何の問題も無い人間なんか、この世界にはないはずだ。あるとしたらそいつらに自覚が無いだけの話だろう。多かれ少なかれ誰だって何か抱えて生きている。
 だからきっと、あいつにも何かあるんだろう。

 鋼鉄の女、大東(だいとう)かの子にも。抱えてる何かは、きっとあるんだろう。


「球状星団M13」


大東かの子についての考察、その1

 大東かの子は優秀だ。勉強は出来るし、運動神経も、まあ並にある。容姿もそれほど悪くない。品行方正で、性格は……とやかく言えるほど良く知らないが、悪くはないだろう。教師受けも良いし、実際器用に何でもこなす。何か頼まれて嫌な顔したとこなんて見たことない。
 俺は大東かの子を見るのが嫌いだ。奴がやってること全て理解できなくてムカツク。教師どものいうこと聞いて、勉強ばっかして、楽しいことなんてあんのかよ。
 あいつが嫌な顔したとこなんて見たことないが、笑ってるとこだって見たことないんだ。



 長い眠りから覚めた関口仁(せきぐちひとし)が、一番初めに見たのは自分の机で、その次はななめ前に座っている大東かの子の後ろ姿だった。
 赤く夕陽が差し込む教室には、彼ら二人しかいない。いつもは狭いこの空間が、今はやけに大きく感じる。
 確か午後の授業は全部夢の中で受け、おぼろげに記憶にあるのは、プリントを各列に配布していた担任の教師の姿。あれから一体どれだけの時間が過ぎたのだろう。多分相当寝ていたはずだ。教室と言わず、校舎全体に人気(ひとけ)が感じられない。
 関口はゆっくり身を起こし、何も出されていない机の上に軽い鞄を置く。視界の隅で無視していた女が振り返った。

「関口君、これ、配られたプリント。今日中に集計取るそうだから」

 抑揚のない声でそう語った大東を、関口はまじまじと、奇妙な物でも見るような目つきで見た。
「あんたさあ、そんなものの為にわざわざ残ってたのかよ」
 大東は不機嫌そうに言う関口の手元に、進路調査書の用紙を置く。
「別に、用事ないし」
 そういう問題じゃない、と心の中で呟きながら、関口は手に取ったプリントを無造作にポケットにしまい込んだ。鞄を片手に背負うと、出口へ向って歩き出す。
「おい」
 左手をドアにかけながら、苛立たしそうに言う。
「良いのかよ」
 自分も机の上のものを片付け、帰る準備をしていた大東が手を止め、無表情のまま首だけめぐらす。細いフレームの眼鏡が一瞬光を反射した。
「……何が?」
「あんた、今プリント提出させるために待ってたんじゃねぇのかよ」
 背中越しに、大東が意味を解した気配がする。
「違う、渡すために待ってた」
「だったら机に置いときゃ良かっただろ。それか起こせば良いんだよ」
 大東が返す一言一言に無性に苛立つ自分がいる。そしてそんなことで苛立つ自分に、さらに苛立つ。悪循環だと知りつつも止める事はできなかった。
「今日、暇だったから」
「俺は迷惑だ」
「ごめん」
 力任せに開けたスライド式のドアが、壁に当たって跳ね返る。その音は静かな校舎に一際大きな音を残した。その余韻が消える間もなく、廊下に関口の粗雑な足音が響き始める。
 背中に、大東かの子が支度を再開した気配を感じた。





大東かの子についての考察、その2

 大東かの子の行動原理が一体何なのか分かれば、いちいちムカつかなくて済むんじゃないだろうか。そう思い至ってここ数日あいつを観察してるけど、一向にやつの「行動原理」は読めなかった。
 最初は積極的にクラスの事とかやってんのかとも思ったが、積極的というよりむしろ消極的な雰囲気が漂ってる。言われたからする、頼まれたからやる、そんな雰囲気だ。
 そのくせ嫌そうじゃないし、引き受けた仕事や役割はきちんとこなす。

 大東かの子には友人と呼べるようなやつが見当たらない。
 暗い、というより「淡白」という言葉がやつには似合う気がする。それが周りに人が寄ってこない理由だろう。冗談なんかが通じる相手には思えない。
 まぁ、友人がいないという点では、俺も人のことは言えないが。



「関口、提出物はきちんと期日を守れ」
 教師が神経質そうな声で言った。椅子に座る男は無言で見下ろしてくる関口から目を逸らし、今度は彼の隣に立っていた大東かの子に向き直った。
「大東も大東だ。頼んだだろ? 昨日までって」
「すみません」
 大東は起伏のない声で謝った。その声からは彼女の真意など一欠けらも読み取れない。
「……もう良いよ。大東は帰って良い。……関口は…、取り合えず提出な」
「……………」
 大東かの子は軽く一礼してから、関口の横を音もなく通り過ぎていった。
 黙って制服のポケットに入れた関口の手が、確かに薄い紙の感触を伝えてくる。手に触れたそれを引き出して目の前のデスクに投げるように置いた。
「まだ決まってない」
 ぞんざいに差し出された進路調査のプリントには、元から印刷されている文字以外に何も書かれていない。それどころかしわくちゃな折り目が付いたそれをみて、教師は眉をしかめた。それを見ることもなく、関口は踵を返す。
 名前を呼ぶ耳障りな声を無視して、職員室を後にした。
 廊下へ出た彼を待っていたのは大東かの子の後ろ姿だった。扉を出てすぐの所にあったその背中を危うくよけて、彼は立ち止まった。

「やっぱり、俺に出させなきゃまずかったんじゃねえか」

 遠ざかっていく背中に言い放つ。大東は振り返ることなく足を止めた。
「私、プリント渡すように言われただけ。先生は忘れてるみたいだけど」
「じゃあ、そう言やあ良いだろうが」
 焦燥にも似た苛立ちは、関口自身にはどうすることも出来ない。声を荒げた彼に、廊下を歩く生徒の視線が集中する。
 関口のすぐ前にたたずむ大東がほんの少し振り返った。表情は見えなかったが、わずかに口元が視界に入る。
「……面倒くさいから」
「……………は?」
「いちいち言い訳するの、面倒くさいから」
 平然とそう言ってのけると、大東はさっさとその場を後にした。取り残された関口はしばし身動きできずに突っ立っていたが、後ろの扉から出てきた教師に邪魔だと言われて歩き出す。
 そしてその足で裏庭へ行き、彼は午前中一杯をそこで過ごした。





大東かの子についての考察、その3

 大東かの子は何も考えていない。
 あの不可解な行動の裏になにか深い理由が隠されているなんて考えは俺の買いかぶりだったのだ。
 理解しようと思えば思うほど、大東かの子という存在はより希薄に、より遠ざかっていく。あいつには一貫した行動原理なんてないのかもしれない。その場その場でなんとなく生きてるんだ、きっと。
 大東かの子を観察するのはそろそろ止めようと思う。考察は全て不毛に終わるのが目に見えているからだ。あいつを見始めてからというもの、訳の分からないストレスが溜まってしょうがない。
 結論、大東かの子は他人をイライラさせる才能に長けている。以上、大東かの子についての考察はこれで終了とする。



 関口仁が大東かの子を避けるようになって数日が経った。学校生活はゆるゆると緩慢に過ぎていき、生暖かい日常は関口を苛立たせもしなかったが、楽しませることも同時にしなかった。
 だから彼は今日もここで寝転がる。彼の指定席。学校の裏庭の陽だまりで、彼はぼんやりと空を見上げていた。
「面倒くせえなあ……」
「何が面倒くさいんだよ、関口よォ」
 不意に頭上からふって来た声は、関口にとって不快以外の何者でもなかった。無言のまま視線を持ち上げれば、そこには何となく見覚えのある顔が大よそ「爽やか」とは言い難い笑顔を浮かべていた。
「こんなとこで優雅に昼寝かよ。イイご身分だなあ、おい」
「……………」
「……黙ってんじゃねえよ。お前のその、他人を見下した目が前から気に食わなかったんだ!」
 確かにその男子生徒はどこかで見た顔だったが、彼が定期テストで毎回一位を取っている「影山淳(かげやまあつし)」だとは、関口が気付くはずもなかった。そもそも、関口は「影山淳」という名さえ知らないだろう。
 どんな顔をしていいか分からずにぼんやり見上げていると、影山は痺れを切らして叫んだ。
「何様のつもりだよ! そんなだからお前には友達の一人もいねえんだよっ。みんな言ってるぜ? 『うざい』って。お前みたいな奴は一生一人だよッ!!!」
「何が言いたいんだよ」
 初めて関口が口を開く。「あんた、わざわざこんなとこまで来て、俺に何の用だよ」
「用なんてねえよ! 誰が、誰がお前なんか!! ………目障りなんだよっ、みんな…みんな努力してる中で、お前はいかにも余裕そうに――……俺たちのこと見下して、馬鹿にしてんのが見え見えなんだよ……ッ!!」
「………八つ当たりかよ」
 影山の頬がサッと紅潮する。図星を突かれて口ごもったものの、彼が関口を睨む瞳の力は凄まじいものがあった。
 そんな影山に一瞥をくれ、関口は立ち上がる。いかにも気だるそうに去っていく少年の背に、影山の鋭い静止がかかった。
「いつか絶対後悔するからな、関口仁」
 暴言に堪えた様子など微塵もみせずに、関口仁は悠然と姿を消した。


「お前が他の生徒のカバンから抜き取ってるのを見た生徒がいるんだぞ」
 担任の教師に呼び出されたのは、その日の放課後だった。野太く遠慮のない声は職員室中に響き渡り、多くの教師やその場にいた生徒を振り向かせる。
「黙ってても解決しないぞ。正直に言わないと、こっちも対応できないだろ? お前はなんだかんだで、まだ目立った問題は起こしてないし、停学もこれが初めてだろ? 退学の心配なんて全然ないから、正直に言ってくれないか。何か理由があるなら、先生だってできるだけ協力するから」
 椅子に座って見上げてくる教師の目を、関口は真っ直ぐ見返した。睨むでもなく、怯えるでもなく、気後れする様子など微塵も見せない彼の視線に堪えきれず、教師はふいっと横を向いた。
 もとよりこの教師は関口が犯人だと信じて疑わない。情報はよほど信用の置ける生徒によってもたらされたのだろう。
 関口の脳裏に先刻の男子生徒の姿がよぎる。
「だいたいお前は、日ごろから先生たちに……大人に対する敬意が足りない。自分は特別だ、みたいに思ってるんじゃないぞ。後で痛い目を見るのは自分だからな」

――……『いつか絶対後悔するからな、関口仁』

「友達もあんまりいないだろ? 高校時代で一番重要なことだぞ。もう戻ってこないんだぞ」

「うるせえよ」

 表面をなぞるだけの言葉も、気遣わしげな表情も。それでいて、人が大勢いる職員室で話をする無遠慮さも。なにもかも。なにもかも……
「停学でも退学でも、させたきゃさせりゃ―――」

「彼、やってませんよ」

 あまりにも軽やかに、あまりにも自然に、その言葉は関口の前に割り込んだ。
 視線をわずかに横へとずらせば、いつからいたのか、大量のプリントを抱えた大東かの子が立っていた。
「彼じゃありませんよ。私、今日は彼とずっと一緒にいましたから。彼が一人で教室に残る機会なんてなかったし、見間違いだと思いますけど」
 そう言いながら、大東はプリントの束を呆然としている教師に半ば強引に押し付けた。
「じゃあ、失礼しますね」
 踵を返しさっさと大東は去っていく。いまや職員室中の視線が彼女に集中しているというのに、当の本人は全く気付いてないようだった。
 職員室の戸が軽快に閉まる音で、教師はハッと我に返る。
「あっ……あー…そうかそうか、いや、関口が何にも言わないもんだから――……」
 最後までは聞かなかった。絡みつく静止の声を振り切って、関口は駆け出す。
 当てずっぽうに走った彼が大東かの子に追いついたのは、渡り廊下の真ん中に差し掛かったときだった。
「何で、嘘ついた」
 大東の背中に向けて詰問する。
 くるりと彼女は振り返った。両側にたらした三つ編みが揺れる。彼女の答えはあまりにも簡潔だった。
「困るから」
「何が」
「関口君がいなくなるのが。それがたとえ、数日で戻ってくる停学だったとしても」
 大東かの子が一度にこんなに長く話しているのを見るのは、正真正銘、これが初めてだった。
 変なところに驚いて、関口の問いが遅れる。数歩先の大東かの子は相も変わらず無表情だ。
「………何で」
 意味も分からず、関口の鼓動が乱れる。
「……影山君」
「は?」
 予期してなかった名前の登場に、彼は間抜けな声を漏らす。カゲヤマなど知らなかった。
「影山君、多分あなたのこと嫌いだって言ってるのと同じくらい、あなたのこと好きなんだと思う」
「は?」
「だから、許してあげて」
「………………」
 裏庭で、純粋すぎるほどの憎悪を向けてきた男子生徒。自分に濡れ衣を着せた生徒。カゲヤマ。三つが今、関口の中で一つにつながる。
 一気に疲労がふき出して、彼は大きくため息をついた。渡り廊下からは沈み行く夕日こそ見えないが、確実に夜へと近づいていく空は見渡せる。
 真っ赤に燃える空を見ながら、少年は口を開く。
「お前、意味分かんねえ奴だな」
 視界の端で、大東かの子がわずかに身じろぎしたのが分かった。
「どこの星の住人だよ」
「……球状星団M13」
 まさか答えが返ってくるとは思っていなかった。ばっと振り返った関口の目に、信じられないものが映る。
 大東かの子が笑っていた。
 ふわりと、今にも消えてしまいそうなかすかな微笑。
 関口の口から、掠れた声が漏れる。
「それって……お前、馬鹿じゃねえの」
「冗談言うから、冗談で返したんだけど」
「………笑えねえよ」
 そういう関口の口元も緩む。
 今になってやっと、自分がずいぶん長い間笑っていなかった事実に気付いて愕然とした。
「お前の冗談は、冗談に聞こえねえ」
「………そう?」
 不思議そうに小首を傾げる大東に、関口は歩み寄る。吐息がかかるほどの距離で立ち止まると、耳元で小さく呟いた。
「なあ、さっきの言葉。俺は期待してもいいわけか?」
 鋼鉄の女が、ひゅっと息を呑むのが感じられた。だけど緊張しているのは彼女だけじゃない。
「わ…たし、十二分に分かりやすかったと…思うけど」
 声のトーンは一緒なのに、途切れがちなその言葉。見ればわずかに彼女の頬は紅く染まっていて。

「じゃあ遠慮なく期待させてもらう」

 無機質だった風景が、途端に鮮やかに色づき始める。
 大東かの子が、隣にいるというその事実だけで。





大東かの子についての考察、追記

 大東かの子は恐ろしく単純だ。
 自分が嫌じゃないことはするけれど、自分が嫌なことは頼まれたってしないのだ。その上自分の欲望に忠実すぎる。必要とあらば平然と嘘も付くし、教師にも刃向かってみせる。
 大東かの子はときどき笑う。
 今のとこ、それを見たことがあるのは俺だけで。
 大東かの子の冗談を聞いたことがあるのも、多分俺だけで。


 最後になったが、大東かの子は俺のことが好きだ。
 かなり好きなんだそうだ。


 これをもって、大東かの子についての報告は終わりにしたい。
 本当の彼女を知っているのは、今のところは俺だけで充分だ。
観察者 関口仁







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