魔女と生贄 (前編)

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「これで99人目だぞ!?」
 力任せに机を叩く音が空気を揺らす。みな一様にビクっと肩を震わせて、一言も喋らない。
 誰もが深刻そうに顔を歪めている中、ただ1人、いつもと変わらない穏やかな調子で口を開く。
「あと1人ですねぇ……」
 緊張感に欠けたその声が、手狭な「対魔術部捜査一課」の室内にやけに大きく響いた。薄い青色の長い髪をポニーテールに結んでいるその男は、頬杖をつきながら溜め息をもらした。彼なりに悩んでいるようだったが、どうにも緊迫感が足りない。
「……そうだ。あと1人で儀式の準備が完了する…。そしたら、とんでもないことになるんだぞ?」
 先程机を叩いて立ち上がった男が、力なく課長の椅子に沈み込んだ。責めるように青色の髪の男を睨む。
「分かってますよ。やだなぁ、僕だって『召喚の儀式』のことくらい知ってますって」

 『召喚の儀式』、それは魔界の悪魔を召喚する儀式のこと。召喚主は1つだけ悪魔に願いを叶えてもらえるという。だがその儀式には当然ただというわけではない。
 魔法が未だに現存しているこのアーテル王国においても、魔術による被害は滅多に無い。魔法を代々受け継ぐのは女のみ、つまり魔女と呼ばれる者達だけだが、先帝の魔女狩りで大分その数を減らした。
 今ではまともな魔法を使える魔女はごくごく僅かである。しかしその「ごくごく僅か」の魔女達が……始末に終えない。
 厳しい魔女狩りを生き抜き、今の世まで生き残ってきた魔女達はそれだけ心身ともに強いのだ。彼女達に暴れられては一般人はなす術も無く、ただ指をくわえてその気まぐれや怒りが通り過ぎるのを待つしかない。
 そこで設けられたのが「対魔術部捜査一課」。「一課」と銘打ってあるが、後に続く「二課」は無く、割り当てられた部屋は驚くほど狭い。追い討ちをかけるようだが、勤めている職員の人数はたった5人。
 そんな窓際族になりかけている彼らに突如舞い込んだのは、余りにも大きすぎる仕事だった。

 今から2ヶ月ほど前、刑事部の方へ一通の被害届けが出された。被害者の男はこの辺りで名の通った剣士であり、彼が被害に遭ったと言うからどれ程の事件かと刑事部の面々が息を呑む。
 彼は言った。盗難事故に遭って、盗まれたものは、「努力」だと。
 誰もが「彼は気が狂ったのだ」と判断した。それも無理は無いだろう。「努力」が盗まれたなどと、そんな詩人のような話は刑事部には必要ないし、聞いている暇も無い。だが、1日と経たず次の被害者が出る。
 その後は蟻塚をつついたようにわらわらと、次から次から被害者が刑事部へ押しかけて来て、彼らは口を揃えて「剣の腕」が盗まれたのだと喚いた。その上犠牲者の中に、国王の側近や名のある将軍まで出てきてしまい、既に事態は収拾が付かなくなっていた。
 やっと事の重大さに気付いた刑事部が調査に乗り出す。最初の被害届けが出されてから五日後のことだった。この時点で既に被害者は15人に達している。
 調査の結果、犯人は魔女である事が判明した。それも恐ろしく腕が立つということも分かった。幾ら魔法が優れていようとも、被害者の男たちは(若干女も混じっていたが)剣術に長けており、そうそう簡単に魔術に屈することはない。
 彼らは魔女と対峙して、文字通り「剣の腕」を盗まれたのだ。それがどういう理屈の上に成り立っているかは分からないが、とにかく魔女が姿を消した後、被害者たちは剣を思うように振るえなくなったらしい。というより、昨日まで自分がどうやって剣を振り回していたかがさっぱり分からないと言うのだ。
 10日後。被害者が減る事はなく解決策が見つかるわけでもなく、刑事部はとうとう窓際族、もとい「対魔術部捜査一課」に助けを求めて来た。
 1年に1度あるかないかの活躍の場を与えられた捜査一課は、普段余り知られることのない才能振りを……発揮出来てはいなかった。

 「剣の腕」が盗まれた。ということから考えて、魔女が『召喚の儀式』の準備をしていることはすぐに分かった。
 『召喚の儀式』に必要なものは色々とあるが、中でも「人が長年努力して培ってきたもの」というのは価値が高いらしい。「剣の腕」という形のないものを盗む原理は分からないが、魔女はそれを餌に、より高位にある悪魔を召喚しようとしているのだ。
 被害者が30人くらいの時にはまだ一課にも余裕があった。その程度の人数の犠牲であれば、召喚できる悪魔の程度もたかが知れている。結果、叶えられる望みというのにも限度があり、幾ら悪い望みがあったとしても阻止できると考えていた。
 だが、被害者が減る様子は一向にない。どんどん人数は増えていき、2ヶ月後の今、とうとう99人に上った。あと1人で100人。一課の5人はその数字の意味を知っている。

「あと1人で魔界の統率者、魔王が召喚できる」

 青いポニーテールの男、サリアス・コンスタントは呟いた。






「あ〜っ! もうっ、この国にはこれしか剣士がいないの!?」
 この炎天下の中、真っ黒い質素なワンピースを翻しながら、少女は大声で悪態をついた。赤茶の髪が波打つ。茶褐色の瞳がらんらんと光っていた。
 公道を四方くまなく見渡せど、人っ子一人いやしない。視界に映るのは穏やかな午後の景色で、耳に届くのは自らの声のみ。
「あと1人なのに!!」
 元々吊り目がちな瞳を怒りで更に吊り上げ、誰に言うでもなく叫んだそれが大気を揺らす。
「根性なし! 腰抜け! 負け犬!……決闘を挑みに来る奴もいないなんて!」
 それにしても困った。あと1人で全て片が付くのに、その1人が見つからない。
 100人の剣士の汗と努力で培われた「剣の腕」と引き換えに、召喚できるのは魔界最強の存在、魔王。魔王ともなれば人間の大方の望みは叶えられる。例えばそれが、世界征服であったとしても容易いことだ。
 腰まである赤茶の髪を一つに結わえた17歳くらいの少女は、怒りを体全体で表しながら道をどんどん進んでいく。魔王召喚に必要な、最後の1人を求めて……。

 最後の1人はちょっと特別で、精神的にも肉体的にもずば抜けて強い奴でなければならない。なぜならその体に魔王をおろすのだから。
 100人の「剣の腕」を集め終わり詠唱を唱えれば、魔王は召喚できる。だが魔界と現世はそうそう簡単に行き来できるものではない。魔王にしてもそれは同じことで、行き来はできても無傷では済まないだろう。
 そこで召喚した悪魔たちは、人間の体に憑依する形で召喚主の願いを叶える。つまり魔王の依代として堪え得る人間を探さねばならないのだ。
「と言っても……。この前の剣術大会の優勝者も大したことなかったし、将軍というからどれ程のものかと思えば……てんで弱いし。いつからこの国は軟弱者の集団になったんだか! 自分の努力を奪われて、取り返しに来るかと楽しみにしてたら……よりにもよって警吏に泣きつくなんて―――」
 ふと、少女の歩みが止まる。何かを思案するように片手を口に当て、目を伏せる。長いまつげが白い頬に際立った。
 ゆっくりとその口元に笑みが広がり、瞳は再び輝き出す。やがて満面の笑みを浮かべながら彼女は言った。

「そうよ。警吏を襲えば良いんだわ」

 そうすれば1人くらい有望な奴が見つかるだろう。自分が思いついた妙案に満足し、シルヴィー・S・バーソロミューと呼ばれる稀代の魔女はパチンと指を鳴らして姿を消した。






 階下が激しい喧騒に呑まれていた時、サリアス達一課の面々は、毎日の日課である午後のティータイムを楽しんでいた。
「まあまあ課長? 今更騒いでもどうしようもないですし、降格されるといっても既に僕らピラミッドの底辺ですからね。あと減給されるほど給料もらってないですし。何も悲観することないですって、元気出して下さいよ」
 片手でティーカップを持ちながら、サリアスはやわらかく笑って言った。精一杯励ましたはずなのに、返って相手は沈んでいくようだった。
「ピラミッドの底辺ならまだ良いわ。悪くすればそのピラミッドにさえ入れなくなるかも知れないのよ」
 冷ややかに女性の声が割って入る。緩いウェーブがかった薄茶の髪が、ひび割れた窓から吹きすさぶ寒風に揺れている。小さく身震いしながらサリアスを睨む。
「レイチェル、ピラミッドに入れないくらい良いさ。それより俺は、これ以上減らせないくらい少ない給料が減るのが怖い」
 がっしりとした体に小さなティーカップが似合わない。黒い髪を短く刈り込んだ男が横から口を挟んだ。切実な瞳を向けられて、レイチェルは「そうね」と小さく呟く。
「クレメンス! お前、外で他にバイトしてるじゃないか。俺なんか付き合ってた彼女についここの事話したら、別れようって手紙が…手紙が……」
「エリック……皆まで言うな。分かる、分かるぞ! お前の気持ちは痛いほど! 私も女房に何度逃げられかけたか……」
「課長……」
 「逃げられない方がおかしい」という言葉を、口から出るすんでのところで飲み込み、4人は黙ってカップに口をつけた。課長に肩を抱かれて励ましの言葉をかけられているエリックは、深緑の長めの髪をうざったそうに手で払い、カップの中身を飲み干す。
「今回の破局の原因はあなたの浮気じゃなかったんですね……」
 感心しながらサリアスは言った。クレメンスが溜め息をつきながら口を開く。
「別れたってお前……、じゃあさっき一緒に昼飯食べに行った女性は何だよ」
「あぁ、あの子? 新しい彼女」
「女の子もどうして引っかかるのかしら、こんな顔だけの男なんかに……」
 確かに彼女の言うとおりだが、引っかかる女も結局のところ「金だけが目当ての女」なのだ。警吏という職業は一般に「高額給料の職業」と認知されている。間違ってはいないがこの「対魔術部捜査一課」にだけは適応しないと思ったほうが身のためだ。
「レイチェル、君は俺の良さがまだ分からないようだね」
「分かりたくもないわ」
 ぴしゃりと跳ね除けて、レイチェルは席を立った。飲み終わったカップを流しに持って行こうとして、ふと視線がある一点で止まる。
「サリアス…、また眺めてるのね」
 彼女のその一言に、全員の視線が一斉にサリアスの手元に注がれた。
「えぇ。何か運命感じちゃって…。でも、これが僕の手元に戻ってくるのが、嬉しいのか悲しいのかよく分からないんですよね」
 苦笑いを浮かべてサリアスが手にもった指輪を見る。安物の、子供だましの玩具の指輪。その指輪を何ともいえない表情で彼はじっと見つめていた。

 2ケ月ほど前に、課長を除いた一課のメンバーで魚釣りに出かけた。表向きは自然を楽しむという崇高な目的を掲げた集まりだったが、裏事情を言えば、給料日前で食べるものに困っていたというのが現状だ。
 何とか釣れた魚を調理し、4人で分けようとクレメンスが包丁を入れた時、中からその指輪が出てきた。
 安物だと確認するなり、川へ投げ捨てようとした彼を慌てて止めたサリアスは、せっかく釣った魚を一口も食べずにひたすらその指輪を眺めていた。
 分け前が増えたと喜んだクレメンスやエリックとは違い、レイチェルは初めて見るサリアスの表情が気になっていた。
 その日からずっと彼は指輪を日に何度も眺めているのだ。溜め息をついたり思い出し笑いをしたり、事あるごとに物思いに耽る彼をレイチェルは心配していた。

「はぁー…、何で川なんかに……。…この指輪はですね、実は――」
 一課の面々の視線を一身に浴びて、仕方ないとばかりにサリアスが事情を説明しようとした時――

「あら、まだ人がいたのね」

 蝶番が弾け飛んだ。「対魔術部捜査一課」の…良く言えば古めかしい年季の入ったドアが轟音と共に空中を飛び、勢い良く床に転がる。途端に吹き込んできた強風に、机の上に無造作に重ねられた書類が舞い散る。ガタガタと窓が揺れ、何枚かは割れて破片が外の陽光にきらめきながら落ちていく。
 口元に不敵な笑みをたたえ、その魔女は戸口に立っていた。






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