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 彼女が行方不明だと知れたのは、その日の夜だった。
 欠席した佐々木葵を訪ねてきた阿古屋依良に、葵の兄、佐々木千歳は「あいつ学校行ってないの?」と眉を寄せた。
 その時になってようやく、依良は最悪のパターンを予想したのだ。
 慌てて学校へ連絡した千歳が聞いたのは、「今日は病欠すると連絡があった」という無情なものだった。連絡してきたのは葵自身ではなく、もっと幼い声だったという。
 何事かときいてきた教師に「なんでもないです」と急いで答え、千歳は乱暴に受話器を置いた。
「……あいつ、家出ってガラじゃない」
 ぼそりと彼はつぶやく。
 もちろん依良も同意見だった。
「探してくるわ」
「俺も――」
「千歳くんはいてちょうだい! 連絡来るかも知れないでしょ!?」
「えっ、でも……」
「大丈夫だからっ、私一人じゃないから!!」
 そう言い捨てて依良は佐々木家を飛びだした。玄関を出た瞬間に彼女はありったけの声で叫ぶ。
「一馬!!」
 姿は見えないが、絶対に近くにいると確信していた。案の定、呼ばれた青年は音もなく少女の目の前に降り立った。
 どこから出てきたのか分からなかったが、今の彼女にはどうでもいいことだ。
「葵はどこ!?」
「……分からない。少なくとも、お前のそばで敵の気配は感じなかった」
「探して。巻き込んだかも知れない」
 少女は見たこともないほどの剣幕でまくし立てる。
「桐谷にも、一緒に探してくれるように頼んで!」
「なんで俺が……」
「お願い」
 真っ直ぐ見上げてくる少女の瞳から目をそらすと、苛立たしそうに一馬は舌打ちして言った。
「探してやる。だが、お前はこの家の中で待ってろ。それが条件だ」
 依良の返答を待つことなく、彼は地面を強く蹴った。軽やかに屋根へ飛び上がった彼の背中に声をかけることさえできず、少女はしばらくして仕方なく踵を返したのだった。



 連絡役として一人で他人の家のソファに座る依良は、さっきからずっと時計の針の音が気になって仕方なかった。
 葵の両親は共働きで、父親は今単身赴任中、母親はカメラ関連の仕事だったと思う。
 千歳は母親へは伝えようとしたらしいが、あいにく電話は繋がらなかった。会社に伝言を頼んだはずだが、いまだに母親からの連絡はない。
 いやな予感ばかり募ってゆく。
 これで彼女が笑って「ただいま」と帰ってきたら、死ぬほど嫌味を言ってやりたかった。
 だけど彼女は帰ってこない。
 いつもならとっとと家に帰りたがる葵が、夜の九時になっても連絡の一つも寄越さないなんて絶対におかしかった。

 急かすように、あおるように、秒針がカチカチと音を立てる。
 こんなに気になるならいっそ電池を抜いてしまおうかと立ち上がった時だった。
 まるで見計らったかのごとく、やけに大きな電話のベルが鳴り響く。
 依良の全身がビクッと震える。一瞬ひるんだ体を無理やり動かして、急かす受話器を手に取った。
「は、はい。佐々木……ですけど」
「ねえ、いつから君はササキになったの?」
「――……ッ!?」
 聞こえてきた声はそれはそれは可愛らしい幼い声。忘れるはずがない、間違えるはずがない。受話器越しにでも、相手が満面の笑みを浮かべているのが容易に想像できて、依良の背中が凍り立つ。
「無駄なことは言わない。聞きたいことは一つだけだよ。……親友がこま切れにされたら、どんな気分?」
「んなことしたら殺してやる」
 一瞬で体が熱くなる。燃えるような怒りがどうにも抑えられず、いつもより数段低い声が少女ののどの奥から這い出した。電話の向こうから響く呆れたような笑いが、依良の怒りをさらにあおる。
「相変わらずだね。もうちょっと時と場合を考えなよ。なにも殺すとは言ってないじゃない。……大丈夫、君が言うとおりにしてくれたらこの娘は返してあげるよ。もちろん五体満足で」
「当たり前でしょ」
「威勢が良いのは嫌いじゃないけど。あんまり暴れる鳥は、つい殺しちゃうかも知れない」
 底冷えのする鋭い声に、依良は口をつぐまずにはいられなかった。今は友人の無事が最優先なのだ。
「一馬には内緒で、今から言う場所においで。おとなしい鳥には、こっちだって優しくするさ」
 クスクスと楽しそうに笑って、相手は今はもう廃屋となった工場の名を告げる。
「じゃあ楽しみに待ってるよ」
「待っ……葵の声聞かせ――」
 言い終える前に電話は切れる。依良は自分の軽率さに舌打ちする。
 本当なら真っ先に確認すべきことだ。本当に葵が捕まっているのか、そして無事にいるのか。
 だけど、彼女には確信があった。あの愛らしい少女の仮面をかぶった人形が、無駄な嘘などつかないということを確信していた。
 彼らは「葵を捕まえた」という嘘をつく必要なんかないのだ。簡単にそうできるだけの力があるのだから。
「待ってて……葵」
 祈るようにつぶやいて、依良は受話器を置いた。
 ああ言われた以上、一馬を探すわけにはいかない。桐谷を探すことも考えたが、下手に動くことは葵の命がかかっている以上怖くてできなかった。
 ふと、電話の横に置かれているメモ用紙に目をとめる。そこへ工場の名を書きなぐって依良は佐々木家を飛び出した。
 肌を突き刺す寒ささえ、今の彼女には気にならなかった。




「あの馬鹿……ッ!」
 勝手に家に上がりこんで、勝手に電話の横のメモ帳を読んでいる青年に、千歳はなんの言葉もかけられなかった。それくらい青年の顔が怖かったのだ。
 振り返った青年は、この非常事態のときでもハッとするほどの綺麗な顔立ちをしていた。千歳の姿に驚くでもなく、彼はグイッと手に持っていたメモ帳を突き出す。そこには一見文字には見えない汚い字が走り書きされていた。

「ここへ連れてけ」

 まるでそうするのが当然のように、青年は傲慢に言い放ったのだった。






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