「真実への扉」


 紫の瞳と茶の瞳が空中で激しく火花を散らす。
 もし今、この部屋に彼ら以外の者がいても、ただの一言も――それ以前に、ほんの僅かな動きさえ出来ないに違いない。

「何を掴んだ?」

 窓の外で吹き荒れる風と、それに揺られる木々の音しかしない。陽はとうに沈み、シャマイン大陸は闇に覆われている。今夜は一段とその鋭さを増した月明かりが大陸を照らす。
 痛いほどの静寂が支配した宰相の書斎で、ラキアの声だけが凛と響いた。対するセラフィーは顔色一つ変えずに主を黙って見返す。
「お言葉の意味を理解しかねますが」
「読解力に欠けるんじゃないか?」
 どこか面白がるような気配が見え隠れする二人のやり取り。だが彼らの顔に薄く浮かんだ笑顔には、決して「楽しい」という感情は含まれていない。
 ラキアは机に軽く腰掛け、もう一度腕を組み替えた。もう何度目か分からない動作である。
 部屋の真ん中に配置されたソファと低いテーブルを挟んで、セラフィーが静かに立っている。その目は真っ直ぐラキアに向けられていた。
 いつも通りの彼らしい、控えめで忠実な態度はそのままに、しかし言葉だけは挑むように鋭い。
 ラキアの方もそれに呑まれることなく、手折れることのない強い意思をたたえた瞳で応戦する。
 二人の鋭利な視線が空中で交錯する。ラキアは真実を見透かすように、セラフィーはそれを頑なに守ろうとする。
 やがてふっとラキアが顔を背け、遠くを見るような、どこかぼんやりとした表情で呟いた。

「真実を知れば、その行動に支障を来たすと判断されるほど、俺はお前に信用されてないか?」

 再び向き合った彼の顔には、先程の挑発的な強気の欠片もなく、ただ寂しそうな微笑だけがある。この部屋に入ってから今まで、決して仮面を外さなかった茶色の瞳の執事が根負けしたように溜息をついた。

「人を丸め込むのが、上手くなりましたね」
「あまり褒められてる気がしないが」
「立派な褒め言葉ですよ。……相手にとって何が一番効果的か、本当に良く心得ていらっしゃる……」
「やはり褒められてる気がしないな」

 心外だと言うように眉を寄せる主人を横目で見やり、セラフィーは……彼にしては珍しく、一度決意したことを諦めた。
「話しますよ。元々貴方に言われて調べていた事ですしね。……ただ、聞いてしまえば、もう後戻りは出来ませんよ?」
「端から戻りたいなどと思ってない」
 凛と力強い言葉だった。
 セラフィーはただ黙って続く言葉を待つ。

「真実を知って、俺は先に進まなくてはならないんだ。後戻りをするどころか、俺は、あの日から一歩だって進んじゃいない。……話せ、全て」
「……仰せのままに」


 かつて帝国に突如勃発した内乱は凄惨極まりなく、描写するに堪えない。
 火種は一体何だったのか。
 民衆にしてみれば、事の発端が何であったかよりも、内乱が起こったという事実とその影響が大事である。それが一般的な国の在り方であるとしても、国の中枢部、すなわち国の政治を取り仕切る高官たちでさえも、なぜ後宮に被害が及ぶほどの内乱が起こったか皆目検討がつかないというのは、明らかに異常であった。
 謀反ののろしを上げたバベルの諸侯たち。彼らに手引きした者は一体何を望んでいたのか。
 全てがうやむやなまま闇に葬られ、事態を把握出来ていたかも知れない関係者たちは、ことごとく女神イシスの元へ永遠に旅立っている。
 結局、大方の文献に記されたのはその内乱の壮絶な傷跡、そして王家が滅びたことによるイシスの激怒の果ての大洪水。誰も彼もが勝手な憶測と推論を口にし、何が真実で何が嘘だったのかさえもう分からない。
 知らぬ事に違和感を感じることが出来る者も、わずかにしか残っていない。

 酷なことを頼んだと思う。
 何も残っていないのに、一体何を糸口にして調べ上げろというのだろうか。そう、何も残っていないはずだった。情報という目に見えない不確かなものも、そして目に見える確かなものさえも……。
 だからあの日、有り得ない人物が所有していた有り得ない物に、自分でも情けなくなるくらい取り乱した。
 王家の指輪。
 代々バベルの王となる者の指に輝くはずの、この世に二つと無い代物。
 嘘だと思った、偽物だと思った。持っているわけがないのだ、こんな……自分の護衛役につくような身分の彼女が。
 嘘だと思いたかった。偽物だと思いたかった。
 たった一つのちっぽけな指輪が、おそらく自分と彼女の進む道を百八十度変えるだろう。手にした瞬間それが分かった。
 捨ててしまおうかと本気で悩んだ。でも、出来なかった。
 なぜならこれは彼女が初めて見せた「リディス」が頼んだことだったから。護衛役としてではなく、復讐者としてでもない彼女が初めて望んだことだったから。自分が彼女にしてやれる、唯一のことだったから。奪うことしか出来ず、自らを責めることでしか見出せなかったものが、確かに今手元にあったから、どうしても手放せなかったのだ。
 捨てても何も変わらなかったかも知れない。
 でも、明らかに何か巨大な陰謀の歯車の一部を担っているであろうそれを、自ら渦中に放り込んだ。
 何の因果かそれは今自分の手元にあって、代わりに叔父が死んだ日から肌身離さず持っていた彼の遺品は、多分彼女の手元にある。


 無意識にラキアの手が、鎖に吊るされ彼の胸元に潜むそれに触れる。服の上から触ったにも関わらず、硬質な感触と冷たい金属の温度が感じられた。
 視線を前へと戻せば、セラフィーが少し強張った表情を浮かべているのが目に入った。  本当に酷なことを頼んだと思う。頼んでからあまりに大変なことに気づき、ラキアは執事に頼んだ件は取り消そうとも考えた。考えたがその実、彼なら本当に調べてきてくれそうな気がして。限りなく低い望みだったがゼロにしてしまうよりはと、そのままにしておいた。
 ――それが……、本当に調べてくるとは…。
 感謝や好奇心より先に、半ば呆れに近い驚きがわいた。
 一体どんな調べ方をしたというのだろうか。歴史学者や軍部が血眼になって探しやがて諦めた、内乱の陰謀者、王家滅亡の真実。
 昼間の多くの時間を自分の傍らで過ごしていた彼が、一体どんな調べ方をすれば、分厚い壁の向こうにある真実に手が届くというのだろう。

 色々な……自分の中では確かに「事件」と称せるような出来事があり、すっかり頼んだ理不尽な頼みごとは忘れていた。
 思い出したのは、気付けばいつも追っている彼女と過ごした短い想い出の中。
 期待が確信に変わったのは、忠実で仕事に関しては真面目な執事が、何の成果も得られないにしても、自分が頼んだことについての報告を途中経過でさえ一度もしていないという事実に思い当たった時。
 彼に限って忘れていたなどということはないし、何も伝えられることが見つからないからと言って報告を怠ることなど有り得ない。
 思い至る理由は一つ。
 「知らせたくない」、ただ一つ。「知らせる必要が無い」程度ならば、真面目な執事は忠実に真実を伝えるだろう。


 人払いは済ませた。余程緊急の事態でも起こらない限り、あと一時間はこの書斎にラキアとセラフィー以外の人間が立ち入ることはない。
 今まで二人を隔てるだけであった部屋の中央のソファに、向かい合って腰掛ける。
 ちらりと執事の様子を盗み見れば、どこか諦めにも似たふっきれた表情の中に、ふっと過ぎる不安と後悔。
 茶色の瞳の中に一瞬生まれたそれを再び奥底へ沈めて、セラフィーは彼の主の顔を真正面からしっかりと見据えた。

「さて、話しましょうか。十七年前の内戦……私が辿り着いた真実を」






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