続・僕の彼女の奇人伝 〜恐怖の大王ミノ虫編(中編)〜

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 僕は今、久しぶりに仮病を使おうとしている。
 いや、すでに半分仮病じゃなく、本気で痛い、頭が。

 昨日佐々木と作戦会議を開いたまでは良かった。今後の方針と、いかにして西田を虫かごから引き離すか。そして彼女の夢を守るためになにをすれば良いか、具体的に作戦を練ったのだ。あとは実行に移すのみ……のはずだった。
 でも僕は今、学校に行きたくない。

 理由? そんなの言えないです。というか口に出したくもないです。
 僕と佐々木のホモ疑惑だなんて―――ッ!!
 ただ男二人でトイレの個室に入ってただけじゃないか。それなのに学校の連中ときたら、やれデキてるだの、怪しいだの……勘弁してくれ。
「母さん、僕、今日学校休むね。昨日からすごく……すっごく、頭痛いんだ」
 今日のお弁当を作ってくれている母には大変申しわけないが、今日は休ませてもらおう。家で食べるお弁当もたまには良いかもしれない。
 「頭が痛い」、これは嘘じゃない。天地に誓って本当だ。原因は精神的なものだろうけど。
 昨日の騒ぎっぷりを思い出すとこめかみが痛い。女子の白い目と(でもどこか嬉しそうだった)、男子の好奇の目(でも明らかにからかっていた)を思い出すと胃が痛い。
 そんで……西田の黒くて丸い何考えてんのかまったく読めないある意味動物的な瞳を思い出すと、心臓が痛い。
 放課後の教室で誤解であることは取りあえず速攻で伝えたけれど、果たしてあの西田の頭のなかでどんな風に理解されたのだろうか。僕は非常に不安だった。きわめつけは今も忘れられないあの一言。

「私、佐々木君には敵わないなぁ……。彼、テクニシャンらしいし……」

 絶句すること数秒。やっと思考回路が回復してきたころには、問題発言をした西田は僕の前から消えていた。
 最近(ミノ虫のせいで)めっきり減った二人でいる貴重な時間、放課後。西田の家までの短い道、オン・ザ・ウェイ・ホーム。
 思わず英語で言いかえるほど僕は楽しみにしているのに、西田にとってはそれほど大事な時間じゃなかったのだろうか。それとも佐々木と浮気したことを怒ったのだろうか。
 ――…どちらにしても最悪だった。


 居間のソファで朝のニュースを眺める。「今日の占い」が始まったところでスイッチを切る。
 見なくてもわかるさ。どうせ獅子座は最下位に違いない。「ちょっとした噂で身の破滅」、とか言われるんだ。
 ちょうどその時インターホンが鳴った。この朝の忙しい時間に一体誰だろう。手が離せない母さんの代わりに受話器を取ると、今一番聴きたくない声が鼓膜を揺らした。
「おはようございます、佐々木です。たけちゃん迎えに――」
「僕は今日休む」
 素早く受話器を戻すと、案の定ピンポンの嵐。仕方なくもう一度出てみる。
「おい、俺は皆勤がかかってんだよ。わざわざ迎えに来てやったんだ、ありがたく思え」
 さっきのよそ行きの声とはまるで違う、ガラの悪い声。どすが利いている気がするのは、気のせいじゃないだろう。
「お前の皆勤なんか知るか。一人で行けよ、なんでわざわざ迎えに来るんだよ」
「一人だけ逃げようったってそうは行かないからな。さっさと支度(したく)して出て来い。でないと、西田にあのこと言うぞ」
 最後の部分だけ意味ありげな小声で言う。
 佐々木とは幼馴染みだ。だからお互いの小さいころのことを知っている。佐々木は記憶力が良くて、僕が忘れたことなんかもよく覚えている。嫌な予感がして、僕の声も小さくなる。
「……あのことって…どのことだよ」
「たしか六歳のころだっけかなー。お前、小学校のトイレでさぁ――」
「わぁーーッ!!やめろやめろやめろ!!!」
「五分待つ」
 プツリと回線が途切れる。
 僕は大急ぎで顔を洗い、歯を磨き、制服に着替える。寝ぐせは……このさいだ、あきらめよう。
「母さんっ、やっぱ学校行くから!」
 台所にいる母さんに廊下を走りながら声をかける。
「あら、本当に休むつもりだったの?」
 ……これだよ。靴を履いている僕に、母さんがお弁当を差し出す。少し受け取るのに抵抗があるが、仕方あるまい。

「行って来まーす……」

 玄関を出ると、佐々木がストップウォッチを止めて、
「あと三秒」
 と、少し残念そうに言った。


 気の進まないコンクリートの道をとぼとぼ歩く。となりで佐々木が何度目か分からないため息をついた。
「なんで女って、ああいう噂話好きなんだろうな」
「女の子がみんな好きとは思わないけど……」
 いつもなら何でもないはずの学校への道が、とても険しいものに思える。そりゃもう、気分的にはエベレスト登山に匹敵するような……。分かってもらえるだろうか。
「あぁ、そっか。お前には西田がいるもんな」
 あやふやな返答をした僕に、「なるほど、なるほど」と佐々木が意味ありげに笑った。
 西田との一件を思い出し沈む僕。かまわず佐々木は続ける。
「良かったな、西田で。あいつはこんな噂なんて気にしなさそうじゃん」
「…………だと、良いよね」
「は?」
 付き合い始めて二年たつこの僕でさえも、本当に西田の行動は予想できないから、たしかにそれは彼女の魅力の一つでもあるけど……ことこういうことに関してはただの不安材料でしかない。
「俺の妹なんかさー…、学校で噂聞いたらしくて、帰ってくるなり『どうせなら、もっとバレないよう上手くやれ』って言ったんだぜ? 可愛くねぇよなぁー」
 佐々木が不服そうに眉をしかめる。
「ふーん…、葵ちゃんがねぇ…………って…葵ちゃんってたしか一年だよね!? 高校一年!!」
 ふと、嫌な予感が瞬時に脳裏をよぎった。急に叫んだ僕に佐々木が驚く。
「え?…あっ、あぁ……」
「ってことは、あの噂ッ、一年まで流れたってこと!?」
 一瞬の間を置き、目の前の佐々木の顔色がサッと変わった。脱力したようにへなへなと頭を抱え込んでしゃがみ込む佐々木。こいつをなぐさめる余裕は、今の僕には無い。というか葵ちゃんに言われた時点で気付かなかったこいつに、同情の余地ははっきり言って無い。まったく皆無。
 どうやら学校に近づくにつれ増えてきたように感じた視線は、勘違いじゃなかったらしい。
 同じ学年の友達はただ面白がっているだけの節があった。だから話せば誤解は解けただろうし、たぶん最初から冗談半分のつもりだったはずだ。
 だけど、他学年はそうはいかない。僕自身もよく、先輩の嘘か本当か分からない噂話を真に受け踊らされたことがある。友人が冗談で口にするのはまだ(癪だけど)許せるけど、後輩が『須藤先輩と佐々木先輩ってデキてるらしいよ』とかわけ知り顔で口にするのは耐えられそうにない。
 なにより、僕自身が卒業しても噂だけは後輩に脈々と受け継がれていきそうで怖い。
 こうなっては打つ手は一つ。というか避けねばならないことが一つある。こうやって意味深に、なにもわざわざ噂の渦中の二人が並んで登校することないはずだ。自殺行為にもほどがある。座り込んで回復できない佐々木に、努めて冷静に呼びかける。
「なぁ、僕ら…ここで別れよう。別々の道とおって行こう」
「あぁ、それが懸命な判断だな」
 佐々木が立ち上がり、目が合ったそのとき、

「ちょっと待った!!」

 背後から勢いよく声がかかった。この可愛い声はどう考えても――…
「に……しだ…」
 振りかえると、予想通り西田が仁王立ちしているのが視界に飛び込む。ただならぬその様子に一瞬たじろぐが、取りあえず挨拶だ。
「西田、おは――」
「関係がバレたとたんに別れるなんて!!」
「「え!?」」
 僕と佐々木の声がハモる。
「浮気とはいえ、そのていどの愛で須藤をもてあそぶなんて!!!」
「ちょ…待っ――」
「佐々木君!! 勝負よ!須藤を賭けて!!」
 ビシィッと人差し指を立てると、西田が佐々木をにらむ。その目が、今しがたの発言は冗談ではないことを物語っていた。
 あー…また頭が痛くなってきた。でも言うべきことは言わなくちゃ。まず、僕と佐々木とは何でもない、ただの腐れ縁の友達だってこと。それから……僕が好きなのは、西田だけだってこと。
 それにしても、この道は西田の通学路とは真逆の方向なのに、わざわざ来てくれたんだろうか。僕のために? そんな状況じゃないんだけど、なんだか嬉しかった。ちゃんと誤解を解いて、今日は一緒に帰ろう。うん、じゃあまずそのために――
「西田、僕、佐々木とは――」

「良いだろう! その勝負、受けて立とうじゃないかっ!!!」

 佐々木が僕の横で不敵に笑ってみせた。通学路にいた学生たちからざわめきが起こる。

 取りあえず、目の前の男を力のかぎり殴って良いですか?

 あぁ……頭が痛い。






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