『ここで見たこと、聞いたことは、決して口外するな』
 琥珀の瞳の青年は言った。
『もし秘密を漏らしたら、命はないと思え』
 耳元であんな恐ろしい声を聞いて、それでも心臓が止まらなかったのは幸いだったと、ニール三等兵はのちに語った。


「終わりと始まりと」


 慌ただしいいくつもの足音が聞こえたかと思うと、次の瞬間広間の大扉が盛大な音をたてて開かれた。
 先頭を来たのは荒い呼吸を繰り返すヴォルタ・シューリングスその人で。続いてやって来たのは彼が引っ張ってきた臣下たちだった。
 駆けつけた老人はケゼフの姿を見るなり膝から力なく崩れ折れ、あとに続いた男たちも一様に言葉を無くし呆然とする。
 ギルヴィアは毅然とした面持ちで彼らに近寄ると、静かに王の死と、至った経緯を話し始めた。


 王の体を床へ横たえたラキアに、リディスは鍵を差し出し言った。
「遅くなりましたけど、お返しします」
 受け取ろうと出しかけた手を、青年はふと思いついたように下ろした。
「それは君にやる」
「……え?」
「というより、本来それは君のものだ」
「リディス、もらう必要はない。鍵なんぞ、俺が渡したやつが一つあれば充分だろう」
「あっ、兄上!」
 予想外な声に二人が振り返れば、当然のようにそこにはアゼルがいて。驚いたのも束の間、ラキアはすぐに立ち直ると外向き用の笑顔で言う。
「アゼル様、余計な口出しは無用でございます。これは『二人の』問題なので」
「おや、宰相殿、では私達も兄妹として『二人で』話したいので離れて下さいますか」
「お言葉ですが彼女はまだバベルに籍を置いているバベルの官です。お話なら私を通してどうぞ」
 なぜか火花の散り始めた二人の間に挟まれてリディスは身を縮ませた。
 敵対関係であった領国の宰相と王子だから仲が悪いのだと思っていたが、どうやら根本的に合わないらしい。
 睨み合いから先に視線を外したのはアゼルだった。

「国葬の用意を」

 状況を把握し、いくらか立ち直りかけたヴォルタに向けて言い放つ。


 アゼルの瞳が、同じ色を有していた王を映す。
 今は琥珀の瞳も閉じられていて見ることは出来ない。そうしてみると本当に血が繋がっていたのか分からなくなってしまう。
 結局自分は、最後までケゼフ・アシュハルトという男を赦すことが出来なかった。
 溢れてきた憎しみや憤りや、やるせなさの全てを、この老人にぶつけずにはいられなかった。
 黙っていた分だけ、沈黙をずっと守り通していた分だけ、内に溜まった感情は一度吐露すれば止まらないのを自覚していた。それでも自分は抑えられなかったのだ。
「兄上、ありがとうございました」
 深く沈みかけた思考の合間を縫って、リディスの澄んだ声が脳に届く。
「兄上が、言ってくれたから……怒ってくれたから、私は赦すことが出来たんです」
 少女の言葉に脚色や偽りなど有り得なかった。ひたすらに真っ直ぐな彼女は言う。
「大丈夫です。私が、兄上とギルの分も、ちゃんと赦したから。王は、全部分かっていてくださったはずです」
「……そうか」
「そうです」
 揺るぎない調子で言われてしまえば、もうアゼルには何も言うことができなかった。
 男たちの手によって、王の遺体が静かに運ばれてゆく。無言で見送っていたアゼルに、今度はラキアが言いにくそうな声で呟いた。

「さっきのディアナ様のことですが、彼女は、ちゃんと貴方のことを……」
 想っていたはずだ。
 ジェラルダンの遺した資料を思い出す。何度か引っかかった不可解な箇所を思い出す。
 読んだ時は意味が分からなかったが、アゼルがディアナとケゼフの子だと言われた瞬間、謎は解けた。
 言葉を慎重に選んで続けようとしたラキアの耳に、「言うな」という短い声が響く。
 その時、アゼルがもう何もかも悟っているのが感じられた。
 ディアナが宛てたいくつもの手紙は、ちゃんと彼の手元へ届いていたのだ。
 彼女の最期の想いを託されたジェラルダンはアゼルに会う前に死んでしまったが、それでも彼はディアナの想いを知っていた。
「そろそろ、潮時だ」
 そう言って笑ったアゼルは、なにか吹っ切れたような清々しさが漂っていて。  ラキアはこの時初めて、このアシュハルトの第一王子が自分とそう変わらぬ歳なのだと実感した。

「アゼル様……こちらの方は……」
 恐る恐るといった感じで近寄ってきた一人の男が、ラキアとアゼルを見比べながら訊ねた。
 アゼルはちらりとラキアを見やると、
「バベルよりの賓客だ。丁重にもてなせ」
 言って、口元を緩めた。その笑顔はさっきの爽やかな笑いではない。どこか含みのある笑いにラキアはぎこちない笑みを返す。
「両国の間に停戦条約を結びにいらっしゃった。そうですよね、ラキア・バシリスク宰相殿?」
「……………ええ、もちろん」
 元よりそのつもりだったが、こう言われてはなんだか乗せられた気がして素直に頷けないのが正直なところだった。
 しかし、少し離れた所で嬉しそうな笑顔を浮かべている銀髪の少女がいるから、今は乗せられるのも悪くない。
 そんなことを考えながら、ラキアは広間を後にした。


 誰もいなくなった玉座の間に、外から真っ白な光が幾重にもなって差し込んでくる。
 白い光は床を跳ね、空間を眩しいほどに輝かせ、床に散らばった小さな宝石が色とりどりに煌いた。
 外では雪がそれはそれは静かに降り始め、優しく包み込むように大地を白く染めてゆく。

 こうしてシャマイン大陸二大国での長きに渡る争いに終止符が打たれた。
 雪の降りしきる季節のことだった。






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