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「母さん! この無礼なガラクタ人形、今日の生ゴミと一緒に捨てちゃって!!」
「よりにもよって、世界で一番精巧に造られた俺に向かって…この馬鹿女!」

 怒りを滲ませた物凄い足音が、だんだんと居間に近付いて来る。
 眠気が一気に吹き飛んだ隆久は、新聞に集中して聞こえない振りを決め込んだ。

「あらまぁ、大きくなったわねぇ」

 制服姿の依良の後から居間に入って来た一馬を見て、優子はいつもの調子で笑いかけた。
 優子の言葉に隆久は新聞から顔を覗かせる。と、視界に入った人物に目を見開く。

「なっ、き…君何だ!!」
「あぁ? 昨日会っただろうが」
「………もしかしなくても――」
「そ、昨日の人形。気配で分かれよ」

 分かるわけがない。口を突いて出そうになった言葉を、隆久はぐっとこらえた。代わりにじとっとした視線を一馬に向ける。
 そんな隆久の様子はまるきり無視して、一馬は依良を押しやり居間の中央に進み出た。
 炊飯器からご飯をよそっていた優子が顔を上げる。
 一馬は二人が自分を見たことを確かめると、腕を組んだまま言った。


「契約により…不本意だが、この女を命に代えて守ると誓おう。安心しろ、俺に敵う奴はそうそういない」
「不本意って何よ!? 私だってあんたなんかに守ってもらうのは不本意よ!」
「あぁー…、うるさい。お前みたいにうるさい阿古屋は初めてだ」
「あんたみたいに失礼な人形も初めてだわ」

 それ以前に「動く人形」というもの自体が初めてだろう。突っ込もうかと思ったが、朝っぱらから疲れるのはごめんだと考え直し、隆久は優子から黙って茶碗を受け取った。
 ちらっと見れば、まだ依良と一馬は睨み合ったままだ。気付かれないように小さく溜息をつく。
「えーっと…君は――」
「一馬」
「あぁ、一馬くん。取り合えず…依良のことはよろしく頼んだ。力になってやってくれ」
「だから今力になると言ったばっかりだろ」
「………………」
 どうやら自分とこの人形とは気が合わないらしい。隆久は何も言い返さず、黙って朝食にありついた。
 依良も椅子に座り、母親から茶碗を受け取る。
「一馬ちゃん、あなたはご飯とか食べるの?」
「……いいや、俺は何も食べない」
「あら、そう。残念だわ」
 飲んでいた味噌汁を吹き出しそうになったが、何とかこらえて依良は自分の母親を見た。確か、今、彼女は「一馬ちゃん」と呼んだ。
 向かいに座っている父親と目が合い、彼も自分と同じ事を考えているのが良く分かった。
「でも、取り合えず座ったら? 立っていられると落ち着かないもの」
「なら外に出てる」

 それだけ言って、一馬は居間から姿を消した。


「母さん……ちゃん付けは、ちょっと………」
「そうだよ、そんな年でもないだろうに…」

 隆久も便乗する。不平を訴える二人の様子を、優子は不思議そうに見返した。

「あら…、でも元は少年の人形なんでしょう?」
「そうだけど!今はあんな大きいんだよ!?」

 でも…、と優子は納得のいかない顔で自分も朝食を食べ始めた。
 多分訂正されることはないだろうと、依良も隆久も瞬時に悟る。
 ある意味……、いや、どんな意味においても、この家で最強なのは彼女なのだ。一家の大黒柱の隆久でさえもそれに納得してる。

「さてと……、じゃあ私は学校行くね」
「えぇ、気をつけてね」
「………うん…?」

 多分気を付けてねと言った自分の言葉を、依良はあまり理解してないだろう。優子の顔に一瞬不安がよぎった。
 食器を流しに持って行くと、依良は「行ってきます」と告げて居間を出て行った。


「大丈夫だよ、優子。彼は……ずっと昔から阿古屋を守っていたんだろう?」
「えぇ………。でも、私が心配してるのは、それだけじゃなくて…」

 そりきり押し黙ってしまった妻の様子に、聞き返せないものを悟って、何事も無かったように食事を続ける。
 こういう時の彼女は、放っておくのが最善だ。長年の経験から導き出された対応策を、隆久は忠実に守った。












「ちょっと! 人の部屋に勝手に入らないでよね!」
 鞄を取りに部屋へ戻れば、戸の内側にはあの無礼極まりない人形がいて、依良は驚くと共に激しく抗議した。
 一馬は無視を決め込み、壁に寄りかかって立ったまま依良を見下ろす。
「……私はこれから学校行くから」
「…………は?」
 背中に刺さる視線を無視し返して、依良は自分の支度を手早く済ませる。
 そろそろ出なければ遅刻だ。振り返った依良の瞳が、何かを責めるような一馬を捉えた。

「……何よ?」

 貴重な朝の時間を切り裂いて、仕方なく聞き返してやる。

「お前、狙われてるんだぞ? それなのに…そんな調子で出歩くのか?」
「はぁ?外出しない人間がどこにいるのよ。ずっと家に居ろって?馬鹿じゃないの?あんた」
「馬鹿はお前だ。自分の立場が良く分かってないようだな」
「……代々の阿古屋がどういう生活を送って来たか知らないし、知りたくも無いけどね。私は、今までの生活を普通に続けるわよ」

 迷いは無かった。
 彼の口調から推測すれば、力を持った阿古屋の人間は…多分、その人生のほとんどを屋根の下で過ごしたのだろう。
 確かに命を狙われているのならそれが得策かも知れない。
 でも、自分はそんな風には生きたくはなかった。
 例え危険があるとしても、外界から隔離された世界で生きていきたくはない。

「あんた……随分と大きい口を叩いたようだけど、まさか私が出歩いたら守りきれないほど弱いの?」
「言うじゃねぇか。言っとくけどな、俺に敵う奴なんていない」
「なら問題ないじゃない。頼んだわよ」

 依良は鞄を取り、一馬の横を通り過ぎると、とっとと階段を下りていく。
 階下で玄関の開く音がして、一馬は見送ってしまった自分に気付く。

「やられた……」

 今までの阿古屋は、自分が力を持っていると分かると、ただ怯えた。
 それが当然のことだったのだ。周りにはまだ沢山の阿古屋が生き残っていて、毎日何かしら血生臭いことが起こっていた。力を継承した者が殺されたり、さらわれたりするのは驚くほどのことでもなかった。
 そんな中で十六年を生きてきた者が、自分がその立場に立った時に強く生きていけるはずがなかった。守られた場所から離れることは容易ではなかった。

 こんな女は初めてだ。でもその無謀さは彼女の無知ゆえ。やがて現実を知れば、彼女も変わる……。
 変わらなかった女を、一人だけ知っていた。
 だがそのせいで彼女は死んだ。それほど過酷なのだ、運命に逆らって生きることは…。

「すぐに音を上げるさ」

 小さく呟くと、一馬は走っていく少女の背中を眼下に見おろし、窓から飛び出した。






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