僕の彼女の奇人伝



 唐突に何だと思われる方もいらっしゃるでしょうが、僕の彼女はちょっと変です。

 いえ、のろけだとかそういうのではなく、何と言うか本当に……「変」なんです。最近よく聞く「天然」というものに似たところがあるかも知れません。しかし僕は密かに、彼女は天然を超越していると思っています。

 ただいま帰宅途中です。隣にはもちろん彼女がいます。てくてく歩く様が何とも言えず可愛いです。大きめのコートを着ているというか、着られているいうか……。普通のカップルは、ここで手なんかつないじゃったりするのかも知れません。出来ることなら僕だってそうしたいです。まあ、いつも思ってるだけで終わってしまいますが。
 それに、今の彼女と手をつなごうと思っても無駄です。彼女の手には、都会では滅多にお目にかかることのない『みの虫』なるものが、大事に握られていますから。彼女は何か凄いものが(かえ)るに違いないと信じているので、僕は()になるんだとは言えなくなってしまいました。
 知ってますか?みの虫のメスって、一生「みの」の中で過ごすんだそうです。蛆虫(うじむし)状なんだそうです。でもそんなこと彼女には言えません。夢を壊さないよう、後でひっそり小細工しようと僕は心に決めました。決めましたとも。

 そんな僕らですが、付き合い始めて早一年が経とうとしています。
 高校に入って、運動場に設置されたうんていの上で昼寝をしている彼女に一目惚れをし、告白したのは高二の冬。
 その日お弁当を忘れてきた彼女は、極限の飢えに耐えられなくなったようでした。とうとう校庭に降り積もっている雪に、なぜか持っていたふりかけをかけて食べようとしていたのです。
 いくら新雪とはいえ、ここは東京です。大都会の濁った空を旅してきた雪は汚いです。だから僕は慌てて彼女を止め、自分のお弁当を分けてあげました。ずっと見ているだけだった彼女に、初めてコミュニケーションをとった瞬間でした。お恥ずかしながら、舞い上がってしまった僕はそのままその勢いで彼女に告白しました。あっさりOKをもらったことを今でも不安に思ってます。もしやこれは僕の見ている途方もなく長い夢なんじゃないか、って。
 余談ですが、その日の放課後、彼女がふりかけをかけた雪はえぐり取られたように無くなっていました。あえて追及はしなかったのですが、「どうか彼女がお腹を壊したりしませんように」、と祈りながら帰途についたのを鮮明に記憶しております。


「あ、今日両親帰ってくるの遅いんだった」

 隣に彼女のやわらかい声。おっと、出会ってから今までの、彼女の数々の奇行を思い出している場合じゃないようです。反応が遅れてしまい何も言えないでいる僕に構わず、彼女の独り言が続きます。
「あー……鍵、面倒くさいなぁ」
「置き鍵してあるんでしょ?」
「うん、だから面倒くさいの」
 よく言っていることが分からないでしょ? 気にしないで下さい。正直僕も分かりません。こんなことしょっ中です、いちいち気にしていたら彼女の彼氏なんてやってられません。
 彼女は鍵を持ち歩いていないんです。なぜ持ち歩いていないかというと、それは前科持ちだからです。

 その時の彼女のマイブームは、物体の投げ上げ運動でした。簡単に言うと、何か物をなるべく高く投げ上げて、落下してきたそれをキャッチするというものです。他愛ないことですが当時の彼女は真剣でした。
 時には消しゴムを、時にはお財布を投げ上げ、落下してくる途中でばら()かれた小銭を一緒に拾ったのも、記憶に新しい小事件です。
 もうお分かりだと思いますが、当然彼女にとって「鍵」も対象になります。帰る道すがらずっと上を向きながら鍵を投げている彼女の横で、またいつぞやみたいに電信柱に当たって謝るという漫画のようなことが起こらないよう、僕は細心の注意を払っていました。
 結局、キャッチし損ねた鍵が奇蹟に近い確率で、マンホールの僅かに開いた穴の中に落ちてしまったのですが……。さすがに僕も間に合いませんでした。
 怒った彼女のお母さんは、それ以来鍵を持たせてくれないそうです。
 まあ、とにかく、置き鍵があるなら大丈夫でしょう。……多分。




「須藤ー、須藤ってさ、箱根細工、好き?」
「は?」

 全く意味が分かりません。箱根細工? 何で急に……。というか、いつの間にか彼女の家の前でした。放課後のこの時間は、いつもやけに早く過ぎてしまいます。もうちょっと一緒にいたいと思うのですが、結局いつも言い出せないのです。
 見上げてくる彼女の黒い大きな瞳が可愛すぎて、直視できません。戦う前から負けそうですが、頑張りましょう。目線を逸らしながら僕は彼女に問いかけます。
「別に、好きでも嫌いでもないけど……どうして?」
「取り合えずさ。この箱根細工、開けて」
「え? ………ええ!?」
 彼女が玄関の脇に隠すように置いてあった箱根細工を僕に押し付けてきました。両手に納まるサイズのそれと、玄関に腰掛けて中に入る様子のない彼女を僕は交互に見る。
「……何これ」
「箱根細工だよ? 知らない? 仕掛けを解いていくとね、箱が開くんだよ。すごいよね!」
「違うよ、それくらい知ってるよ。……じゃなくて、なんで家に入らないで、僕が箱根細工開けなきゃいけないの?」
「だって鍵、その中だから」

 はい、今日最大のドッキリです。鍵はこの中だそうです。
 この箱根細工が出てきた時点で何かあるとは思いましたが、まさかこの中に鍵が入っているとは思いませんでした。僕もまだまだ未熟ですね。
 彼女はと言えば、玄関の前の段差に腰掛け、足元を通る蟻の行列に目が釘付けのようです。ちらっと突っ立ったままの僕を見上げ、自分の隣のスペースを手でぽんぽんと叩く。多分座れということでしょう。逆らう理由もなし、僕は苦笑に顔が歪んでいるのを感じながら、彼女の隣に腰を下ろしました。
「西田、なんで箱根細工なんだよ」
 カチャカチャと、取り合えず手当たり次第動くところを動かす。僕だってパズルの(たぐい)は大の苦手なんだけど、こうしてればいつか開くかも知れない。そんな僅かな希望を信じて、僕は手を動かし続けます。
「お父さんがお土産に買ってきてくれてね。これだったらね、悪い奴に見つかっても、鍵は盗られないだろうと思って……。しっかり開け方覚えてたはずなんだけどね……忘れちゃった」
 頭をぽりぽりかきながら頬を赤く染め、照れ笑いをしながら西田が僕を見る。至近距離でその笑顔はずるい! ああ神よ、僕にありったけの理性を!
 どっかに行きかけた理性を何とか引き止め連れ戻し、意味の無い言葉をぼそぼそ言うと、僕は止まってしまっていた手を再び動かす。

 カチャカチャという軽快な木の動く音と、西田が蟻の巣を木の枝でつついている音。あとは時折、前の道を通る車の音と、夕焼けに鳴くカラスの声。意味を成さない動作をしながら、僕の思考は遠くへ飛んでいってしまっていた。
 なんてのどかなんだろう。こんな日がいつまでも続くといい。隣に西田がいるだけで、僕の心は不思議と穏やかになる。たぶん明日も、そのまた明日も、こんなのどかな日が来るんじゃないかって、隣に西田がいるだけで僕はそんな未来を信じていられる。

「うわあああ!!」
「西田!? どうした!? 大丈夫?」
「あっ、蟻が怒った……。わわわわ」

 言い忘れてたけど、彼女はムードを壊す天才でもあります。

 先程からずっと突付いていた蟻の穴には、枝が刺さったまんま。そのすき間から途切れることなく蟻がわらわらと溢れ返る。黒い塊が(うごめ)いている様子は、はっきり言って気持ち悪い。西田はよっぽど蟻を怒らせたらしい。
「西田。悪いけど、僕もコレ開けられそうにないよ。だからさ――」
 誰が犯人だか分かっているのか、黒い塊は西田に向かって一直線に向かってきていた。慌てる西田を両手で抱えて蟻から遠ざける。彼女が僕のコートをぎゅっと掴んでいるのが分かって、なんだか嬉しい。なんだか幸せ。

「だからさ、ご両親帰ってくるまで……、一緒に……散歩でもしてよっか」
 向かってくる蟻に平身低頭で詫びていた西田が顔を上げ、照れたように笑いながら大きく頷く。心臓が痛い。

 僕の彼女はちょっと変です。そんで、世界一可愛いんです。






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