス!」
「あ、ラキア様」
 振り返る彼女を眉をしかめてラキアは見る。
「部屋に戻るぞ。自分がどんな格好してるか分かってるのか?」
「どんな……って、…あ」
 言われて初めて自分が薄地の下着のような格好でいることに気付く。ワンピースのようなそれは辛うじて太ももが少し隠れる程度の長さしかなく。決してそれ一着でうろついて良いものではなかった。城の中なら尚更。
「ほら。分かったら行くぞ」
 小さく溜息をこぼしながら、ラキアは自分の上着をリディスにかぶせた。
 リディスは顔を真っ赤にしながらそれを素直に受け取る。早く部屋に帰りたくて踏み出した一歩に力が入らず、そのまま崩れそうになる彼女を、ラキアは片手で軽く受け止める。耳まで真っ赤にしながら消えるような声でリディスは「すみません」と一言呟いた。
「……魔が差したかな」
「は?」
 どういう意味か問い返す間もなく、リディスはラキアに抱きかかえられた。
「ちょっ……ラキア様! 降ろして下さいっ!!」
「やだね。さんざん人に心配掛けた罰だ」
「………その節はどうも……」
 「迷惑」でなく、「心配」という言葉を使ってくれたことに少なからず嬉しさと動揺を覚え、リディスは抵抗をやめた。
 自分の腕の中におとなしく落ち着いた彼女を満足げに眺めると、にやにや笑っているセラフィーを一睨みしてから、ラキアは歩き出す。
 部屋がもっと遠くだったら良いのにと、自分以外の鼓動をその胸に感じながらふと思う。

「リディス……少し話があるんだが」
 ラキアは彼女をベッドに座らせてやりながら、言いにくそうに切り出した。
「何ですか?……あっ、あのですね、その……指輪、ありがとうございました。見つけてくださって」
 急に変わった声音を不審に思いつつ、俯き加減に手の平の指輪をじっと見つめながらリディスは言う。ごく普通の少女である彼女をもっと見ていたかったが、そうもいかない。ラキアはこの穏やかな雰囲気を壊す覚悟を決めた。
「その指輪のことなんだが、なぜ君が……いや、その指輪は誰に渡された?」
 ビクっとリディスの肩が揺れた。一気に緊張の高まった部屋の空気が身に痛い。
「どうして……そんな事を聞くんですか? この指輪を、知ってるんですか?」
 この指輪に関しては何も言えないし、もし言いたかったとしても言えない。なぜなら彼女自身よく知らないのだから。母親にそれを渡されて以来、誰にも見せて来なかった。だからその指輪に関する情報をリディスは持ち得ていない。
 ラキアの質問に答える気はさらさら無かったが、母が遺した指輪について何か知っているなら聞いてみたい気持ちはある。
「その指輪は………代々、王家のみに受け継がれる指輪だ。俺も一度見たことがあるだけだが……」
「………王家……」
 予想もしなかった言葉にリディスは呆然と目を見開く。
 つまり母は王家の関係者だったと言うことだろうか。もしかすると父も?王家の一族のようには見えなかった、と思う。ごく普通に暮らしていた思い出しかない。
 盗んだとは考えられない。たった七年間しか一緒にいられなかったがそれだけは分かる。
「君は嵐の中、……『お母さん』と言っていた」
 「お母さん」と言う所だけラキアの表情が少し陰る。だがリディスにそれを気付く余裕はない。
 誤魔化すか、それとも真実を言うか。真実といった所で、「母親に誰にも見せないように言われて渡された指輪」という事しか自分も知らない。すでに誰に渡されたかはもうラキアも感づいてるはずだった。ならば、わざわざ隠す必要はない。
「そうです。小さいとき、母に渡されたものです」
「何か言われなかったか?」
「……誰にも、見せるなと」
「……………そうか」
 思案する様に伏せられた瞳、口元に添えられた手、その全てが彼女を安心させた。
 きっとこの人なら悪いようにはしないだろう。
 そんな根拠のない自信が湧いてくる。はっと我に返ったリディスは慌ててその考えを打ち消した。どうも朝起きてから毒気が抜かれたように心が穏やかになってしまっている。指輪が見つかった安心感のせいだろうか。
 あの嵐の日、あんなに追い詰められていたのが嘘のようだ。このままではいけないと思うのだが、ラキアに抱きかかえられた時でさえ、戸惑いこそすれ嫌悪感など微塵も感じなかった。それが、困る。
「取り合えず……ほら、この鎖をやる」
「え?」
「鎖がないと、困るだろ?」
 当然のようにラキアは自分の首の鎖を外し、それに掛かっていた何かを取ってからリディスに手渡した。
「……ありがとうございます」
 確かに有り難い。指輪と言えども指にはめるわけにはいかない代物だから。「王家の指輪」というラキアの言葉でそれが確信に変わる。
 早速指輪を鎖に通し、首に掛けてチェーンをとめようとした。が、なかなかとまらない。焦れば焦るほど手元が狂い、首の後ろに回した手が思うように動かない。手前に回してからとめようかとリディスが諦めた時だった。
 ごく自然にラキアの手が彼女を抱き寄せ、両手を後ろへ回す。あまりに突然の出来事にリディスはまともな反応を返せず、ただラキアの腕の中におさまっていた。
 どれ位そうしていたかは良く分からない。でもチェーンをとめるだけのはずなのに結構時間が掛かったと思う。
 リディスは自分の高鳴る鼓動が、どうか相手にまで伝わっていないように祈るだけだった。
「……悪いな」
「え?」
 今日だけでもかなり色んなことがあったが、これ以上に驚いたことは無かった。
 リディスが嫌がる間も理解する間もなく、彼女の白い首筋にはラキアの唇が触れる。数秒かかってやっと理解した時には事は終わっており、彼は書斎へ続く扉へ歩き始めていた。
「じゃ、俺は行く。お前は今日は一日寝ていろ」
「……………」
 口を開きかけたは良いが、言うべき言葉を見つけられないリディスを残して、ラキアは扉を開ける。その間ラキアは一度も振り返らなかった。
 後ろ手に閉める音と、彼女が何事か叫んだのはほぼ同時であった。


 ラキアは書斎に入ると同時に、力が抜けたように扉を背にしてずるずると座り込み、溜息をついた。
「……心臓に悪い」
「何が悪いんです?」
「!?」
 突如目の前に現れたセラフィーに心底驚いて後ずさろうとしたが、背後の扉に邪魔され身じろぎするに留まる。
「なっ、何で!何でいるんだ!!」
 いつもは自分がいない書斎には足を踏み入れない彼が、見計らったように今、目の前にいる。
「貴方こそ。もう少し来るのは遅くなるのではと思ったのですが……」
 予想が外れた、とぼそっと呟いたセラフィーを上目遣いにラキアは睨んだ。自分の持っている理性を総動員してやっと今ここへ来たのに、目の前の男はそれを楽しんでいる。
「最近楽しそうだな、お前」
 立ち上がりながら少々皮肉を込めた言葉を投げかけるが、彼はそんなことは全く気にしていない様子で答える。
「楽しいですよ。……最初は、どうなることかと肝を冷やしましたけどね」
「……最初?」
 意味を理解しかねてラキアが聞き返す。
「そうです。彼女が来た当初、貴方は随分と暗かったですからね。どうしたのかと心配しました」
「あぁ……そうか」
 目線を落としてラキアはセラフィーの言わんとしていることを理解した。
 彼女が……リディスが来た当初はただその存在が怖かった。自身の恐怖を隠そうとしても護衛役として雇った手前、彼女から離れることは出来ない。あの頃は相当に暗かったに違いない。セラフィーが心配するのも無理は無かった。
「そうですよ。ですけどその後は前より明るく振舞っていることも多くなって……貴方が楽しそうだと、私も楽しいです」
 もちろん彼は自分の過去の過ちも、それによる罪悪感も、リディスを自分を罰す存在として雇ったことも知らない。
 それでも、何となくであっても、彼は自分の変化に気付いて心配してくれていたのだと、ラキアは無性に嬉しかった。
「そりゃ、どーも」
 面と向かって真面目に「ありがとう」何て言えないから、精一杯おどけたように言うこの言葉からどうか感謝の気持ちを汲み取って。
 目だけで返事をして書斎を後にしようとしたセラフィーをラキアがふと呼び止める。
「セラフィー、調べて欲しいものがある。十七年前の内戦、その時に行方不明になった城の関係者……特に、生まれたばかりの。どんな些細なことでも構わない。頼まれてくれるか?」
「分かりました。少し時間が掛かると思いますが」
「ありがとう。助かる」
 返事の代わりににっこり微笑むと、有能な執事は主の書斎を出た。
「本当に……助かる」
 自分のために心配してくれる者がいる。それがどれだけ心強いか。
 自分は彼女に殺されることで償おうとしたけれど、もしそれ以外の道が許されるなら、願わくは自分も彼女にとってそういう存在でありたいと思う。
 それは途方もない願いに思えたけど、あまりに自分勝手な願望だけれど……死んで楽になるのではなく、生きて何か出来ることを探したい。
 彼女のために……。
 許されるなら。






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