「円卓の結論」


 防音設備も完璧な会議室内の雰囲気は、あまり心地良いものではなかった。まぁ、今まで「心地良い会議」など片手で足りる程しかなかったのだが。
 そんな雰囲気を一掃するように、この会議を招集した人物、軍部最高司令官ミネルヴァ・コンスタントが口火を切る。
「本日はお忙しいところお集まり頂いて光栄です」
 光栄も何も……、拒否権などないだろうに。
 ラキアは内心で毒づき、この無骨で頑固な、軍人になるために生まれてきたような男を見やった。
「宰相殿、先日の夜会は大変でしたな」
「もう少し警備の者たちの視力が良ければ、護衛も大変な思いはしなくてすんだんだがな」
 もう少し警備の者たちが客の様子に目を配っていれば……。
 遠まわしにミネルヴァを非難する言葉を浴びせながらも、視線は先程セラフィーに渡された書類に落としたままだった。ラキアの刺のある物言いに苦笑を浮かべてミネルヴァは続ける。
「本当に申し訳ありません。以後このような事がないように尽力させて頂きます。……ですが、おそらく黒幕は――」
 微笑さえ匂わせる口調に、ラキアも無意識に顔を上げる。円卓を囲んだ他の面々の顔にも緊張が走る。
 だが、言われるだろう言葉は容易に想像がつく。今さら動揺することでもなかった。少なくともラキアにとっては。
「黒幕は、アシュハルトではないだろうかと」
 この言葉から察するに、襲撃犯たちは自分たちを雇った人物を吐かなかったのだろう。所詮使い捨ての駒でしかなく、その上首謀者は大体分かっているのに見上げた精神である。
「で? 今回会議を開いた趣旨を聞かせろ。まさか用件はこれだけではないだろう?」
 ラキアの澄んだ声音に会議室が静まる。
「もちろんです。………ラキア様、本格的な戦になりますぞ。ぐずぐずしてはおられません」
「………戦、か」
 ミネルヴァの言葉に無表情で返し、ラキアは黙った。
 誰も話す者はいない。みんな一様に視線をラキアへ向ける。痛いほどの視線が、全て一人の青年に集まる。
「アシュハルトが……、あからさまに敵意を向けてきたのは…確か十七年前の、内乱の後からだったな」
 確かめるように、誰に言うでもなくラキアが呟いた。
「そうです。ですからあの内乱にしても、アシュハルトの陰謀ではないかと言う噂が広がったのです」
 ミネルヴァが後を引き継ぐ。
 確かにそれまでは――内に何を秘めていたかは知らないが――バベルとアシュハルトは互いに同盟を結んだ仲であり、それなりに懇意にしていたのだ。
 それが、あの内乱を境にして、変わった。
 ラキアの元へ本格的に刺客が向けられてきたのは最近だが、実体のない悪意は幾度となくこの身に受けて来た。
「アシュハルトの動向を見ましても、戦を起こす気があるのは確かです」
 兵を集めて訓練している。兵器を作り、また買い集めている。兵糧を蓄えている。堀や壁を築いている。
 放った偵察からもたらされる情報はことごとくアシュハルトの裏切りを浮き彫りにして行く。

 バベルもアシュハルトも共にシャマイン大陸の二大大国だ。その二国以外にも様々な小国が名を連ねていたが、所詮は敵ではない。
 ラキアの生まれるずっと前、まだ王家が滅びず栄華を極めていた頃、帝国はアシュハルトと小競り合いを繰り返していた。実質被害を被っていたのは周りに隣接する小国の民衆であったのだが。
 それがどういう訳か、ある日突然同盟を組んだ。後で文献を調べても詳しいことは乗っていない。とにかく大陸の火種であった二大国家は同盟を結び、今日に至るまで大きな争いはついぞなかった。
 それが突然の裏切り。一体アシュハルトは何を考えているのだろうか。
 ただ単に、このシャマイン大陸に広がる広大な領地を手に入れたいだけかも知れない。
 しかし行動が唐突過ぎる。
 内乱の起こるまでは、ラキアの父親である前宰相もしばしばアシュハルトのケゼフ王と会談していたのだ。王はラキアを我が子のように可愛がってくれたし、内乱で死んだ父親とも仲が良かった。それよりも何よりも、ケゼフはバベルの皇帝ウォルスとは旧知の仲だったと聞く。
 ケゼフ王自身にしても、戦など到底起こしそうにない温和で気さくで、よく冗談を言っては自分で笑っているような男だった。
 一体ここに至った経緯は何なのか……。
 いぶかしんでも仕方ない。隣国が攻めて来る。ならば戦うしかあるまい。

「ミネルヴァ、戦力をどう見る?」
 しばしの思案の後、顔を上げたラキアの瞳は鋭く光っていた。その瞳に円卓を囲む面々が戦慄する。今や誰一人としてラキアから目を離せる者はいなかった。
「五分かと」
 即座に返答するミネルヴァを、ラキアが含み笑いと共に睨み返す。
「嘘を言え。少しこちらの分が悪いだろう」
「ですが挽回できます。貴方が命令してくだされば」
 ラキアが立ち上がる。皆がこの若い宰相を見た。
 小さく息を吸ってから発せられた声は、室内に確固たる信念を帯びて凛と響く。
「ならば命を下す。我が国はこれより臨戦態勢に入る。来るべきアシュハルトとの戦に備えろ! 負ける戦はしない、そのつもりで臨め!!」
 その場にいる誰もが背中に電流が走るのを感じた。
 普段は見せないラキアの鋭利な気がビリビリと感じられる。
 ――だからだ。
 ミネルヴァは一瞬気圧されそうになった我が身を叱咤した。
 ――だからだ。だからこの歳若い青年が一国の宰相となり得たのだ。
 この存在感、まとう雰囲気、気品。その全てに、魅せられる。常人にはない何かが備わっている。
 それは例えて言うならまさに「王家」の威厳であった。
「兵糧の量から言って、奴ら何をとち狂ったか冬に戦を起こすつもりらしい。我々は先手を打つ。秋にでも総攻撃を仕掛ける」
 渡された資料に無表情の視線を落としながらラキアは言った。
 兵糧の量が普通の戦に用意されるそれとは桁が違った。明らかに冬という季節の事を考えている。

 シャマイン大陸の冬はきつい。
 夏の陽気さとは打って変わって、残酷な白の女王が帝国に牙を向く。最下層の民たちは……可哀想に、冬を越せずに命を落とす者が少なくない。
 そもそもその昔、大陸の二大帝国が争い合って、なぜ「小競り合い」程度で済んだのか。余程戦力に差がないか、双方の士気が落ちるとこまで落ちていたか……、そうでないならどちらかが滅びるはずである。
 滅びなかったのは一重に、その雪のせい。
 冬が来るたび大陸に降り積もる桁違いの雪が、この二大帝国の戦争をしばしば足止めした。例え自国が優勢であっても、冬が来てしまえばそこまで。厳しい積雪に兵を引き上げるしかないのである。
 おかげで帝国が滅びることはなかったが、軍や民衆の疲弊は雪と同じ、積み重なる一方だった。
 その中で両国が同盟を結んだのは、国力が衰え、他の小国に攻められる危険性があったからかも知れない。もっとも攻められても返り討ちにするだけの力はあったはずだが。
 とにかく、それほど厳しい冬である。わざわざその時季を選んで戦を仕掛けようとするアシュハルトの気が知れない。

「でっ、ですが……、その場合他国にとっては、同盟を破ったのはこちらが先という事になります…が……」
 始終黙っていた一人の文官のぎこちない発言に、ラキアは顔を上げた。
「それがどうした。対面を気にして自国を滅ぼすのか? お前も官吏に就く者なら馬鹿も休み休み言え」
「はっ、はい!」
「どうしても大義名分が欲しいならくれてやる。そうだな……、夜会の襲撃犯に護衛が一人殺され、俺も重傷を負ったことにしよう。それで奴らを広場で公開処刑。やつらは黒幕を吐かなかったそうだが、吐いたことにすれば良いじゃないか。民衆に知らしめるためとあらば仕方ない、演技の達者な奴を雇って、アシュハルトの陰謀を処刑場で言いふらせ。当然アシュハルトのスパイもそれを見て本国に伝えるだろう。民衆及び近隣諸国には裏でアシュハルトが糸を引いていたと噂を流す。それで満足だな?」
 いつもは明るく光る紫紺の瞳が、今は鋭く冷たい色を放っていた。一瞬でも見てしまえば動けなくなる。まるで金縛りにあったように――。
「……ラキア様…」
 意見した文官の口から無意識に言葉が漏れる。彼自身気が付いていないようだった。
「冗談だ。そんな事せずともアシュハルトがこちらに敵対心を持っていることなど周知の事実。他国も馬鹿ではない、密偵を放って動向を探らせているだろう。この際、同盟を破ったのはどちらが先かは問題ではない」
 ――どちらが勝つか。それが問題だ。
「開戦は秋、これより二ヵ月後とする。冬まで長引かせるつもりはない、一気に片を付ける!」

 会議室の中の異様な雰囲気は、外で待っているリディスとセラフィーにも感じられた。






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