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 一体起源は何だったのか、初めに何があったのか、誰も知らない。
 その力は一族が気付いた時には既に手の内にあり、存在を疑う者は誰一人としていなかった。


「で?」
 なぜか真っ直ぐ家には帰らずに、依良は寂れた神社へ一馬を連れて行くと、前触れもなくそれだけ言った。
 自分の意志とは関係なく連れて来られたことに少なからず不満を覚え、一馬はそっぽを向いたまま呟く。
「でって……、何が聞きたいのか具体的に言いやがれ。要領の悪い女だな」
「あんたはいちいちうるさい人形ね。具体的にって、全部よ!ぜ・ん・ぶ!最初から最後まであんたの知ってること全て」
「んなこと話してたら一日掛かるぞ、馬鹿」
「だったら一日中話せば良いでしょ、根性なし」

 肌寒くなって来た風が肌を刺す。いくら運動直後で暑かったにしても、セーターを学校に置いて来たのは選択ミスだったらしい。更衣室のロッカーの中に置き去りにしたそれを思い浮かべ、依良は少し後悔した。
 だがそんな様子は一切表には出さない。毅然とした態度で彼女は離れた場所に立つ青年を仰ぎ見る。
 さすがに人形と言うだけのことはあって、彼に季節など関係無いのだろう。薄手のシャツに、スーツと呼ぶにはラフすぎるズボン姿の彼は、肌を刺す寒風など全く意に介さないようだ。腕を組んで平然と立っている。
 自分と同じはずの黒い髪は、夕日に透けてさらさら舞っている。何の変哲も無い服のくせに、彼が着ると違って見えるのが無性に悔しかった。何が悔しいって、そんなこと考えてる自分が悔しい。
「……じゃあ私が質問するから、ちゃんと答えなさいよ?」
「早くしろよ」
 爆発しそうな怒りを残り僅かの理性で抑え、依良は質問に移る。どうやら不毛な争いは避けられそうだ。

「………まず一つ目。私が力を持っているんだったら、力が目覚める前……つまり、あんたが目を覚ます前に私を手に入れようとか考えても良いんじゃない?何でその敵とやらは、わざわざ私が覚醒するまで待ってんのよ」

 力と一緒にこの凶悪な人形まで目覚めてしまうのだったら、その時を待たずして自分をさらうなり殺すなりした方が余程利口だと思う。そうしないのは何か理由があるのか、はたまた敵もただの馬鹿なのか……今日一日何となく考えていた事だった。

「そりゃ、そうせざるを得ないからに決まってんだろ。力が目覚める前の阿古屋はただの人間だ。何の力も無い。奴ら力が覚醒しないと感知出来ないんだ。居場所が特定出来なけりゃ何も仕掛けられない。昔の阿古屋は一族で固まって暮らしてたから、居場所は分かりきってたんだが、今はもうお前ら位しか残ってないからな。居場所が分かるまで……つまりお前の力が覚醒するまで待つしかなかったんだよ」
 最後に小さく付け加えられた「これ位予想しろ」という言葉に、押さえつけた怒りが暴れ出す。予想のしようがないだろう。自分は何も知らないのだ。知っていた母親は自分に何一つ伝えなかったのだから。
 あまりに理不尽な呟きに、握った拳を震わせつつ、依良は二つ目の質問を口にする。

「じゃあ、二つ目…。この力……『モノに命を吹き込む』って母さんから聞いたけど、具体的にはどうすれば良いの?」
「そんなの本能で分かれよ」

 相手に対する礼儀を取り繕うこともなく、露骨に眉を歪めながら、一馬はそっけなく言い放つ。
 依良の我慢も限界だった。

「わっかんないから聞いてんじゃないっ、この馬鹿人形!人が下手に出りゃぁ良い気になって!ふっざけんじゃないわよっ!」
「それが下手に出た奴の態度かよ!この俺がお前の下らない話に付き合ってるだけありがたいと思え」
「はいはい、本当に良く分かりやすい丁寧なご説明ありがとうございました!……力、試してみるからその人形貸して」
 そう言って、依良は一馬の腕に抱えられたままの人形を指差した。ボロボロの粗大ごみと化した人形は、依然として沈黙を守っている。
 指が差す方向を目でたどり、合点がいったとばかりに「あぁ」と声を出した一馬は、呆れたように依良を見下ろした。

「馬鹿かお前」
「なっ、何がよ」

 ここ数時間で見飽きた、不満や不平をあからさまに表した顔ではない。わざとらしく浮かべた表情でもない。本当に、心の底からの呆れと脱力感をにじませた彼に、依良は戸惑いを覚える。
 言葉に詰まった彼女を一瞥してから、一馬は抱えていた人形をぞんざいに地面に放り出し、溜め息混じりに重い口を開いた。
「本当に何も聞いてないんだな……。阿古屋の力を使えばなぁ、確かにモノに命を与えることが出来る。だけどそれは自分の命と引き換えだ」
「……力を使ったら…、死ぬの?」
「いや、加減をすればいい。与える命の大きさに比例して、人形の能力の高さが決まる。その分、人形師……力を持った阿古屋の人間の事だ、その人形師の寿命が縮む」
 先程までの荒々しさは影をひそめ、一馬は淡々と説明していく。
 夕日は既に地平線に沈みかけており、空は薄っすらと紫色を帯びている。より冷たさを増す風が肌を打つが、依良は寒さを忘れて話しに聞き入っていた。
 言葉が途切れると辺りは静寂に包まれ、境内に植えられた木々の葉の擦れる音のみが寂しく風にのる。人がいるとは思えない程の静けさだと考え、ふと、この場に「人」は自分一人しかいないことに気付く。

「だから、人形師はそんな大したものは創らない。やっぱり命が惜しいからな。誰が好き好んで……人形何かのために、自分の命差し出すんだか……」

 紡がれた言葉は口の悪いものだったが、そこに非難や嘲笑の類は決して含まれておらず、不思議に思った依良は顔を上げる。
 無防備に感情をさらけ出したその顔はどこか苦しそうで、想像もしなかった一馬の表情に不意をつかれて、黒い瞳を心持ち見開いた。
 風に吹かれれば消えてしまうんじゃないかと思えるほど頼りない。出会ってから数時間で彼の特徴は把握したと思っていたが、とんだ勘違いだったようだ。彼にも過去があり、生きてきて積み重ねてきたものがある。人形だと彼は言うが、心の方はどうも人間とそう変わらないらしい。地面に無残に転がっているそのガラクタと目の前で押し黙っている彼が、同じ生き物だとはどうしても思えなかった。

 二人の間の二、三歩の距離を静かにつめると、無意識に依良の手が彼の頬を優しく触った。
 一馬は驚いてびくっと肩を揺らし、硬直した体はぎこちなく後ずさる。依良はといえば、自分のしたことに気付いて頬を真っ赤に染めると、取り残された手を慌てて自分の後ろに隠した。
 すっかり暗くなった神社の境内に、気まずい空気が流れる。

 いたたまれない空気に我慢できず、依良が顔を上げた時――…
 不意にガラっという戸の開く音がして、弾かれたように二人は音のした方を見やった。
「……何やってるんだ?そんな所で……。もう遅いから、部屋に入んな」
「とっ、父さん…」
 見れば境内の横に建てられた民家の縁側から、隆久が怪訝な顔で二人を見下ろしていた。手にほうきを持って、藍色の袴を着流している。この寒い中、裸足で下駄を引っ掛け、小走りで依良の元へ駆け寄る。
「大丈夫か?」
「えっ!?あぁ、うん。別に何でもない」
 依良と一馬を交互に見比べ、「何でもない」と表現するには少し妙な雰囲気に顔をしかめるが、隆久はそれ以上何も言わなかった。

「……あんた、何やってるんだ?」
 突然現れた隆久に、警戒心を隠しもせずに一馬が問う。問われた隆久はそんな彼を気に留めずにさらりと返す。
「何って…俺、ここの神主だから。掃除」
「あんたねぇ……。そこの家、うちの家よ?気が付かなかった?」
 呆れたように隆久と依良は一馬を見る。親子の眼差しに堪えられなくなったのか、一馬はふいっとそっぽを向くと「似合わねぇの」と負け惜しみのように呟く。
「母さんが、夕ご飯にするって」
「分かった。……ほら、あんたも。ぼけっとしてないで帰るわよ!」
 言うなり依良は一馬の手を取り、急に引っ張られて不平をたれている彼を無視してずんずん歩いていく。




 掴んだ手は柔らかかったのに、血が通っていない死人のように冷たかった。
 紛れもない「人形」であるその手の感触に、どうしようもなく悲しくなったのを覚えている。






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