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 誕生日が来て、花の十六歳とやらになってみたけど全く良いことなんてない。
 それどころか、むしろ――……

「最悪」

 窓の向こうの景色をうんざりした瞳で見やり、依良は周りを気にせず大きな溜息をついた。
 生徒が何人か訝しげに振り返る。相手が彼女だと分かると、成る程といった表情で前を向き直す。
 依良は時計の針を手動で十二時にしたい気持ちを何とか堪えながら、二時間目の数学の時間を過ごしていた。





「……あの女…、後で泣かす」

 瞬時に凍りついた空気。
 彼が潜んでいる木で休む鳥たちが、一斉に飛び立った。葉がざわめく。

 一馬の視線の先には一人の少女がいる。
 他の者が皆前方を見ている中で、彼女一人だけが退屈そうに窓の外を眺めていた。
 今しがた何か呟いたようだが、口の動きから察するに多分ろくな事じゃない。
「何だって俺が…、あんなじゃじゃ馬娘……」
 今更何を言っても仕方がない。それでも一馬は不機嫌そうに眉をしかめ、溜まっていた空気を吐き出す。

 今彼がいるのは、学校の裏にこれでもかと言うほど茂っている木の一本。丈夫そうな枝に腰掛け、幹に背を預ける。
 目を凝らしてよく探すでもしなければ、生徒や教師に見つかる恐れはない。
 少女がよく見える位置に陣取った彼は彼女と同様、かなり退屈そうに暇を持て余していた。
 ふと、その驚くほど澄んだ漆黒の瞳が一瞬見開かれ、すぐに面白い物を見つけた子供のように無邪気に、そして残酷に笑った。
「さて…、暇つぶしでもしてくるか」
 どうやら退屈から抜け出せる何かを見つけたようで、彼は一度大きく伸びをすると、音もなく地面に降り立つ。

 その仕草一つ一つが人間のそれであった。






 依良は次に自分がすべきことを素早く考える。
 考えている間にも、相手の攻撃の手は休まることはない。
 とにかく今、ここで自分が何とかしなくては……。自分の行動に仲間の命運が託されている。
 一瞬の隙を突いて、依良は敵の前に躍り出る。しっかりと両足を地面につけ、構える。その目は真剣だった。
 ばしっと大きな音が響くと共に、依良の両腕と腹部に鈍い痛みが走る。
 だが、その瞬間彼女は不敵に微笑んだ。

「ふっ、まだまだね!こんな弱い球じゃ、この私は倒せないわよ!」

 両手でしっかりとクラス半分の命運を賭けたボールを掴みながら、依良は相手コートに向かって叫んだ。
「くそっ、やるな!しかし、こっちはまだ三人残っているぞ!そっちはお前だけだっ!」
「それがどうしたってのよ。甘いっ、甘いわ!金平(かねひら)くん。……ドッヂボールには元外というものが存在するのを知っているかしら?」
「なっ……まっ、まさか…」
「そうよ。うちのチームにはまだ元外が残っているのよ。(あおい)!戻ってらっしゃい!」
 突如もたらされた悪い知らせに目を見開いていた金平は、その名前を聞いて愕然とする。
 呼ばれた少女は軽やかにコートに足を踏み入れると、依良の横に並んで立った。

「はぁい。呼ばれて飛び出て佐々木(ささき)葵。自分で言うのもなんだけど、ソフト部期待の新人。中学の頃はエースを務めておりました。私が来たからには、あんたらに勝ち目はないね」

 一部の生徒から歓声が上がる。
 金平ともう二人の生き残り、そして撃沈されていった外野の生徒たちは、相手コートに立つ二人の美しくも恐ろしい微笑を見て、自分達の敗北を予感した。



「はぁー…、良い汗かいたわ」
 ぱたぱたと体操着を動かし、依良は火照った体に冷たい風を送る。
「本当。さて…、金平チームの皆さん。この試合を行う時の約束、覚えているでしょうね?」
 先程あんな剛速球を繰り出したとは思えない細い手を腰に当て、葵が言う。
「……向こう一週間の掃除当番は、俺らが責任持って務めさせて頂きます…」
「よろしい」
 悔しそうに声を絞り出す金平の様子には目もくれず、葵はぴしゃりと言い捨てた。
 途端にクラスを二分した、不満の呟きと喜びの叫びが四方から聞こえて来る。
「恨むならこの勝負を持ち出した金平と、金平を選んだ自分の判断力の無さを恨みなさいな。だから言ったじゃない。私は絶対勝つって」
 依良のよく通る声が体育館に響くと、負けたチームは押し黙る。そして気が進まないながらも、これからの一週間の掃除当番の割り振りを決め始めた。

「じゃっ、金平。一週間の掃除よろしく。助かるわ〜」
 依良と葵は後ろ手にひらひらと手を振りながら、騒がしい体育館を後にした。
 葵がちらっと振り返れば、負けたチームの生徒が金平に一斉に雪崩れ込んだところで、両手足が無事でなければ掃除が出来なくなるなと少し心配そうに眉を寄せた。



「あれね、金平って単純よね」
「その考察には納得するけど、何で突然その考えに至ったの?」
 ぽつりと呟いた依良の一言に、間髪入れず葵が返す。
「だって……、こんな勝負をする羽目になったのも、昼休みに私の『フェミニスト』って一言のせいだし。その後よせばいいのに罰ゲームまで勝手に決めちゃうし。挙句にクラス全員巻き込んじゃうし……んで、結局負けてるし」
「ただの馬鹿ね」
「葵って……口悪いわね」
「依良、あんたにだけは言われたくない」
 廊下をきびきびとした足取りで歩き、愛想笑いさえない二人の会話。話している内容にも色気は感じられない。
 おおよそ年頃の女の子とは思えない雰囲気を醸し出す女子高生二人。

 昼休み、金平が男友達とグラウンドに出ようと教室を出た時。丁度廊下を走っていた女生徒が彼の目の前で転んだ。
 当然彼は彼女に手を貸し起こしてやり、擦りむいた膝をみて「すぐ洗った方が良いよ」と優しく言った。
 それを見ていた依良が、「金平って結構フェミニストね。女の子と喧嘩なんてしたことないでしょう」と、さらっと言ったのだ。
 途端に彼は何やら耳を真っ赤にして怒り出し、散々依良と口喧嘩をした後に勢い良く一言。
「なら俺とドッヂボールで勝負しろ!俺は勝負事で女には手加減しない!!」
 売られた喧嘩は買う主義の依良は、当然その勝負を受けた。だが、いくらなんでも二人でドッヂボールは出来ない。何人か人数集めてきてくれるよう頼んだところ、結局彼はクラス全員を巻き込んだ。
 その上ただ勝負するだけでは手を抜く奴がいるだとか何とか言って、一週間掃除当番という罰ゲームも加える。

 その結果が、これ……。
 ノリの良いクラスで本当に良かったと思う。
 依良は更衣室に向かう二階の渡り廊下を歩きながら、ふっと視線を窓の外に移す。そして、固まった。
「……依良?」
 突然立ち止まった彼女を、葵は怪訝(けげん)そうに振り返る。
「ごめん、葵。先着替えてて、私用事」
「五分で帰って来なかったら先に帰る」
「………そういう奴よ、あんたは」
 小学校以来の友人の変わらない様子に呆れたように笑い、依良は今見えたものを全力で否定しながら駆け出した。




「あんた……、一体、何やって…んのよ」
 渡り廊下から裏庭まで全速力で駆けて来た依良は、珍しく息切れしていた。それでも怒ったような声音は失わない。
 不思議そうに見返してくる青年に向かって、彼女はもう一度同じ問いを繰り返した。
「何って……、見て分かんねぇのかよ。敵がいたから処分したんだよ」
 その後にぼそっと「馬鹿じゃねぇの」と呟かれた言葉はあえて無視して、依良は息を整えると一馬を指差して怒鳴った。
「あのねぇ!そんな物持って歩いてたら馬鹿みたいに目立つのよ!」
「いちいちうるさい女だな。俺のおかげで助かったんだ。感謝されこそすれ、怒鳴られる筋合いはない」
 その柳眉を寄せてぶっきらぼうに告げる彼の手には、半壊した人形が抱えられている。
 よく見なければ、そして事情を知らなければ、依良でさえ彼が気絶させた少年を抱えているように見えただろう。
 しかし生憎その少年は、腕が片方外れ、頭部に亀裂が走り、足は紐一本で胴体とつながっているような状態だ。これで人間だったらかなりグロテスクな光景だった。
「助かったって……、じゃあその人形は私を狙ってたの?」
「当たり前だろ。お前以外に狙われる奴がいるのかよ」
「……今まで一回もこんな事なかったわよ」
「それも当たり前。お前の力は昨日やっと覚醒したんだから」
 面倒くさそうに一馬が答える。それを咎めるでもなく、依良はじっとその腕に抱えられた少年をかたどる人形を見ていた。


 放課後の校庭から、どこかの部活の元気な声が聞こえる。
 下校する生徒たちの楽しそうな話し声が風に乗って耳に届く。
 多分、葵はもう帰っただろう。彼女はそういう奴だ。
 にぎやかな学校から、二人のいるこの裏庭だけが別世界のように静かに時が流れる。
「ねぇ…」
 やがてさっきまでの怒声を忘れさせるほど冷静に、依良が声を掛けた。
 半壊されて沈黙した人形から目線をはずし、一馬の両目を真っ直ぐ見つめる。

「ねぇ、阿古屋の力のこと……一つ残らず全て、私に教えて」

 ふいっと一馬は横を向き、「面倒くさいな」と一言呟いた。






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