目次  


 私の名前は阿古屋依良と申します。
 読みは、「イライラする」の「イラ」と同じです。発音も同じです。
 どういうつもりで両親が名付けたのかは知りませんが、結構この名前、気に入っております。
 性格は大らかであると自負しております。
 そんな事を言ったら、先日友人に「『大らか』を辞書で引いてみろ」と言われました。
 容姿は特に取り立てて美人と言うわけではないと思います。
 母譲りの長い黒い髪と瞳、それなりに白い肌。
 父に関しては、本当に私は彼の血を受け継いでいるのかと疑うほど似ていません。
 家は今時珍しい日本家屋で、といっても皆さんが想像するほど大きいわけではなく、良くある感じの二階建てです。
 そして今日、十月十日で私は花の十六歳と言うやつになるのです。

 もうお気付きかとも思いますが、そうです、私はごくごく普通の高校生なのです。
 いえ、正しくは「ごくごく普通の高校生だった」のです。
 十六歳の……誕生日までは――……












「ちょっ……何これ?」
「何って…、これがカボチャや大根に見える?」
「見えるわけないじゃない! えぇ、どう見たってこれは……これは…」

「可愛いお人形」
「趣味の悪い人形」

 少女とその母親の言葉が重なる。
 にわかには信じがたい言葉に、思いっ切り顔をしかめて依良は自分の母親、阿古屋優子を見た。
 どうやら彼女も同じ思いだったらしく、不思議そうに依良を見返す。
「何で? どこからどう見ても可愛いお人形じゃない」
「この等身大の……ぱっと見、人形か人間か区別もつかないほど精巧に造られた生々しい少年の人形のどこに、どこに『可愛い』と表現させるものがあるのよ!?」

 依良は誕生日のプレゼントにと差し出された目の前の物体を、気味悪そうにじっと見た。
 母親がそれを抱えて現れた時、どこの子供を誘拐してきたのだろうと驚いたほど、この少年をかたどった人形は……「人間」だったのだ。
 それも恐ろしく美しい顔立ちで、爪の先まで計算されつくされた「美」が、そこにはあった。
 漆黒の髪、瞳、白い肌。自分と同じ色のはずなのに、この少年にかかると違って見えた。
 ふと、自分が「人形」を知らない間に「人間」として見ていることに気付き、瞬間、全身に鳥肌が立つ。

「とっ、とにかく! 私はこんな物欲しくない! 返品してきて!!」
 不安を押し隠すように声音を荒げ、依良は人形を指差しながら訴える。
「返品は……無理ねぇ」
 母親のおっとりした口調が、尚更彼女を苛立たせた。
「何でよ!……それが出来ないなら粗大ゴミに出してよ! どうあっても私はこんな気味悪い物受け取る気はないわっ!」
「依良……、何もそこまで言うことないじゃないか。その人形が可哀想だろ?」
 今まで黙っていた父親、阿古屋隆久(たかひさ)が見かねて口を挟んだ。
 依良は彼に背を向けたまま間髪入れず答える。
「じゃあ父さんがもらえば良いじゃない」
「なっ…、いっ、いらないよ。夜中に動いたらどうするんだよ」
「……父さんも怖いんじゃない」
「………………」
 再び黙りこくってしまった父親を一べつし、依良はもう一度母親と向き合った。

「母さん、やっぱり――」
「依良、良く聞いて」

 先程までとは明らかに違う、真剣な眼差しと口調に、依良は思わず姿勢を正す。
 その様子を微笑交じりに見て、優子は口を開いた。
「この人形はね、お母さんの家系に代々伝わるものなの。詳しいことは母さんも知らないんだけど……聞く前におばあちゃんは死んじゃったからね。でも、悪いものではないの、決して。この人形はね、依良を守るためのものなのよ」
 そう言いながら彼女は人形の頭をそっと撫でた。
 まるで人間の少年にするように…優しく、愛情を込めて。
「……………は?」
「おい、まずは君の一族に伝わる能力について話した方が良いんじゃないか?」
 事態が全く呑み込めないでいる依良を見かね、また父親が口を挟む。
「あぁ、そっか。ごめんごめん。依良、『阿古屋』って苗字は私の家の苗字で、お父さんは婿養子に来たって話は知ってるわよね。でね――」


 隣の奥さんが懸賞に当たった事を話すような口調で、依良の母親は彼女の一族に伝わる力と、今回のプレゼントについての関係を話し始めた。


 阿古屋の一族には、「モノに命を吹き込む能力」を持つ者が時たま生まれるということ。
 その力を狙う不届きな輩が沢山いて、そういった者から阿古屋の一族を守るため、この人形がいるのだということ。
 最近は能力を継承する阿古屋は減って来て、彼女自身はその力は持ちえていないということ。
 そして能力があるかどうかはっきりするのは、その者が生まれてから十六年が経ってからなのだそうだ。


「依良は夜中の十一時半きっかりに生まれたのよ。だから後二時間くらいで能力を受け継いだかどうか分かるわね」
 さらっと何でも無いように告げる母親を呆然と依良は見た。
 数十秒遅れてやっと頭に届いた彼女の言葉を反芻(はんすう)すること数分。
「えーっと、ちょっと待って。仮に…仮に私がその力を受け継いでいたとして……こんなただの人形にどうやって守ってもらうの?」
 一度に押し込まれた情報の意外さに動揺しながらも、依良は思いついた疑問を口に出した。
 心配そうに父親が見守っているのが分かる。
「だから、ただの人形じゃないのよ。阿古屋の人形って言うのはね、普通は製作者の命のほんの一部を与えて作るらしいんだけどね。この人形は阿古屋の先祖がその命の全てを与えて作ったらしいの。今は動いてないけど、能力がある者に呼応して発動するようになってるらしいわ。」

 ――そして、その者を命に代えても守るように作られている。

 黙ってしまった依良を、両親はただ待つ。
 しばらくしてやけにすっきりした顔で少女は言った。
「分かったわ。もしかしたら私がその能力を受け継いでいるかも知れなくて、そのせいで狙われるかも知れなくて、だから守ってくれる人が必要で、それがその人形で、その人形が動くには私の能力が必要だと……」
「そうそう」
 我が意を得たりとばかりに母親が微笑み、微妙に張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
「要は私がその能力を受け継いでなけりゃいいんでしょ?」
「………え」
 再び凍りついた部屋の空気に構いもせず、依良は続ける。
「母さんも受け継いでないんじゃない。だったら私だって持ってないかも知れない。そうよ、そしたらそんな大変な思いしなくて済むんでしょ?私寝るわ、何だか疲れちゃった」
 呆然としたままの両親を後に残して、依良はさっさと席を立った。
 盛大にあくびをしながらすたすたと居間を出る。
 引き戸を閉めて自室に向かって廊下を歩いている途中、背後から両親が何事か叫んだのが聞こえた。


「行っちゃったな……」
 隆久がちらりと優子を見やる。
「あの子は……力を持っているわ…」
 依良には決して見せなかった不安げな表情で、我が子が出て行った戸を優子は見つめた。
 横に置かれた少年の人形の、異様な存在感を痛いほど感じながら――……












「ここ……どこ?」
 気がつくと真っ暗な所に自分一人しかいなかった。
 見渡す限りの闇。
 足元にさえ呑み込まれそうなほどの深い闇が広がっている。
「ここどこ!?」
 自分の声さえよく聞こえない。
「だっ、誰か!!誰かいないの!?父さんっ、母さん!」

 ――なぜ怖がるの?

「あっ、あなた誰!?」
 辺りを見渡すが誰もいない。

 ――貴方は因果を断ち切る存在。

 声は確かに女性のものだった。
 意味が分からず依良は聞き返す。
「因果? 断ち切る?……あなた誰?」

――お願い、貴方なら必ず解放できるわ。

「ちょっと待ってよ!だから何を言って……ってその前にあなた誰!?」

――ほら、光が見えるでしょう?それを辿って行くのよ。

「待って! 待ってったら! 光って……え?」
 だんだんと遠くなっていく女の声に甦って来た不安は、突如として現れた眩しい光に掻き消された。
 必死に光の方へ走る。
 だが依良が走る必要も無いくらい、光は急速に闇全体を覆いつくした。

――貴方に阿古屋の力を……

 最期に女が発した言葉は、依良には届くことなく、闇と共に消えていった。





「………っ」
 がばっと布団から体を起こす。全身が驚くほどの汗でびっしょり濡れていた。
 肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返す。小刻みに震える体を両腕できつく抱いた。
「何……いまの…」
 依良の呟きは暗い部屋に呑み込まれていく。
 そうだ、ここは、良く見知った彼女の自室。
 自らを安心させるように何度も言い聞かせる。


 ふと、視線をずらした先にあったものを見て、再び依良は凍りついた。
「……っ!!……何で…」
 人形だった。
 部屋の隅にちょこんと座るように置いてある。
「かっ、母さんが持って来たのよ、きっと……」
 誰に言うでもなく、ただ自分を落ち着かせるためだけに言う。この言葉が意味の無いものだと、彼女自身気がついていた。
 このままではこの部屋ではとても寝られない。人形と一緒の部屋では――……
 人形を廊下へ出そうと、進もうとしない両足を叱咤して少しずつ歩み寄る。
 触りたくは無いが仕方ない。

 その体に手を伸ばす。

「……えっ!?」
 風などあるはずがなかった。
 閉め切られた部屋に風など起こるはずがない。なのに――
「やっ、ちょっ、何これ!?……っ!」
 人形に触れた途端、触れた部分を中心に突如として巻き起こった風に、依良は顔を覆った。
 窓や押入れの扉がガタガタと音を立てて揺れる。
 机の上に置かれたものが畳に落ちる。
 彼女はと言えばその場に立っているのがやっとだった。

 やがてさっきまでの騒ぎが嘘のように、部屋は夜中の静けさを取り戻した。
「……なっ、何だったのよ……………って、わぁぁっ!!」
 顔を覆っていた両腕をどけて、現状を確認しようとした彼女の瞳が予想以上のものを捕捉し、大きく見開かれた。
 捉えたものから一歩でも遠ざかろうと足を引くが、先の突風で畳に落ちていた何かにつまづき転ぶ。
 尻もちをついたままの状態で、それでも依良は後退した。

「無様だな」

 上から降って来た余りにも酷い一言に、我に返った依良は改めて自分の前に悠然とたたずむ男を見る。
 そこにいるのは母親にプレゼントされた少年の人形ではなく、二十歳前後の青年の……どう見ても「人間」だった。

「誰でも突然不審者が現れれば慌てるわ!!」

 相変わらず尻もちをついたままの情けない状態で、それでも口調だけは勢い良く、依良は目の前の青年を睨む。
 不機嫌そうに、いかにも面倒だと言わんばかりに、睨まれた青年はふいっと顔をそむけ――
「……俺は不審者じゃない」
「じゃあ何よ!?」
 さっきまでの慌て振りはどこへやら、すっかりいつもの調子を取り戻した少女は噛み付くように叫ぶ。
 青年は眉間にしわを寄せ、彼女を見下ろすと、尊大な声音で一言。


「俺は一馬。契約によりお前を守る」




 私はごくごく普通の高校生だったのです。
 えぇ、十六歳の誕生日までは――……






←一場  目次↑  三場→