大破した馬車から運び出した荷物を開ければ、出てきた物はことごとく自分の絵だとか工作の作品だとかで、取るものも取らずあんなに慌てていたのにと呆れて笑おうと思ったのだが、出てくるのは嗚咽おえつ混じりの涙だけだった。


「黒の記憶」


 大きくて力強い手に抱きかかえられて連れて来られたのはこじんまりとした木の家で、周りに明かりは一つもなく、ただ不気味な暗い森がさざめき合っていた。
 父と母の友人だと名乗ったその男の名はジルといって、帰る道すがらぽつぽつと自分の事を話してくれた。
 事情により隠れて暮らしていること、迷うから不用意に家の周りを歩かないこと。そして、キースとアンのこと。
 三人は同じ主に仕えていたのだと言う。ジルが二十三歳、キースとアンがそれぞれ十九歳と二十歳の時に、その家は内乱の余波で滅んだらしい。
 それきり会っていないと言うジルの顔が、暗闇の中でわずかに歪んだのをリディスの双眸は見止める。

 二人の体は馬車の近くに広がる森にジルが埋めてきた。本当は彼も家の近くに埋めたかったのだが、この険しい道をリディスを連れて登るだけで手一杯だったのだから仕方ない。それに、キースとアンを追っていた者たちが、いつ背後から斬りかかるとも分からなかった。

 なるべく見晴らしの良い場所を選んで二人の死体を埋めるジルの様子を、リディスは傍らで黙って見つめていた。その顔には苦渋も悲痛の色も浮かんではおらず、死人のそれのようであった。いや、死人よりも無表情だったかも知れない。
 いささか不安を感じながらも、ジルは二人の死体の上に静かに土をかけ続けた。近くを流れる川の水で血は綺麗に洗い流した。



 キースもアンも安らかな顔で。「もう少し焦ろよ」と、ジルはつい声を掛けてしまいそうになる。
 六年前の内乱の際に散り散りにやっとで逃げ延びて、ついに今日の夕暮れに再会するはずだった。それなのに………。

 時間通りに二人が現れないのはいつものこと。特にキースは三十分くらい普通に人を待たせる。だから最初はさして気にしなかった。
 ところが待ち合わせの時間を一時間過ぎても一向に二人は現れない。今回は遊びの待ち合わせではない。大事な人の命が掛かっているのだ。いくらあの二人でもさすがにこれは遅すぎた。
 ジルは落ち合う予定だったごみごみした町の居酒屋を出て、全速力で人が溢れかえる道を駆け抜けた。町を出て、二人が通るはずだろう道を走っていく。
 一刻も早く姿を見つけて文句の一つでも言ってやろうと思う反面、最悪の事態を想定して手が震える。見たくもない光景がその目に飛び込んできたのは町まであと馬車で十分という所。
 ジルの足はそれ以上先に進めなかった。進めば一番知りたくない事実を目にするだろう。
 あと数秒で姿を隠すだろう夕日が最後の陽光を帝国に降らせた時、血溜まりの中に座っている少女の銀髪がオレンジ色に輝いた。
 辺りが闇に包まれ、彼の羽織っている黒い布が風景に同化する。
 このままではいけない。こんな所にぼうっと突っ立っていて、捕まってしまったら元も子もない。キースとアンが死に物狂いで馬車を走らせてきたのが無駄になってしまう。
 鉛のような重い足を叱咤してやっと一歩を踏み出した。一歩目を踏み出せば後は勝手に付いてくる。そうしてジルは小さな少女の前に立った。

「私と一緒に来なさい。キースは死んだ。アンも死んだ。生き残ったのは君だけだ、リディス嬢」
 少女の頭が弾かれたように上へ向いて、暗闇の中でも分かる赤い目が虚ろにジルを見上げる。
「……おとうさんとおかあさんを知ってるの?」
 赤い瞳が大きく見開き、疑惑を知らない純粋な輝きを放つ。
「あぁ、ずいぶん前から良く知ってるよ。友達だった……」
「じゃあ、おとうさんとおかあさんを助けてあげて」
「残念だがそれは出来ない。キースもアンも遠くへいってしまったから」
 自分の顔が歪んだのが分かった。どうかこの暗闇に紛れて、少女には分からないように願った。
 ジルを見上げていた目が伏せられる。
「そう……じゃあ私も連れて行ってよ。一人はいや、寂しいもの」
「それも出来ない。なぜなら私は、彼らに何かあったら君を代わりに守るとお父さんと約束してしまったんだ」
 六年前確かに約束した。あの混乱の中この一つの約束だけは何が何でも守ろうと三人で誓った。
 そしてキースとアンは十二分じゅうにぶんにそれを守った。
 だから、今度は、自分の番だ。
「おとうさんと? そう……やくそくは…守らないとだめなのよ」
 胸に手を当てながら、何かを思い出すように少女は言った。
「私に約束を守らせてもらえるか?」
「…………うん」
 心底安心して、ジルはその手を少女に伸ばした。拒絶されるかも知れない不安は、頼りない細い白い手の感触に払拭される。
 だが同時に、この手を守りきれるかという不安が彼を襲った。込み上げる漠然とした恐怖を彼は鉄の意思でねじ伏せる。
 ――キース、アン。必ず守るよ。この帝国の希望を。
 心の中でそう誓って、ジルはリディスを抱き上げた。




「リディス嬢。馬車にあった荷物はこれで全部だ」
 そう言いながらジルは出掛けに馬車に積んだバッグを、古ぼけた木の机の中央に置いた。
 おもむろに手を伸ばしそれを受け取ろうとしたリディスの手は、自分の背と同じくらいの机に邪魔されて届かない。慌ててジルはバッグを床に置き直した。
 恐る恐るボタンを外していけば、当然食べ物だとか洋服だとかが出てくるものと思っていたそこから意外にも最初に顔を出したのは、彼女が小さい時に書いた両親の絵だった。
 その絵を描いた時キースとアンは一日中顔をほころばせ、ついには居間に飾ってあった絵と交換してしまった。
 両親の笑顔を思い出し、リディスの手が止まる。やがて絵から顔を離した少女はバッグの残りの中身を全部床にぶちまけた。
 自分の描いた絵、造った粘土の作品、大事にしていた人形、好きだった絵本――………
 あんなに急いでたのに、こんなものをバッグに詰めていたのかと、自分の両親のことながら呆れてしまった。そして小さく笑う。笑ったつもりだった。でも出てくるのは後から後から流れて両頬を伝う涙だけ。
 今更ながらあの二人が死んでしまったことが悲しくて、耐えられなくて、どうしようもなかった。

 もういない。

 泣きじゃくるリディスを、ぎこちなく慣れない手つきで、だが優しくジルが抱きしめる。
 何も掛ける言葉は思いつかない。だけど泣いて少しでも楽になるならその方がいい。悲しいことを我慢するのは良くない。
 静かな山の深遠部に、少女の泣き声が風に乗って流れた。





 それから一年間。リディスの瞳に強い意志や輝きを感じたことは全くと言って良いほどなかった。ジルも不器用な性質で、余り気の利いた言葉は掛けてやれない。食事をちゃんと取ってもらうことで精一杯だった。
 そんなある日、帝国の幼い宰相の十三歳の誕生日の祭りのざわめきが、風に乗ってジルの山小屋まで届いてきた。
 滅多にしゃべらないリディスが「あの音はなに?」と不思議そうに問うのを見て、ジルは祭りが見えるところまで山を降りてみる事にした。
 少しでも、彼女の感情を刺激する何かが欲しかった。

「あれ……だれ?」

 宰相を乗せた大きな馬車が、大通りをゆっくり進んでいく。その様子を、二人は山を下る途中の高台から見下ろしていた。
 周りには歓声が沸きあがっていて耳が痛いほどだ。
 突然問われ、その瞳が誰を見ているのか分からず、ジルは聞き返す。
「あの、大きな馬車に乗ってる男の子……だれ?」
 視線を少年から一時も外さずに、リディスがもう一度問う。
「…この帝国の宰相、バシリスク家のラキア」
「………そう」
 眼下を馬車が通り過ぎた後も、その後ろ姿をリディスは追った。
「ねぇ、ジル? ジルは毎日修行してるでしょ? 強いのよね?」
「………それなりには」
 こんなに長く話してくれるのは本当は嬉しいことのはずなのだが、少女の声音が狂気を帯びている気がして、ジルの返答する声が強張った。構わずリディスは続ける。
「じゃあ、私に剣を教えてちょうだい。良いでしょ?」
「……………あぁ」


 この判断が果たして最善だったのか、ジルは死ぬまで悩み続ける。
 例え復讐に動かされていたとは言え、生気を帯び始めたリディスの瞳を無視することは出来なかった。間違った道を進もうというのなら、それを諭してやるのも自分の役目だと思えた。
 しかし彼がリディスを正しい道へと導く前に、彼もまたキースやアンと同じ道をたどることになる。





「ジル! ジル!!……っ、やだっ。ジルっ!!」

 戸棚の中に閉じ込められたリディスが出てきた時には、小さな小屋の中はあの日と同じ、血の臭いと色に染まっていた。一つ違うのは見知らぬ男たち十数人の血が混ざっているということ。
 そんな奴らのことはどうだって良い、しかしただ一人無事を願う人物は、その身を真っ赤に染め床に倒れていた。たった一人で十数人の手練の男たちを無傷で倒すだけの力をジルは持っているはずだった。
 でもそれは自分一人の身を守れば良い時の話。
 守るべきものが彼の後ろにいた。一歩も引けないかった。そしてこの小屋は彼の腕を最大限に引き出すには少し、小さすぎた。
「……リディ…、良く聞け。これからは一人で、生きていかなけりゃ――」
 駆け寄ったリディスはまだジルに息があることを安堵したが、次の瞬間発せられた言葉に表情を一変させた。
「やだ!」
 何とか手当てしようと傷口を見たが、肩から腰の辺りまで刀が深く抉った跡に絶望を覚える。
「一人で生きていくだけの力が……君にはある。私が、剣を教えた。君は誰にも負けな…い」
「嫌だ。一人にしないで。お願い、お願い、お願い。……私も一緒に――」
「駄目だっ!……っ、いいか?早く……ここから離れて。町に、紛れ込んで。む、向かって…きた奴は、容赦なく斬りなさい」
 どこにそんな力が残っていたのか不思議になる程の剣幕でリディスを叱り、ジルの呼吸は一層荒くなる。聞こうと思わなければ聞こえないほど、いつもは低くよく通る声が掠れていた。
「ジル…嫌だ、嫌だ。私は……また何も出来なかった」
「……リ、ディ…、私は、君が大好きだ。キースも…ア、アンも……。だから、君を、ま、守れた…事が、誇りだ。だから――」
 ジルの顔はその傷の状態とは裏腹に、とても晴れやかだった。微笑さえ浮かべていた。
 一回言葉を切り、小さく息を吸う。

「どうか、生きて。自分のために」

「あ………。じ、ジル…? 待って、待って!私、私まだ言ってないことが……、ジル!!」
 あの時もそうだ。何も分からないまま、大事な人は私を守ってどこか遠いところへ行ってしまう。
 剣なんて、習っても意味なかった。役に立たなかった。
 戸棚から出ようと思えば出られたのに、自分は怖くて、剣がぶつかり合う音や男の叫び声や大きな物音にただ怯えて、目を瞑り、耳を塞いでただ縮こまっていただけだった。

 本当はすぐにでもそこから離れるべきであった。でも少女は動かない、動けない。どこに行けば良いのか分からない。なぜ行かなくてはならないか分からない。
 結局自分は両親が死んだ時から何一つ成長していなかったのだ。

 そうしているうちに夜がやって来た。
 山の夜は暗い。ほとんど何も見えない。最初の頃は怖かった。暗闇が自分を飲み込もうとしていそうで、夜が来るたび怖かった。
 だけど、ジルがある日言った。
「外の暗闇より、私のほうが黒いでしょう?」
 夜が来るたび怖がっていたリディスに苦笑交じりに彼が呟いた言葉。
 思えば出会ったときから真っ黒な服ばかり着ていたと思う。夜より黒い人がいる。不思議とあまり夜が怖くなくなった。
 今も別に怖くない。自分の細い腕の中で動かない人を置いて、どこか遠くへ行くことの方が怖かった。

「何をしている?」
 開け放していた戸口から、鋭く冷たい声がリディスの背中にかかる。
 さっきの男たちの仲間か……、今ここで殺されるのはジルの意に反する。だけど、だけど体は動かない。
 緩慢な動きで戸口を振り返ると、黒いシルエットの長身の青年が立っていた。月明かりが逆光となり、その表情までは見えない。
「…………だれ?」
 少し見ただけで分かる。
 目の前の青年はきっと何の痛みも与えずに自分を殺してくれるだろう。
「アゼル。お前を迎えに来た」
 まただ。
 自分が何もしないうちに誰かが迎えに来てくれて、何も考えなくてもその人が連れて行ってくれる。導いてくれる。
 でも今度はついて行く気はなかった。そう、断じてついて行く気はなかったのだ。
「私は、いかない」
「……お前の生きる意味はなんだ? 復讐じゃないのか? バベルの宰相への報復ではないのか?……お前の居場所ならここにある。ついて来い」
 ついて行く気はなかった。でもそれは生きる意味を思い出す前の話だ。
 自分にはまだやるべきことが一つ残っていた。生への執着がまだ残っていた。それが彼女に青年の手を取らせた。今度は自分の意志。
 それから彼はジルの遺体を埋めるのを手伝ってくれた。
 始終無表情で冷たい瞳をしていたが、リディスには分かっていた。彼が自分と同類であることを。
 実体のない闇に捕まって、衝き動かされるように生きている。
「私は、リディス。リディス・ゾルディック」
 彼女は自ら、アシュハルトの第一皇子アゼルの手を取った。



「リディ、腕が上がりましたね」
「そうでしょ!?……そういえばジル、最近私のことを『リディス嬢』と呼ばなくなったわね」
「あぁ、何ですか?気になります?」
「べっつにー」
「……共に技を磨きあう剣の仲間として認めたんですよ」
「…本当?」
「えぇ。でも……、まだ貴方には足りない部分があります」
「当たり前じゃない。私は剣を習い始めてまだ……三年よ?」
「そういう技術的な部分じゃなくてですね……、言うなれば剣を振るう理由です」
「理由?」
「………人はね、何かを守るために戦う時が一番強くなれるんです」
「守る?剣は人を殺すためにあるのよ?」
「きっとそのうち分かりますよ。何かを守るために戦う時、貴方は一番強くなれるはずです」
「ふーん……。まぁいいわ。ジルが死にそうな時は私が守ってあげる!」
「ははは。光栄ですね。剣士リディス?」
「あ!今馬鹿にした!!」
「してませんってば。……楽しみにしてます、貴方が、成長するのを」

――もう、いない……。






←「リディスの場合」  TOP↑  「踏み出した先には」→