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「洗いざらい、全部、話してもらいましょうか」
「………なんでそんな気合入ってんだよ、お前は…」
 あからさまな疲労を滲ませた声は、戦う前から劣勢を示していた。
 落ち着いて話すために移動した先は、例によってやはりあの神社で。幸か不幸か、常時あまり賑やかでないこの神社は、彼らの存在を無言で受け入れていた。
「私、知らないことが多すぎる。あんたは、話してないことが多すぎる」
 断定的な少女の口調はいたって真剣だ。向かい合う青年も平坦に答える。
「じゃあ訊けよ。お前が訊くなら、俺は答えてやる」
「だから、何が分からないか分かんないから、何を訊けばいいのかも分かんないの!」
「だったら、俺も何から話していいのか分かんねえよ」
「だーかーらっ! 最初から全部、知ってること全部教えてって言ってんでしょ!?」
「そんなことしてたら三日あっても足りねえんだよ。だいたいお前は知らなさ過ぎる! はっきり言って無知だ!」
「仕方ないでしょ、誰も教えてくれなかったんだから!!」
「知るか! そんなのお前とお前の母親の問題だ。本当なら優子からお前が話を聞きゃ済むことなんだよ。それを俺が、この俺が! 『訊けば答えてやる』っつってんのに、何なんだよその態度は!!」
「うるさいわね!! よくそこまでしょうも無い文句が次から次へと出てくるわ。私だって出来るんならそうしてる! そうよ、あんたみたいな分からず屋に教えてなんて頼むのはこっちだって不本意よ!」
「……っんだと、この馬鹿女!!」
「なによこのバカ男!!」

「………そろそろ止めにしたらどうだ?」

 何の感情も込めずに呟かれた言葉は、綺麗に二人の間を割って入った。
 話し出すと必ずと言っていいほど口論に発展してしまう依良と一馬も、この時ばかりは口をつぐんで振り返った。
 同時に二つの視線を受けてなお、この温度の無い声の持ち主、桐谷歳三は平然としていた。
「お前らは、いつもこうなのか…?」
 からかうでもなく、ただ事実を尋ねてくる彼の言葉はたちが悪い。
 思わず口ごもる二人に構わず、桐谷は続ける。
「時間が惜しい。人形師、何でも良いからとにかく何か質問をせい。でないと話が進まん」
「なんであんたが進行役なのよ……」
 ぼそりと吐き出した文句は、どうやら桐谷には効かないようで。仕方なく依良は渦巻く疑問の中から一つをひねり出す。
「あー…、じゃあ、一つ目。こいつって、人形なのよね」
 そう言って、依良は桐谷を指さす。小さくこぼした『指をさすな』という不満はさらりと流された。
「そうだ」
 簡潔な一馬の答え。だが、依良はまだ何か腑に落ちないらしい。
「じゃあ、晶さんは人形と結婚しようとしたの?」
「それは違う」
 思いのほか強い否定だった。
 拒絶さえ含んだ桐谷の声。依良の体に緊張が走る。
 再び口をつぐんだ彼の代わりに、一馬が後を引き継いだ。
「それは、禁忌だ。人間と人形は相容れない。二つが交わることは許されない。何があっても、それは許されないことだ」
 今までのどの言葉よりも、それは強く、意味を持っていた。息苦しさを訴える喉から、依良はかろうじて声を絞り出す。そうしなければ、得体の知れない不安に押し潰されそうだった。
「なら――……」
「そいつは元は人間だった」
「………え?」
 予想外の言葉。
 視線を移した先の桐谷はただ黙って二人の会話に耳を傾けている。
「人形師は、自分の魂を人形に移し替える術を持ってる。そいつは、人間の体を捨てて、自分で自分の魂を人形に繋ぎ止めて、今日まで生きてきたんだ」
「じゃあ……ある意味、不老不死じゃない」
 驚いた表情で少女は隣の少年を見やった。彼はこの体のまま、何十年も生きてきたのだ。
 状況の変化に翻弄され呆然とする彼女を、一馬の冷静な声が現実に引き戻す。
「それも違う。人形にはそれぞれ耐久年数がある」
「耐久年数?」
 一馬は軽くうなずいて、
「元々、人間と人形は全くの別物。たとえ、どんなに優れた人形師でも、与えた魂を永久に人形に繋ぎ止めておくことなんか出来ない。結局、乖離しようとする魂を、どれだけ長く人形に縫い付けておけるかってだけだ。全ての人形は、例外なく、最後にはモノに還り、魂はあるべきところへ戻っていく」
 淡々と告げられた事実は、その平坦さゆえに誤魔化されそうにもなるが、やはり重く。結論に行き着いた少女は表情を固くさせた。

 『遅かれ早かれ、人形は人形に戻る』

 その事実は、つまり目の前の二人にも当てはまることで。
 あえて確認しなくとも、それは揺るがない未来であるに決まっていた。
 避けられない未来が、果たして手に届くところまで来ているのかどうかなど、今の少女には訊くことなど出来ず、きつく結んだ口を再び開くのには、少々の時間が必要だった。
「……私には、私には何が出来るの?」
 やっと絞り出した声は掠れている。それでも、俯いていた顔を上げて、少女は続けた。
「私には何が出来る? 本当にあるのか、自分じゃ分かんないけど、阿古屋の力って、私の寿命を人形に分け与えることだけ? そもそも、人形って自分で作るの? 人形以外の……例えばその辺のガラクタにも、命って吹き込めるの? もしできるんなら――」
「ちょっと待て。一度にたくさん言い過ぎだ。混乱する」
 眉を寄せ、手を振って静止をかけた一馬に、今度は依良もおとなしく従った。しばらくの思案ののち向けられたのは、予想外に真剣なまなざしで。
「事実だけ言う。お前は阿古屋の力を持ってる。これは絶対だ。もう疑うな、疑うだけ無駄だ。それから……人形は、人形師が作っていた場合もあるにはあったが、ほとんど阿古屋の分家の奴らの仕事だった。一族が滅んだ今、もう新しくあんなに精巧な人形は作れない。だからと言って、人形以外のものに命を吹き込むなんて意味がない。
 人形師が命を与えられるのは、『人間のように動く』と自分が信じられるものだけだ。そのイメージが出来ない物に命は与えられない。仮に与えたとしても動きはしないはずだ」
 一度に与えられた答えを、依良は素早く頭の中で噛み砕いていた。そして言う。
「じゃあ、今、私に出来ることって……ほとんど、っていうか全然ないじゃない!」
 失望や情けなさ、やり場の無い怒り。いろんな感情が入り混じった叫びが、夕暮れの神社に響く。
 燃えるように染まった空が、三人の頬を赤く照らしていた。

「与えることができるならば、逆に吸い取ることもできる」
「……っ、おい!!」

 静かに放たれた桐谷の言葉。一馬がそれに憤慨してるのは明らかだった。
 意味も分からず、依良は反射的に問い返していた。
「吸い取るって……?」
「言葉通りだ」
「黙れ!」
 一馬の手が、桐谷の胸倉に伸びる。桐谷はそれを振りほどこうともしないで、無感情な双眸を彼に向けた。
「隠してどうする。身を守る術をこの女から奪う権利がお前にあるのか、一馬。奪って、それでお前は絶対にこの女を守る自信があるのか」
「………っ」
 少年を掴み上げる手に力がこもる。桐谷の方は相変わらず平静で。
 いびつな沈黙を破って少女は叫んだ。
「教えなさいよ!」
 弾かれるように一馬が振り向く。
「教えないさいよ、全部。出来ることなら何でも。可能性は全て。……するかどうかは、私が決める」
 響いた彼女の言葉は絶対的な力に満ちていた。
 一馬の手が、桐谷をゆっくり解放する。少年は過去に想いを巡らしたような間をおいてから、
「晶は……人形の力を吸い取ることもできた。それで、自分の身を守っていた」
「どうやって―……」
「それは知らん」
 え、と少女の口から音が漏れる。
「晶がどうやってそんなことをしていたかなど知らん。だが、あいつに出来たのだからお前にもできるだろう」
 おそらく、と付け加えることも少年は忘れなかった。

 結局具体的なことは何一つ分からないままだ。拍子抜けした面持ちで、依良は一馬を伺い見る。
 憮然とした様子で立っている彼に、軽い調子で声をかけた。
「そういえば一馬、あんたは誰につくられたのよ」
 投げかけた問いは何でもないはずのものだった。少なくとも彼女にとっては他愛の無い問いであるに違いなかった。
 すぐに返されると思った答えは、不自然な間をおいて紡がれる。

「物好きな女が作ったのさ。……その命の全てを懸けてな」


 少女が言葉の裏にある想いを知るのは、まだずっと先のことだ。
 日が暮れる。
 阿古屋依良の秋はこうして過ぎていった。



第一幕 完結





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